寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

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カテゴリ:寺子屋エッセイ(読み物)( 143 )


2017年 07月 13日

出会い方

出会い方ってあるでしょう。
その人の醜いところとか、嫌なところばかり見えることがあるでしょう。

でも、それって、出会い方が違っただけで、180度、違う見方になっていたかもしれません。
その人に感動して、大好きになっていたかもしれません。

だから、私は、自分がその人のことを、ひとつの見方しかできていないということをいつも考えるようにしようと思います。決めつけないようにしようと思います。

逆に、私自身、他の人にひとつの色に塗られてしまった、負の烙印を押されてしまったと感じることがあります。

でも、それだって、単に出会い方が悪かったんだと思えば、自分を殊更に否定せずに済みます。
出会い方で決まっているだけと思えば少し楽になります。

クラスで居場所がなくなる子がいます。
会社で仕事ができないと指をさされ、孤独になる人がいます。

でもそれだって、単に出会い方の問題です。
だから、あなたの尊厳は、あなた自身で、大切に守ってください。
そして、人を決めつけて、その尊厳を蝕まないでください。
自分自身の弱さと醜さは、決して他人に暴かれるものではなく、いつも自分自身の内なる課題であるべきです。


これは先月、ある高校生の女の子とお互いにぽつぽつと言葉を繋いでいたときに出てきた話です。




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by terakoyanet | 2017-07-13 00:30 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 12日

ささやかな共感。

昨日、いつもはあまり話しかけてくることのない、ある中学生の男の子が私のそばにやってきて

「先生の出身、朝倉高校なんですね。僕のおばあちゃんも朝倉高校出身なんです。」

少し恥ずかしそうに、そう話しかけてきました。

私は思わず

「おばあちゃん、大丈夫だったの?」

と尋ねました。家の状況はともかくも、ご家族は皆ご無事とのこと。

「ああ、よかった。」

私が深く息を吐きながらにっこりすると、彼もにっこり微笑みました。




塾の授業の休憩中の、わずかな時間に生じた何でもない会話です。

でも、彼の心も、彼のご家族の心も、そして私の心も、今回の水害のあまりの状況に心を揺さぶられていて、

そのふるえを思いがけず共感することができた瞬間というのは、なんとも言えないこみ上げるようなありがたさがあるものです。





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by terakoyanet | 2017-07-12 18:18 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 19日

テスト前に勉強をしないのは「やる気」の問題ではない。

1学期期末考査対策真っ只中の子どもたち。
加速度を増して学習に没頭している子がいる一方で、頑張っているみんなを横目で見ながらあまり何もやっていないように見える子もいます。

大切なテストの前に何もやっていない子を見ると、ご家族も心配になったり焦ったりすることと思います。

しかし、テスト前になってもなかなか机について勉強できない子どもたちと話していて、最近つくづくと思うことは、彼らは必ずしも「やる気」がないわけではないということです。彼らは勉強をやっている子と同程度に「勉強やったほうがいいよね」と思っているけれど、それが行動に移すことができていません。これは実は習慣の問題なんです。勉強の習慣がある子は、やろうと思ったらすぐに実行できます。でも、習慣がない子たちは、ある子たちと同程度の「やる気」では行動に移すことができないんです。

だから、習慣がない子たちに「あなたはやる気がない」と叱責してもなかなかうまくいきません。
他の子と同程度に「やる気」があったかもしれないのに、「やる気」自体を否定されて、むしろ動けなくなるかもしれません。

習慣というのは数日でつくものではありません。
だから、この子はこういうふうに育ったのねーと見守るしかないところがあります。

塾は、習慣をつけるきっかけをつくる場所だと心得て、子どもたちにあらゆる働きかけを試みていきたいと思います。


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by terakoyanet | 2017-06-19 11:59 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 19日

東浩紀さんのAERAの記事に対する評判について。

東浩紀さんのAERAの記事が一部の人たちの間ですこぶる評判が悪いようだ。


「原発は倫理に反している。これは必ずしも即時全廃を意味しない。悪いことだとわかっていても、やらなければならないときもある。」


悪いことだとわかっていても、やらなければならないときもある、なんて書くと、反原発派の人たちが怒るのも当然である。もうなんだか開き直ってしまっているようにも読めるこの文章は、予想通りと言えるが、安直すぎるという批判が多く寄せられているようだ。(しかも私が敬愛する人たちからも。)


しかし、私個人としては、東さんは至極ふつうのことを言っているようにしか読めない。

彼がこの文章で言わんとすることの主題は、そもそも原発の是非ではない。彼は単に、倫理に反しているということと、それを現実的に抑え込むということとは別の話であり、その間には飛躍があるのだという当然のことを言っているにすぎない。


