寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

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2015年 11月 06日

寺尾紗穂「楕円の夢」全国ツアー終演に寄せて

矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。 
―花田清輝 『楕円幻想 ─ ヴィヨン』―



11月3日の金沢追加公演をもって、寺尾紗穂「楕円の夢」全国ツアーが全て終了しました。
寺尾紗穂さん、そしてソケリッサの皆さん、本当におつかれさまでした。

「楕円の夢」ツアー。クラウドファンディングにより250万円以上の支援を受けたこのツアーは、路上生活者をメンバーに含んだ舞踏グループ「ソケリッサ!」を帯同して全国を回るというこれまでにない企画で、初めて聞いたときからとても楽しみにしていました。

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左上 塩屋駅  /  右上 旧グッゲンハイム邸宅  / 下 旧グッゲンハイム邸のライブ開始直前のセット


私は最も近い福岡公演に行くことができなかったため、9月のシルバーウィークの間に行われた神戸公演に参加しました。海に臨む気持ちの良い場所で行われた素晴らしい公演で感じた風を、私はいまだに忘れることができません。

『楕円の夢』 最初にこのアルバムタイトルを聞いたとき、私はちょっとぴんと来ませんでした。
「楕円」という言葉は何となく触発されるものがあるものの、実際のところ、その言葉に何が託されているのか、すぐには読み取ることができませんでした。

しかし、『楕円の夢』の歌と詞、そして寺尾さんが2015年に発表した2つの著作、『原発労働者』(講談社現代新書)、『南洋と私』(リトルモア)、これらに共通して囁かれている声は、まさに、花田清輝が『楕円幻想』の中で語った、矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の響きであったと、いまの私は語ることができます。





寺尾さんは、『原発労働者』の中で、私たちがいかに「人を踏んづけて生きている」かを痛切に語りながら、原発労働を通して沢山の痛みを背負った労働者たちの声を聞き取っています。原発でお金をもらって生活を立てた労働者たち、彼らがそこを離れた後に原発に反対するのは、それ自体が矛盾する所為と見なされるかもしれません。しかし、この著作の中で、もっとも引き付けられるのは、そういった労働者たちのアンビバレンツな感情が吐露される現場であり、その迷い自体を私たちが歯をくいしばって共有するところに、明日を考える大きな力の源があると考えさせられました。

私が運営するお店のとらきつねでは、今年の8月8日に、寺尾さんと、『原発労働者』の中に登場する元原発労働者の弓場さんをお招きし、尹雄大氏を進行役に「『原発労働者』出版記念トーク&ライブ」を行いました。その模様はこちら(8月8日(土)寺尾紗穂トーク&ライブレポート)で書きました。
このイベントの最中に、寺尾さんが執筆後に直面した困難について語った際に涙を流され、弓場さんがすぐにフォローを入れる場面がありました。私はあの場面のお二人の実直さに出会ったその瞬間に、「楕円」を理解しました。その困難さも合わせて。
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『南洋と私』の中にも、忘れられない印象的な場面があります。サイパン島のブランコ氏が涙する場面。
彼はチャモロ人でありながら、日本式教育で育ち、日本の学校を出て、日本の企業に勤めた経歴を持つ老人で、日本に世話になったと感謝している。でも、一方で、「アメリカと日本が戦争して家壊したりしてわれわれを人形みたいに弄んだ。辛かったよ、涙が出るよ。」と未だにチャモロ人としての痛みを背負ったまま生きている。『南洋の私』に描かれたこのひとりの老人エピソードは、「サイパンは親日」など、簡単に「親日」「反日」という二分法をしてしまう日本の風潮への対抗として「個別」の問題を語ることと大切さを改めて思い知らされるとともに、一つの真理で話をまとめあげてしまうことの横暴さ、そこで口を閉ざされる者たちの悲哀について痛切に考えさせられるものでした。




「円」は中心が一つです。でも「楕円」は焦点が2つあり、そのためにその形は縦横無尽に変化します。
私たちは「正しさ」を求めるばかりに、各々が1つの「正しさ」ばかりにこだわるがために、その「正しさ」どうしが衝突し、たびたび軋轢を生みます。これは、「真理」「真実」「現実」といった別の言葉に置き換えることもできるでしょう。まずはその私たちのこだわりに気づくこと、それが寺尾さんが何度も丁寧に呼びかけていることではないかと思うのです。


私の話を聞きたいの
ほんとはどちらか聞きたいの
どちらもほんとのことなんだ
そんな曖昧を生きていた

明るい道と暗い道
おんなじひとつの道だった
あなたが教えてくれたんだ
そんな曖昧がすべてだと


―寺尾紗穂「楕円の夢」―



「そんな曖昧がすべてだと」と歌う彼女の呼びかけは、「正義」が我が物で闊歩する社会へ、というよりは、もっと個別的な、私たち一人ひとりの、愛情や友情で結ばれたいと願う、人間どうしの根本的な触れ合い(=振れ合い)の場面に強く響きます。
それでも「正円」を求めて止まない私たちが抱える困難、目の前にいる大切な人を前に自分の拠り所のようなものを失ったときの凄絶な孤独、そしてその後に見えてきた美しさに対する喜びと戸惑い。彼女の歌にはそれらが全て織り込まれていて、そういった歌が目の前にあることに今日も驚きを新たにするのです。





旧グッゲンハイム邸の庭で躍動したソケリッサのおじさんたちの身体を思い出します。
寺尾さんは、このツアーが始まる前に、次のような文章を書いています。


(ソケリッサについて)そこに、鍛え上げられた美しい肉体はありません。
そこに、華麗なジャンプはありません。
ただ、ひたすらに、懸命な人間の姿があります。
人が生きるということを目の前に差し出されたような
人が死んだ後の自由にただよう魂を見せられているような
言葉の表現を超えたものがそこにあるのです。

円の中心は一つですが
楕円には焦点という中心が二つあります。
円は一つの形しかありませんが
楕円はいろいろな形がありえます。
今回、ソケリッサと一緒にいろんな場所で
音とダンスの楕円軌道を描いてみたいというのが
私の願いです。


『楕円の夢』ツアーで繰り広げられた音とダンスには、正円にはない、複雑な調和がありました。その調和はとても不安定で、とたんに消えてしまう儚いものでしたが、ああ、いま確かにそこに美しいものを見た、9月の涼やかな海風の吹く会場で、一瞬でもそう感じることができたのは、とてもとても幸せなことでした。



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by terakoyanet | 2015-11-06 11:37 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
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