子どもに「なぜ勉強するの」と聞かれたら。(4)

以前の記事はこちらです。
子どもに「なぜ勉強するの」と聞かれたら(1)
子どもに「なぜ勉強するの」と聞かれたら(2)
子どもに「なぜ勉強するの」と聞かれたら(3)

私はだいぶん前にこの記事の(3)を書いた後、ずっとこの記事をどうやって締めようかと考えてきた。私はまだ「なぜ勉強するの」という問いに対する自分が書いた答えに、自分自身が納得いっていなかった。そしてこの納得のいかないわけをつきつめると、それはこういうことだった。「なぜ勉強するの」という問い自体に落とし穴がある。「なぜ勉強するの」と質問者が勉強する理由を問い、また回答者が勉強が必要な理由づけをしている限りは、勉強の本質的な意味についてわたしたちは考えることができないのではないか?ということだ。つまり、勉強が必要だという前提から一度離れて、もう一度私たちの生の営みから鑑みたときに、私たちにおける勉強とは何なのかということを考えてみなくては、本質的な話はできないのではないか、ということだ。

この前mixiを見ていたら友達の記事に「小さなことからコツコツと・・・」という記事があった。そこには、4年間かけて東京から長崎まで完歩した71歳の女性の話とか、1人で20年かけて立派な庭園をつくりあげた1800年代の女性が紹介されていた。そして友達は「毎日コツコツの力ってすごいねー」と、ただひとことシンプルな感想を記事の最後に書いていた。うちの妻はその何でもない記事を見て、ちょっと泣いてしまったという。その友達の記事には何か感動的なドラマチックなことが書かれていたわけではない。女性ふたりがやったことの事実の列記と友達の感想「毎日コツコツの力ってすごいねー」 それだけの記事だった。

妻が泣いたのは、71歳の女性が完歩したという事実でも、女性1人で20年かけて立派な庭園をつくりあげ、それが評価されたことでもなく、ただ、コツコツと・・・これにぐっと胸をつかまれたのだ。
コツコツというのは、ふつう派手なものではないし、コツコツをずっと続けている当人からすると毎日当たり前のようにただやっていることであって、人の評価をあてにしてやるものでもない。ただ淡々と時が過ぎるようにコツコツと何かが続いてくだけだ。
でもコツコツという言葉はなんだかとてもいい。そっと耳を澄ませてみてほしい。コツコツ、コツコツ、と音が聞こえてくるのだ。私たちの心臓の規則正しい鼓動と同じように、コツコツ、コツコツと静かに音をたてる。それは私たちが粛々と生きていることのささやかな証だ。それは毎日その存在理由などを問われることもなく、ただただ静かにコツ、コツと微弱な音をたてるだけである。

妻は「コツコツの力ってすごいねーって手放しで誉めているところがなんか・・・」と言っていた。コツコツというのは、結果が伴わない場合には埋もれてしまって評価されることはない。長崎まで完歩した女性も、途中の広島とかで挫折していたら、マスコミに取り上げられることはなかっただろう。友達は「コツコツの力ってすごいねー」と書いた。ただそれだけ書いたから胸に響いた。コツコツっていうのはもともと日の目を見るようなものではない。理由もわからずにただコツコツと小さな音を立てて続いていくから尊い。妻はそのコツコツという音を聞いて泣いたのだと思う。私にはその記事を見て泣くほどの繊細さはなかった。でも妻の話を聞いて、私までそのコツコツという小さな音を聞いた気がした。

私はこれだと思った。コツコツ、コツコツこれである。
子どもに「なぜ勉強するの」と聞かれたら、私は(3)で言ったように、大人になっていろいろと視野を広く持って考えるための訓練だと答えることになるだろうと思う。私はこの説明については、いまの子どもたちに与える答えとしては、他の説明(例えば学歴があったほうが経済的に有利など)よりずっと説得力を持っていると思っている。
でも一方で心の中では少し違う気持ちを持とうと思う。勉強というのは、本当はコツコツ、コツコツとただやればいいんだということだ。あらゆる理由づけもむなしく私たちはいつか死んでしまう。一人の人間の生を眺めたときに、そこにコツコツという足あとがほのかに見える。または全く見えないかもしれない。でも誰にも見えなくても、コツコツの道のりには確かに人間としての美しさがある。死ぬと同時にコツコツは忽然と消え失せる。みんな忘れてしまう。でも、私はそれでもいいと思う。


私がいま思ったことは子どもの前で話すようなことではないだろうと思う。そもそも「なぜ勉強するの」という質問に対する答えとしては、そもそも質問自体に疑問をぶつけてしまっている時点で反則である。だからこのことは心に抱きながら、その子にとって最良の答えをこれからも考えていこうと思う。(終)


