空想の科学

昨日、国語の個別指導で使用した寺田寅彦の『化け物の進化』の一節です。



全く、この頃は化け物どもがあまりにいなくなり過ぎた感がある。今の子供らがおとぎばなしの中の化け物に対する感じは、ほとんどただ空想的な滑稽味あるいは怪奇味だけであって、われわれの子供時代に感じさせられたように、頭の頂上から足のつまさきまで突き抜けるような鋭い神秘の感じはなくなったらしく見える。これは一体どちらが子供らにとって幸福であるか、どちらが子供らの教育上有利であるか、これも存外多くの学校の先生の信ずるごとくに簡単な問題ではないかもしれない。西洋のおとぎばなしに「ゾッとする」とはどんな事か知りたいという者があって、わざわざ化け物屋敷へ探検に出かける話があるが、あの話を聞いてあの豪傑をうらやましいと感ずべきか、あるいは可哀想と感ずべきか、これも疑問である。ともかくも「ゾッとする事」を知らないような豪傑が、仮に科学者になったとしたら、まずあまりたいした仕事はできそうにも思われない。

<中略>

不幸にして化学の中等教科書は、往々にしてそれ自身の本来の目的を裏切って、被教育者の中に芽生えつつある科学者の胚芽を殺す場合がありはしないかと思われる。実は非常に不可思議で、誰にも本当にはわからない事を、きわめてわかりきった平凡な事のようにあまりに簡単に説明して、それでそれ以上には何の疑問もないかのように、すっかり安心させてしまうような傾きはありはしないか。そういう科学教育が普遍となり、すべての生徒がそれをそのまま素直に受け入れたとしたら、世界の化学は恐らくそれきり進歩を止めてしまうに相違ない。

こういう皮相的科学教育が普及した結果として、あらゆる化け物どもは函嶺(箱根)はすべて迷信という言葉で抹殺する事がすなわち科学の目的であり、手柄ででもあるかのような誤解を生ずるようになった。これこそ「科学に対する迷信」でなくて何であろう。科学の目的は実に化け物を捜し出す事なのである。この世界がいかに多くの化け物によって充たされているかを教える事である。 

<中略>

またこんな事を考える、科学教育はやはり昔の化け物教育のごとくすべきものではないか。法律の条文を暗記させるように教え込むべきものではなくて、自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではあるまいか。

伝聞するところによると現代物理学の第一人者であるデンマークのニエルス・ボーアは現代物理学の根本に横たわるある矛盾を論じた際に、この矛盾を解きうるまでにわれわれ人間の頭はまだ進んでいないだろうという意味の事を言ったそうである。この尊敬すべき大家の謙遜な言葉は今の科学で何事でもわかるはずだと考えるような迷信者に対する箴言であると同時に、また私のいわゆる「化け物」の存在を許す認容の言葉であるかとも思う。もしそうだとすると長い間封じ込められていた化け物どももこれから公然と大手をふって歩ける事になるのであるが、これもしかし私の疑心暗鬼的の解釈かもしれない。識者の啓蒙を待つばかりである。



寺田寅彦がこの文章を書いてから、すでに90年ほどの年月が経過していますが、彼の科学に対する妄信への警鐘は、現在も色褪せることなく通じるものだと思います。

寺田は、この随筆の中で、科学の根本には「自然の不思議への憧憬」があると言います。それが科学に人を向かわせるものであり、それを原動力にして科学は一歩一歩進歩をとげてきたと言います。

しかし科学は最初にあった目的を失い、「自然の不思議」を駆逐して、科学の力によって何でも説明できる、証明できる、科学こそ世界の真理を握っている、という方向に進みます。実際、現代では科学の力によって人間が宇宙に行ったり、同じ遺伝子を持ったクローン動物ができたりするんですから、科学が世界の真理を握っているような錯覚を覚えても不思議はありません。

そんな現代であっても実は化け物はそこらじゅうを徘徊しています。それなのに、科学という名の下で化け物を抹殺し、真理の切り売りがなされているのが現代社会なのではないでしょうか。

「今の科学で何事でもわかるはずだ」という妄信は、それこそ暴力的に化け物を排除します。わからないのは許されないことなので、すべての事象が強引にカテゴライズされます。


しかし化け物こそ科学に人を向けさせるものです。科学は化け物と私のかくれんぼです。
化け物がすべて見つかってしまったあとでは、何も目新しい発見は生まれることはないでしょう。


寺田が言うように、化け物に翻弄されながら、そこから次々に表れ出る不思議に魅了されながら、科学の学習を進めることができたら、その事物に対する省察に富んだすばらしい研究になるでしょうね。



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by terakoyanet | 2009-06-01 04:10 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)