努力できることに対する喜びと誇り

本校で高校受験を迎え、高校進学後も本校に通うある生徒H君のお母さまからメールをいただきました。


●●●[子どもさんの名前]のことですが、私も●●●も、受験で公立に落ちてしまうと、今まで頑張ってきたのに敗北者のような負けを感じました。
でも、気が付きました。
受験に向かって努力できた子が勝ちで、やらない子、あきらめた子が負けではないかと。
結果はひとつの区切りで切り替えのチャンス。努力のできる●●●は自慢です。
親も子も成長出来た受験でした。ありがとうございました。



公立受験に落ちたあと、一旦は親子で「敗北者」という烙印を押されたような気持ちになっていたというH君とお母さまですが、少し時間が経過して、改めて受験を振り返って気づかれたそうです。

受験に向かって努力できた、というそのことこそが受験における勝利だと。
その意味でH君はまさに受験における勝者でした。

受験で頑張ったという誇りが、いまもH君の背中を押し、H君を努力させる原動力となっています。


結果(合格)がすべて、という考えもあるでしょう。
また、なぜ不合格だったかという分析がとても大切であることは言うまでもありません。

しかし、同時に私は結果自体にそれほど意味があるのだろうか、と思っています。


お母さまは、「結果はひとつの区切りで切り替えのチャンス」とおっしゃいます。
お母さまがここでおっしゃるとおり、高校進学というのは人生における便宜的な「ひとつの区切り」にすぎません。結果は「区切り」にすぎませんが、努力して打ち込む日々は、その生徒の人生そのものです。日々を大切にし、生徒の人生が豊かで幸福になることを私たちも願っています。


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by terakoyanet | 2010-05-13 02:08 | お知らせ | Trackback | Comments(0)