追記:私自身が最も感じる「勉強」の効用は、他に流されずに、自分で考える力が身につく、ということだと思っています。これは生きていく上で大きな財産になります。また、ひとつのことを本当に深く知れば、他のこともよく見えるようになるというのは実際そのとおりだと思っています。
Commented by とよ爺 at 2007-12-10 22:24 x
コツコツ、良い言葉ですね。
私にとっては心が安寧する言葉です。
何かコツコツやっていれば、きっと幸せになれると思ってしまう。
きっと何かをコツコツやることは、人生と同じって思うんだろうな。

勉強はついでにやるものの中では、実はいちばん面白いものだ。
とある歴史学者が言っています。
私も実はそんなふうに思うこともあります。
でもきっと結論なんかは出ないでしょうね。
私なんか、勉強の定義も歳とともになくなってしまいましたから…。
Commented by terakoyanet at 2007-12-10 23:22
とよ爺さん、素敵なコメントありがとうございます。特にはじめの4行は、そのコメントを読んだだけで私自身の心が穏やかになる気がしました。

わたしもこの記事を書きながら、勉強の定義などどこかふっとんでしまって、コツコツということと、人生ということと、いろいろごちゃまぜになって考え、上のような文章になりました。
でも勉強というのは定義しないほうが面白いのかもしれませんね。
Commented by モニママ at 2007-12-12 10:05 x
「なぜ勉強するのか」は、誰でもぶつかる疑問で、答えは人それぞれです。
私は「人生を楽しむため」だと思います。人生感が広がるのです。学習は基礎の力に過ぎず、応用できなければ人生で使えませんが、
学ぶということは日々の生活を楽しむために必須だと実感しています。
上の子は少し、その感覚をかじりはじめました。
下の子は、全く理解できていません。
いつか、人としての真の喜びある人生を知ってほしいと思っていますが、そのためには学びは必須だと思います。
学校の成績は、それには全く関係ないと思いますが…。
Commented by terakoya at 2007-12-12 11:55 x
私も「人生を楽しむため」というお考えに強く同意します。日々の生活でのささやかな楽しみ、本や音楽や映画との出会い、人との出会い、そのそれぞれを心で感じるときに、いままで自分が学んできたことが反映され、それにより同じことを経験しても同じ作品に接しても人によって感じ方、楽しみ方が変わってくるものだと思います。

学ぶことによって人生の楽しみが広がることは、幸せなことですよね。
Commented by とよ爺 at 2007-12-14 18:39 x
コツコツをテーマに記事を書きました。
この記事やブログも勝手にリンクしてしまいました。
下記がアドレスです。
http://toyojie.jugem.jp/?eid=860
どうかお許し下さい。
Commented by terakoyanet at 2007-12-15 09:14
ご連絡ありがとうございます。
うんうんと頷きながら記事読ませていただきました。
Commented by 保護者です at 2008-02-24 13:35 x
うちは何の為に生きるのかと聞いてきました、すると私もよくわからず時間だけが過ぎてる事に気付きました。へんですよね。
Commented by terakoyanet at 2008-02-25 00:24
すごいお子さんですね・・・!
でも、何のために生きるのか、ってことの答えがもし明確であったら、それこそそんな不幸はないですよね。
Commented by ピロヤ at 2008-11-17 14:36 x
こんにちわ。
私は今大学3年生で、心理の勉強をしつつ教師を目指しています。
この質問は、授業などでたくさんされます。
教師を目指している私とってはとても大切な質問だと思い、大学に入って初めて質問されたときからずっと考えています。
現在心理の勉強をしているからでしょうか、私は子どもにその質問をされたら「勉強は人間になるためにするものだ」と伝えていきたいと思っています。
学習というのはどんな動物でもします。
しかし、勉強という行為は人間しかしません。
人間であるということは、勉強をすることだと思うのです。
狼に育てられた人間の話はとても有名ですが、人間には周りの環境や外部からの影響を受けやすいという結果もあります。
たとえ人間と人間との間に生まれたとしても、人間らしく生きることができなければ、人間ではないと思うのです。
勉強をすることは、立派な人間になるためでも、よい学校・企業に入るためでもない。
私は、そう思います。
Commented by terakoyanet at 2008-11-18 02:39
ピロヤさんこんにちは。コメントありがとうございます。

>人間であるということは、勉強をすることだと思うのです。

というお言葉が心に残りました。

「勉強は人間になるために」と言うと、子どもは「いやいや勉強なんかしなくたって十分オレ人間だから」と思う(言う)かもしれません。
でも、そういう子どもにこそ、「人間」という存在の不可思議さについて考える、疑問に思う力が備わってほしいと思います。
そのために、勉強というのはやはり有効な手段だと思っています。

ピロヤさんのご意見、とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
by terakoyanet | 2007-12-10 03:00 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(10)