今回、東さんが受けている批判は、実はこれまでの歴史の中で延々と繰り返されてきた、哲学者が甘受する誹謗と同じ類いのものであり、もはや古典的とさえ呼べる図式がそこにはある。それは例えばかつて夏目漱石が、余裕派と呼ばれたり、ポストコロニアル批評家たちに「植民地主義に無抵抗な作家」と揶揄されたりしたときと同じ誤解/誤読である。


夏目漱石が実際の政治を語らなかったのは、漱石の言葉を借りれば、それが「第一義の問題」ではないからだ。第一義の問題から離れたとき、人は不遜になり、嘘をつき、自分の傲慢さに無頓着になる。漱石の批判精神は、初期から後期の作品に至るまでその認識で透徹されている。いかに倫理的に政治を語ることが難しいか、そのことを漱石は認識していた。漱石は植民地主義に無頓着でも無抵抗でもなく、単にそれを語ることを自らに禁じたのである。自らの口で政治を語る人たちは、それがいかに正しい意見であっても、いや、それが正しいからこそ、その語りが不穏なものを呼び寄せることに気づかないのだろうか。政治を正しく語ることは、決して倫理などではない。


哲学者というのは「現実の問題」というのが存在すると疑わない人たちにとっては(それがまさかでっちあげられたものだとは信じたくもない人たちにとっては)いつも優柔不断な人である。何の実効性のある意見も持たないような「役立たず」で「自己満足」な「遊民」に見えるらしい。

彼らには哲学者たちが「現実の問題」を語る前に、「そもそも」の場所で踏ん張っているのが一向に見えない。(この哲学者たちのどうしようもない「踏ん張り」の現場を見たいなら、漱石の『虞美人草』に出てくる「甲野さん」の描写に括目してほしい。) 


東浩紀は良くも悪くも「哲学者」である。この記事の中でも基本的には倫理について語っているだけで、「現実の問題」を語ってなどいない。でも、原発という「超」がつくほどの現実味を帯びた話の中で倫理を語ってしまうと、我慢ができなくなって「現実的」に怒る人たちが出るのは当然である。


漱石は「現実の問題」を語りすぎる人たちを「動きすぎる」と制した。「動く」ことは「罪悪」だと言った。私が思うに、哲学者というのは「動く」という「罪悪」を知っている人たちのことである。でも、そういう人は軟弱に見える。軟弱で隙があるように見えるから、根拠もなく馬鹿にされる。振る舞いそのものが扱き下ろされる。その点で、東さんも今回、一部の人たちからたやすく馬鹿にされすぎているようである。(ちなみに私が今回書いていることは、東氏が漱石ほどに優れているとかそういう話では全くない。) 

しかし、繰り返し言えば、これはいままでずっと哲学者が人として真っ当に扱われず、鼻で笑われてきた歴史の繰り返しにすぎない。



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by terakoyanet | 2017-06-19 11:02 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 13日

子ども道

今日も風の音を聞きながら大濠公園を通って帰宅しています。
夜の現代国語の授業で井上靖さんの文章を読みました。
幼いと
き、子どもたち同士で遊ぶときに通った子ども道。
せまく
て平坦でなくて決して通りやすくはないから、大人は決して使わない子ども道。大人から見たらどこがいいのかさっぱりわからないけれど、なぜか子どもたちに選ばれる子ども道。

あぁ、確かに、私の記憶の一隅にも在る子ども道。近くの家の裏には鬱蒼とした雑木林があって、昼間でもそこを歩くのは怖い。でも抜けると細い川があって、それを飛び越えたとたん明るい道に出て、しかもそこは仲のいいヒロシくんの家のすぐそばだった。
ある道は、人の家の庭を通るか
らやっかいだった。誰よ〜?!と怒鳴り声が聞こえたときには心臓が飛び出るほど怖かった。

子ども道は冒険であり陰翳であり季節感そのものだった。
子ども道で味わった夏ほど鮮明な夏は、もうきっと二度と来
ないのだと思う。

集団下校、スクールバス、町の死角をなくす取り組み。
便
利と安全を引き換えに、私たちが子どもから奪ったものは確かにあって、そうやって奪ってしまったことくらいは忘れないようにしたいです。


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※ヒロシくんは仮名です。


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by terakoyanet | 2017-06-13 00:17 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 05日

海外とリスク

この数日、以下の記事へのアクセスが突然大幅に伸びました。

理由ははっきりしていて、フィリピンのブスアンガ島で日本人2人が行方不明になった事件が起こり、ブスアンガ島、コロン島などで検索した人たちの多くがこのブログに辿り着いたからです。

ブスアンガ島に行ったことのある人は日本ではまだ少ないようで、テレビ朝日さんの取材と画像提供に応じました美しい思い出の場所の写真が、惨たらしい事件の報道に使われることには非常に苦しい気持ちがあります。亡くなられた方たちのご冥福をお祈りいたします。

