働くことについて -15歳のハローワークにて-

昨日は高校準備講座で「15歳のハローワーク」を行いました。
次の文章は参加したみんなに私が送った言葉です。


みんなはこれまで「将来何がしたいの?」と何度も聞かれたことがあると思います。
なりたいものがあってすぐに答えられる人は幸せ者です。好きなことがあって、しかもそれに向けて頑張れるから。
でも先生がみんなくらいの頃を思い出すと、それを聞かれるたびに、困惑しまくって、「ああ、その質問むり、ちょっとていうかかなりうざい」と思っていました。
将来のことはよくわかりませんでした。
やりたいこととか音楽くらいだったし、自分が好きなことがお金につながるというイメージがわきませんでした。


そのころはよくいろいろわからなかったから、そんなことは言えなかったけど、いまなら言えることは、みんなの年齢のときに、まだ無理して将来〇〇になりたい、と決める必要はない、ということです。

人生には出会いがあります。人との出会い、趣味やスポーツとの出会い。出会いを通して様々な感情を持ったり、様々な経験を積んだりします。
出会うタイミングはいろいろあります。子どものころに出会う人もいます。イチローみたいにまさに天職(天から授かった職業)と言われるような職業に就いた人は、子どものころ、または青年期に決定的な出会いを経験している人が多いです。

先生の話に戻すと、先生はみんなと同じころ、まだ出会いを経験していませんでした。それで、大学以降、いろんな人に出会い、いろんなバイトを経験しました。家庭教師は90人もやりました。中洲の駐車場で恐い人相手にいろんな経験もしました。みんなに決して言えない危険なこともしました。日本のいろんなところに行っていろんな人と接しました。大学院では人間の抱える悩みを研究する哲学や精神分析をどっぷり勉強しました。

そうするうちに、自分の特性、得意なことが見えてきました。自分がやりたいことと逆にやりたくないこともはっきりしてきました。

そうしているうちにやることが次第に定まってきました。自分の特性がはっきりしてくると、職業の選択肢がせばまります。せばまった結果、選びとられた職業がいまの仕事でした。この職業を選んだときの感覚は、自分がその仕事を「選んだ」というよりは、相手側(仕事側)からこちらにやってきて、はいこんにちは、とあいさつをしてくれた感じでした。

先生が思っていることは、人間というのは、人生の決定的な局面では実は自分の意志で「選ぶ」ことなんてできなくて、実際には相手側から選びとられるという形でしかありえないのではないか、ということです。交際相手を自分の意志だけで選ぶことはできないでしょう。仕事だって同じなんです。「私」の特性を相手(仕事)が認めてくれた上でないと、いい仕事はできないのです。そして、本当の「出会い」というのは、そういうことではないか、と思うのです。

そう考えると、みんなはまだ、「出会う」ための準備ができていないのではないかと思うのです。「相手に選ばれる」ための準備がまだできていないんだと思うのです。そういう意味ではみんなの「将来の夢」がまだ決まっていないということ自体は自然なこと、というか決まってなくても全然問題ない、と思います。


「出会う」ための準備に必要なことは、「自分を知る」ことです。先生の場合、自分がやりたいこととやりたくないことをはっきりさせたことはとても大きかったです。おかげでやりたい仕事に就けました。ここがはっきりしていない場合、いつのまにか、自分がやりたくない仕事をしていた、ということになりかねないんです。そしてそれは不幸なことではないでしょうか。


ただ、「自分を知る」ことは賭けでもあります。自分を知りすぎて壊れる人もいます。自分を知りすぎることは恐怖を伴うんです。また、仕事にしても、誰もが何らかの仕事に適するわけではありません。自分の特性を見極めた結果、自分は世の中のほとんどの仕事に向かない、と思い詰めてしまうことだってあります。

「自分を知る」ことで自分の特性にあった仕事に就きやすくなります。でも、「自分を知る」ことで、さらに身動きが取りにくくなる場合もある、ということです。


ただ、先生としては、それでもみんなには「自分を知る」作業をやってほしいと思います。「自分を知る」ことで世界が広がるのです。人間の感覚は自分からしかスタートできないのですから、自分を知ることでようやく周りが見えてくるのです。そして、そこから適切な判断、人やものへの配慮が生まれてきます。そして仕事はよりクリエイティブになります。


いろんな経験をしても、いつまでも決定的な出会いがないかもしれません。そういうことはあります。

みんなは先日、太宰治の「待つ」を読みました。「待つ」の女主人公は、何かわからないすごく漠然としたものを小さい駅でただびくびくおびえながら待っています。この女主人公は、いつまでも決定的な「出会い」を待っているひとり人間の姿です。でもそんな彼女にも喜びはあります。毎日、小さな幸せを見つけては笑って、大きな不幸には深く嘆きながら人生を送っています。


みんなの待っているものが現れる日は来るでしょうか。


いずれにせよ、みんな一人ひとりが、自分の心を重んじ、周りの人やものを大切にできる人生になればいいなと思います。
働くことで心を消耗し、生きることの楽しみを奪われないために、働くことがあなたの大切な人生の財産になるように、あなたがこれからどのような道を歩んでいけばよいか、これから少しずつ考えていってください。


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Commented by マダム・サオンヌ at 2009-03-17 19:01 x
素敵な文章ですね。ちょっと感動しました。
ひとつひとつ、terakoyaさんが積み重ねてきたことだからこそ、
書けた文章なんですね。
私にやってきた「主婦」という仕事を、今は懸命にこなしている日々ですが、この授業の対象者である15歳の倍の年を過ぎた今でも、
唖然とするほど自分の知らない部分を発見したり、
「出会い」の可能性にドキドキしたりします。
「知ること」で、怖いのは多分そこで自分の限界を決め付けてしまうからなのかもしれないですね。限界を知るからこそ、見えてくる可能性もあるのだけれど、知って動けなくなるのは避けたいです。
Commented by terakoyanet at 2009-03-19 01:41
とても立派なコメントをいただいたので、どうお返事しようかと考えているうちに、ご返信が遅くなりました。

マダム・サオンヌさん、いまだに自分の知らない部分を発見したり、「出会い」の可能性にドキドキするのっていいですね。私は最近それほどでもない気がします・・・。

知って動けなくなっても、さらに考えていくうちに、そのうち再び、さあ動いてみるか、という気になるかもしれません。そしていざ動いてみるとまた、ああやっぱりダメだなーと思ったり。

でもそういう繰り返しもいいのかもしれないと思います。

私にやってきた「主婦」という仕事、という素敵な表現をなさってますが、お写真や日記で見ていると、とても充実していて楽しそうで、子どもさんたちがとてもかわいらしくて、満喫してるーって感じがします。
by terakoyanet | 2009-03-17 10:30 | お知らせ | Trackback | Comments(2)