寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

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2012年 06月 13日

坂口恭平「独立国家のつくりかた」を渾身の愛情でもって書評します。

歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。
それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。

(P.19 プロローグより)

5月20日に発売されたばかりの「独立国家のつくりかた」(坂口恭平著:講談社現代新書)を読んだ。

ひどく共感した。率直に言うとそういう感想だ。彼が書き連ねている細部に至るまで全て合点がいった。彼の主張は一貫している。彼は私たちに「ひたすらに思考すること」を呼びかけ、そして全身全霊で「死ぬな」と叫んでいるのである。私は彼の言っていることを全肯定したいといま思っている。

「独立国家のつくりかた」なんて言うと「なに?新左翼かなんか怪しいやつか?」と眉を顰める方もいるかもしれない。しかし、この本はそういった類いのものではない。著者は何も社会を転覆しようとしているのではない。著者はそのような所作自体が「もうすでに自分が匿名化したレイヤーに取り込まれていることを意味する」という反省を踏まえた上で、「匿名化した社会システムのレイヤーの裂け目、空間のほつれを認識し、そこに多層なレイヤーが存在していること」を我々が知覚することを提唱する。社会システムの常識を少しだけ括弧に入れて、歩き方や視点をちょっと変えるだけで、私たちには無数の可能性があり、私たちはそれによって死なずに生きていくことができるということを、これだけわかりやすく書いた本を私は知らない。

私は職業柄、たったいま人生に行き詰まっている…というたくさんの人たちとかかわってきた。そのときに私が強烈に感じたのは、彼らは社会的なレールや常識にとらわれている(というかそれしか知らない)から、いま袋小路になっているんだということ、大人たちが蟻の行列のような画一的な人生モデルしか提案できていないから、絶望の淵に立っている若者がたくさんいるということだ。その意味で、この本が隘路にある若者たちに新たな光明を与えるとしたら、こんなにハッピーなことはないだろうと思う。


彼はこれまでに「0円ハウス 0円生活」「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」という本を出しているが、彼が「ゼロ」と言うとき、そこには特別な強度がある。彼自身、この本で「鬱が起点になる」と言っている通り、彼にとってのグラウンド・ゼロは「鬱」の場である。「0円ハウス 0円生活」や「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」を読んで、「坂口氏は社会の重みを知らない」と非難した人たちは、彼の「ゼロ」の地点の重みを知らないのだ。「鬱」というのは、自分自身の存在が全否定され、「ゼロ」にならざるをえないような経験である。彼は、そのような「ゼロ」の場所に立ち戻ることを繰り返すことでしか、自己本位でない「救済」は生まれてこないということを彼は確(しか)と認識した上で、それを戦術にしようとしているのだ。私は自分の身を壊しかねない戦略をとろうとする彼の熱情に心から敬意を表したい。


その意味では、人生において「ゼロ」の場所に立ったときに社会化することを選んだ私にとっては、ひりひりとした痛みを感じさせる本でもあった。私は「ゼロ」の場所に立ったときに、このままでは生きられないと思い、選択の余地もないほどの勢いでいまの仕事を始めた。私は彼がこの著作の中で話題にしている「態度経済」についての勘を有している人間なので、仕事はすぐに軌道に乗った。態度経済というのは、自分の丈を知り、自分の価値を知ったうえで、相手と交易をするということである。私は何を基準にするわけでなく、自分の丈をもとに価格設定をして、そして小さい成功をおさめ、20代のうちにマンションを購入した。このようにして社会システムにどっぷり浸ることになった。私は何もそのときマンションを買うことにステータスを感じていたわけではない。その手続き自体、とても面倒くさい、興味がない、何か気が向かない、と思っていた。著者が言うようにマンションの価格が不当に「高すぎる」ことは感覚的に痛烈に感じていた。しかし、それでもマンションを購入したのは、自分自身が社会と繋がるための確固たる(精神的な)拠点が必要だという強迫観念に襲われていたからかもしれない。だが、こういうことは後になってからだから振り返ることができるのであって、そのときはそのときの自己判断を正当化するのに必死なのである。
 
そんな意図せずして社会システムの中にどっぷりはまってしまった私のような「大人」にとってもこの本はとてもワクワクするものであった。歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。そして「ゼロ」に還る。このことを頭の隅にいつも大切に保存していれば、死ぬ選択をする既(すんで)に考え直すことができるのではないか、また、社会システムという匿名のレイヤーのなかで、ねちねちした陰湿な行為に明け暮れる日々にもならないのではないか、その感度を少しでも多くの人と共有することが、私たちの多くにとって幸せなことではないか、そんなことを考えることができた本でした。


*以上の文章はAmazonのレビューにも掲載されています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062881551/ref=s9_simh_gw_p14_d0_g14_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-4&pf_rd_r=1R9VTZSMABH7RSAZHGVY&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376796&pf_rd_i=489986

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by terakoyanet | 2012-06-13 10:08 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
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