それにしても、現地のことを知ることも調べることもなく、自己責任という言葉で被害者を貶める人たちの無知と傲慢は目に余るものがあります。

海外でたくさんのテロや事件が起こっているのは確かです。でも、「海外は危ない」というふうに、安直に全体を一緒くたにして語ることはしたくありません。

海外に行く多くの人たちは、渡航先の安全について十分に調べた後に出かけています。
そんなことは当たり前です。だって自分や大切な家族の身体は絶対に守られなければならないのですから。

それでも海外に行くのは危機意識が足りないという人がいるのなら、その人は家から一歩も出るなと言うことと同じです。私たちは海外に行くことと同等のリスクは常日頃犯しています。車に乗ること、高速道路を走ることは、そのわかりやすい例のひとつです。

車に乗るのはしかたがないけど、海外に行くのはその人の趣味だから話が違うという人もいるようです。その人は趣味の楽しみを知らないか、または、単に趣味を楽しむ人を妬んでいるのでしょう。楽しむこととリスクを背負うことは隣り合わせであることは多いけれど、リスクがあることを全て避けて生きるというのは、人生を偏狭にすることとしか私には思えません。





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by terakoyanet | 2017-06-05 11:53 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 04日

しょうぶ学園のこと

少し前から、とらきつねで、鹿児島・しょうぶ学園の作家、翁長ノブ子さんの作品のお取り扱いが始まっています。
しょうぶ学園の季刊誌「季刊しょうぶ」もお取り扱いしています。
(障害者アートについての私たちの考え方については、こちらの記事で書きました。)
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しょうぶ学園は、非常にユニークな活動をなさっている社会福祉法人ですので、ご存知の方も多いと思います。



今年の初春に複数のしょうぶ学園を見学する機会がありました。
とても、とても良い時間を過ごしました。
九州を訪れる人、鹿児島を訪れる人は、皆さんぜひしょうぶ学園を訪れてほしいと思います。
そしてお時間のある方、深く学びたい方は、事前に見学をお申込みになることをお勧めいたします。

「感動ポルノ」という言葉が世間を賑わしたこともありましたが、
しょうぶ学園にあるのは、そういったお涙ちょうだいのドラマではなく、
ただ、そこに人の命が躍動している美しさです。

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現在の政府は一億総活躍社会というスローガンを掲げていますが、「活躍」以前に、人が当たり前に生き生きといまを生きるということのかけがえなさをこの場所で感じることができました。

学園内のレストランで、蕎麦屋で(これらは外部の人も利用できます)、そして木や布や紙など、各種の工房で、障害のある人たちが働き、作業を行っています。
障害のある人たちを健常者と同じように「自立」させようというよりも、障害のある人たちがそのままで、生き生きとしたままで暮らしていけるような、さらにそれらの仕事や作業によって生じた財を循環させることで、経営としても成り立たせていけるような、そういった場を成功させている、学園のエネルギーを熱く感じることができた見学でした。

施設長の福森さんとも長時間お話しすることができました。福森さんの視線はあらゆる人に対して徹底的なまでにフラットです。これまでさまざまな大きなことを達成してきたのにかかわらず、自分が考える正義や信念のようなものを押し付けるようは話は一切なく、少年さながらの柔らかい感性をそのままに、鋭い批判精神を大切にこれまでやってきた方なんだなあと胸が熱くなりました。元気をもらうというような一過性の感覚を超えて、今年40歳になった私の今後の身の振り方をポジティブな方向へと感化してくれるような、大切な出会いと呼べるような時間になりました。「福森さんがやろうとしていることは、国の施策とは真逆のことではないですか。どうやって折り合いをつけているんですか?」「作品をつくる利用者たちの、エゴも作為もない、意識そのままが表出したような姿を見て、そして自分を振り返ったときに、自分自身の業の深さに気づいて、苦しくなることはありませんか?」など答えにくそうな質問をいろいろとしましたが、深刻になることなくいたって軽やかにいろんな話に耳を傾け、いろんな話をしてくれました。


今回、お取り扱いが始まった翁長ノブ子さんは、1940年生まれのしょうぶ学園を代表するアーティスト。約20年前から絵を描き始め、これまでに描いた墨絵は1000枚を超えるそうです。今年の春にはしょうぶ学園で「翁長ノブ子展」が大規模に展開され、多くの人たちが彼女の歩みを振り返りました。

この文章のはじめの写真は、翁長ノブ子さんの絵を壁にペイントした地域交流スペース”Omni House”です。
その大胆なデザインは、しょうぶ学園に来る方々の目を釘付けにします。

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翁長ノブ子さんの記事(「季刊しょうぶ」より)
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とらきつねに届いた翁長ノブ子さんの絵はがきたち。
デザイン性が高く、それでいて確かな柔らかさと温かみがあります。

