『君は君の人生の主役になれ』書評より

新刊『君は君の人生の主役になれ』の発売から2ヶ月ちょっと経ちました。すでに3刷、いまもAmazonのベストセラー1位(ちくまプリマー新書)を継続していて、好評をいただいています。私にとってこんな本もう書けないだろうなと思うような出し切った感のある本なので、多くの方に読んでいただいて嬉しいです。でも、まだまだ売れていいと思っていますので今後ともよろしくお願いします。

今回はオンラインで読める『君は君の人生の主役になれ』書評のうち、特に読み応えのあるものを4つご紹介します。

ー--------

はじめに今年『現代思想入門』がベストセラーになった哲学者の千葉雅也さん。
すでに多くの方が言及してくださっていますが、『君は君の人生の主役になれ』を読んだ後に千葉さんの『勉強の哲学』を読んで、さらに『現代思想入門』を読むと思考の精度がかなり上がると思います。『勉強の哲学』に子供たちを繋げたらいいなと思って書いたところがあるのです。
千葉さんの書評は明晰なだけでなく、愛がある。千葉さんはいつもそうだ。

>難しいことを、わかりやすく伝えなければならない。その今日的試みに新たな一冊が加わった。本書は、今読まれるべき新時代の「道徳の教科書」だ。
安心安全で快適な暮らしだけが人間の目的ではない——と、少なくとも僕は思う。苦くてうまいのが人生であり、人生とはいわば「ふきのとう」であり、マイノリティはそのエキスパートであるべきだ、と少なくとも僕は思う。不便を我慢すべきだというわけではない。不便は減らした方がよい。が、不便を減らすことが最優先であってはならない、と、少なくとも僕は思うのである。
>大人は、もともとの生きる実感あるいは欲望を抑圧されて自信を失い、他人にもまた同じような抑圧を味わわせようとする。そこには復讐の連鎖があると言えるだろう。ルサンチマンの連鎖である。経済的・社会的に有利な立場へのルサンチマンよりも根本的な、集団的に生きるために欲望を諦めて規範に適応せざるをえなかったということへのルサンチマンである。この精神分析的なプロセスを念頭に置かなければ、社会は理解できない。ある規範が良いか悪いかよりも手前で、規範への適応によって何が抑圧されているのか、と問わなければならないのである。
人生は単純ではない。規範への適応がみずからを縛るが、規範なしでも生きていけない。だが、その煮え切らなさ、割り切れなさが面白いのだ。様々な二重性のなかで行き来するリズムが、人生の音楽なのだ。



ー----------


次に作家の倉下忠憲さん。こちらもあまりに的確な書評。

>私たちは「安定」した状況から逃れなければやっていられない瞬間がやってくる。所与や前提をひっくり返すことで、ようやく自らの存在を保てるタイミングがやってくる。それはまさにレジスタンスであろう。少なくとも、「安定」の内側にいる人からすればそのように見えるはずだ。

よって本書は大人にも突き刺さるものがある。見たくないもの、いや、ずっと見て見ぬふりしていたものを突きつけられるような感覚があるはずだ。一体自分は何を損ない続けてきたのだろうか、と。そうしてもう一度腰を据えて考えることだろう。大人になるとはどういうことなのだろうか、と。

>本書のタイトルは、「君は君の人生の主役になれ」である。まず主語が省略されていない点が素晴らしい。また、「君の人生」という限定も良い。親の人生でもなければ、世間一般の人生でもない。ただ唯一の「君の人生」をターゲットにすればいいのだ。

そして「主役」。そう、これは役なのだ。主人公ではない。主人公はずっと降りられないが、役は交代しうるし、代打もある。ちょっと休んでもいいし、他の人に譲ってもいい。ときには主役の俳優が脇役をやり、脇役の俳優が主役をやることもあるだろう。そこには、さまざまな人の陰影ある可能性が感じられる。少なくとも、「主人公」になってモブを見下すようなくだらなさとはずいぶんと距離がある。そうした距離も置き方も、一種のレジスタンスであろう。人生の主人公になれと追い立てくる資本主義マシーンからの。




ー-------------------

そして批評家の韻踏み夫さん。こちらは本が出る前の連載時に書かれたもの。
ヤンキー性の考察の中に私の名前が登場しますが、それは私の本の芯の部分をガッチリ捉えたものです。

>この、子供時代の反抗心を忘れないことの大切さというのは、鳥羽和久の文章が教えてくれたことである。鳥羽の文章は、ロック的、ユースカルチャー的な反抗のかたちを、もっともうまく、かつ力強く肯定するものなのではないだろうか(私の高校時代が、ロックンロールともにあったからそう思うだけかもしれないが)。誰もが子供のときには持っていたヤンキー性を掘り起こしていると思う。だから私は鳥羽の文章をたくさん、没入しながら読んだ(自分の生に直撃してくるような、そんなことは本当に久しぶりの体験だった)。

連載「十代を生き延びる」第三回には、こうある。「みんなの目には、大人は自立しているし、自信を持っているように見えているかもしれません。でも、騙されてはいけませんよ。たいていの大人は子どもの前でかっこつけています。虚勢を張っています。実際は社会に適応する中で失ったものを知っているから、そんな自分を嘆いてばかりいるんです」。

私は驚いた。あんなに偉そうで自信満々に私たちを抑圧していた大人たちが、実はなんの正当性も持っておらず、ルサンチマンにまみれたなんとも惨めな存在だったわけだからである(こういうところが、鳥羽はニーチェ的だと思う)。そして、子供の頃の私たちは直感的にそれを見抜いていたわけで、やはり正しかったのだ。


ー----------------

そして最後に、あすこまさん。(澤田英輔さん)
澤田さんは軽井沢風越学園の国語教諭であり、今年筑摩書房から出た『中高生のための文章読本』(これ、超おすすめです)の編者でもあります。本の解説としてこれ以上ないものになっていて、感激しています。

>この著者に対してまず感じるのは、子どもたちが生きる社会の構造への洞察の深さと、その洞察を支える愛情の深さである。例えば第1章「学校に支配されないためのメソッド」では、「繊細すぎる」と周囲に見られ、その言葉も本人も内面化した高1の「亜美さん」が、どういうクラスの人間関係の中で抑圧されてきたかを考える。そして、休みの日にBTSの動画ばかり見ているという彼女に、「テテと繋がってるなら、世界と繋がってるということだよ」と声がけする(p44)。なんと美しい語りだろうと思う。

>ここまで読むと、「ではどうすればいいのか?」と思いたくなる読者もいるかもしれない。でも、そうではないのだ。良い悪いではなくて、親子関係とはそういうものなのだ。筆者が第3章で言っているのは、おそらくそれに尽きる。親はどうしても子どもを自分のストーリーに巻き込んでしまう。どうあってもそうしてしまう。子どもはそれに抗わねばならない。その双方の力で、子どもの自己は形成されていく。そのことに自覚的でありたい。その意味で、この章で親は単に批判されているわけではない。親は刺されもするし、赦されもする。「人間ってそういうものだ」という筆者の深い愛情を、子どもだけでもなく、親に対しても感じる章である。





『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)
まだ手に取っていない方はぜひご一読いただければと思います。






とらきつね on Facebook 随時更新中です。


by terakoyanet | 2022-12-21 11:18 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)