いじりといじめは別物ではない。


いじめはダメだけど、いじりはよい。
そもそも、その認識が間違っています。

いじられている子どもがヘラヘラとした笑顔を見せていて、それで周りの大人が安心しているとしたら、大間違いです。
その笑顔は、その子にとって、自尊心の最後の砦かもしれないんです。

いじりだからと見過ごしてはいけません。
いじりの多くは、いじめと同じく一定のヒエラルキー・上下関係に依存した、すごく一方的な暴力です。

だから、バラエティ番組でたびたび登場するいじりが私は好きではありません。
弱者いじりをする人たちを私は見ていられません。

こういうことを言うと、そういうことを言っている人のほうが差別意識があるのだ、という人がいます。

でも、違うんです。そうではなくて、あなたが差別に対して鈍感なんです。
自分自身が差別される立場に転落する、その恐ろしさを知らないんです。


いつも天真爛漫な子どもたち。
目の前にいる友達が大好きだから、思わずお互いに悪口を言い合うじゃれ合いをいつも目にします。
それはとてもほほえましくて、見ているだけでこちらまでうれしくなるほど。

相思相愛のじゃれ合いと、いじりは、明らかに違います。(でも、じゃれ合いというのは、一時的な関係性に依存した脆弱なものということは覚えておかなくてはいけません。いつだっていじり、いじめに転落しうるから。)
テレビで芸人たちが展開するいじりは、いくら本人たちが「そこに愛があるから」と言ったところで、そんなものは言い訳にならない構造があります。他より劣る人、いびつな人、空気が読めない人をあざ笑っているでしょう。

繰り返しますが、いじめかいじりかというのは表面的には違っていても、その構造は同じです。
いじりもいじめの一種なんです。
このことに大人が敏感になっていかないと、けっして子どもたちのいじめの問題は是正されません。


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by terakoyanet | 2018-02-06 10:24 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)