今後もしょうぶ学園の作品を楽しみにしていただければと思います。
そして、繰り返しになりますが、しょうぶ学園をぜひ訪れてみてください。




by terakoyanet | 2017-06-04 19:10 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 24日

すなわち、旅。

深夜に人気のない大濠公園を歩いて帰宅中。

いま、大学生風の台湾から来たと思われる若い男の子たちが、目の前で暗いお濠にカメラを向けて、カシャッ、カシャッとさかんに写真を撮っている。楽しそうだ。


あっ、彼らはきっと旅なのだ。貴重な旅の楽しい夜をこの公園で過ごしているんだ。


そう気づいたとたん、いつもの帰り道が旅の風景に変わった。旅は楽しいなあ。

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by terakoyanet | 2017-05-24 01:02 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 29日

苦手意識を全体化しないこと。

「私は数学が苦手」と言う子がいます。

しかしその子を教えてみると、その子は計算は抜群にできる。できないのは主に図形とグラフの問題だったりすることがあります。
この子の場合、苦手なのは図形の問題とグラフの問題であり、数学全般ではありません。
ですから、このような子に周りが「数学が苦手だね」と言うべきではありません。
「あなたは計算ができるんだから数学が苦手なわけではないけれど、図形とグラフの問題で躓くことがあるね。」と丁寧に話してあげる必要があります。


苦手な単元や内容を分析しないまま、「数学が苦手」と苦手意識を全体化することは大変危険です。こんなことをしていると、名実ともに「数学が苦手」な子ができあがってしまうのがオチです。「数学」と聞いただけでその子は怯んでしまうようになるのです。でも、「数学が苦手」と思っている子にも、得意な分野、苦手な分野があるはずです。どんなに「英語が苦手」と思っている子だって、その子独自の得意なところを見つけてあげることは、それほど難しいことではありません。子どもが自分で得意なところを見つけられないときは、指導する人がそこを発見してあげることで苦手意識の全体化を防いであげることが、学力向上のためには必要です。


苦手意識を全体化せず、苦手な内容を吟味すること、これが本人にとっても周囲の指導者や保護者にとっても、とても大切です。



しかし、このような全体化は、時にはいい作用をもたらすことがあります。

歴史が大好きな子がいます。その子が興味があるのは「歴史」、しかも「日本史」の「戦国時代」であったりします。しかし、その子は戦国時代が好きだからいい点が取れる、そうすると、歴史全体も好きな気がして歴史ならいつでも点数が取れるようになる、さらに歴史は社会科の一部だから、地理でも公民でも社会なら点数が取れるようになる、そういうことはよくあります。

これは良い全体化の例です。


以上のように、全体化自体は必ずしも悪いことではありませんが、それが負の面に働きそうなときは、そこを制御することが大切だと思います。


(*先日、中2のある子と話しているときに、以上のことを痛感することがあったので、2008年の同名タイトルの記事をリニューアルしました。)


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by terakoyanet | 2017-04-29 08:11 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 19日

情報戦

情報に翻弄されて不安になっているときは、一度立ち止まって深呼吸をして、自分の足元を見つめ直した方がいい。その不安は他者に対する不安ではない。あなた自身の不安なのだから。電話の向こうの人に、そう話をしたくなることがあるけれど、正面切ってそんなことを言うのは難しいです。

不安を解消したいという欲に突き動かされている人に、いや大丈夫と話しても、全く効果がないどころか、むしろその欲を制止・抑圧されるとその人に感じさせれば、反発が生じたり、ときには忽ちに目の前からいなくなってしまったり。

不安→かりそめの安心→不安 を繰り返すのは苦しい。
不安は情報に翻弄されるから生じます。たくさんの情報があるのに、その中に、何一つ寄りかかることができる確固たるものがない、だから不安は増長します。

でも、情報の本質はそういうものです。それは人生の滋養になりません。
情報は、自分の心と身体を使って得られたものではないでしょう。そんなものに流される人生は、荒波に翻弄される小さな木の枝同様に、浮き沈みを繰り返したのちに、早々と朽ちていきます。

情報が人の人生を朽ちさせるようなものなら、そこから距離を置く工夫をしましょう。
情報に頼るのではなく、自分の嗅覚に頼りましょう。

その嗅覚は決して確固たるものではない。だから、そこに不安があれば、再び情報に頼ろうとするかもしれません。
でもそこは踏ん張りどころです。辛抱が必要です。人とモノに心を寄せるというのは、本来的に苦しいことですから、覚悟が必要なんです。
嗅覚に頼るというのは、独断に陥ることではないんです。匂いはその都度に変化します。自分自身もその都度に変化します。その変化に対する感受性を研ぎ澄ますこと。そしてその変化自体を受け入れること。それが私たちに求められている生きのびるための知恵ではないでしょうか。


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by terakoyanet | 2017-04-19 08:54 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)