寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

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2016年 10月 18日

りまさんの写真

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(*写真はweb東奥さんより)

このはじける笑顔の10日後に亡くなった葛西りまさんの写真がご遺族の意思で公表されました。
りまさんのご家族が写真の公開に踏み切った経緯についてはこちらの記事に書かれています。

いじめで亡くなったりまさん。いじめは本当にむごいことなんだ、人の命を奪うほどのことなんだということを、中高生のみんな一人ひとりがかみしめてほしいと思います。

いじめを正当化する理由なんて、何一つないんです。
「○○だから、あの子が悪い」なんて理由をつけて、人をいじめたり無視したりするのは間違っているんです。

ひとり対複数になった時点で、複数側は卑怯です。
ひとりの子に対して、複数で悪口を言ったり、無視したり、絶対にしないで。

女の子たちが自分を守るために、自分たちで楽しむために、派閥(グループ)を作る気持ちはわかります。
一人ひとりはそんなに強くないし、グループを作ることで本当にいい友だちと出会えることだってあるよね。

でも、いつでも、派閥を作ることにはリスクがあること、それによって除け者(のけもの)にされて、傷つく人がいるという事実から、目を背けないで。私も周りの人も幸せになるように、考えて行動しましょう。

そして、この写真を見ても、何も感じない人に対して、その人たちを責めないで。
その人たちの固まってしまった心は、溶かすのに時間がかかるのです。
争う前に、その人たちが、いったい何を考えているのか、想像してみることからしか、何も前に進みません。

想像してその人たちの心が「わかる」わけではないかもしれません。
でも、想像してみる、寄り添おうとしてみる、そのことはとても大切です。


それにしても、りまさんの写真、本当に素敵ですね。



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by terakoyanet | 2016-10-18 13:59 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 23日

マラケシュの神学校、マドラサ・ベン・ユーセフ

マラケシュで最も印象に残っている場所をひとつ挙げるように言われたら、迷わずマドラサ・ベン・ユーセフが最初に頭に浮かぶ。

マドラサというのは神学校(高等教育機関)のことで、ここベン・ユーセフは16世紀に建てられたマラケシュ最大の学校である。最大とは言っても、メディナの迷路の中で、何の変哲もない外壁に囲まれたこの建物を見つけることは容易ではなく、ツアリストたちは、地元の人―ときには炎天下の中、別の場所に連れ回されたあげく不当な案内料を請求するガイドたち―の世話にならないと、なかなかたどり着けるものではない。

ようやくたどり着いて、この建物の中に入った人たちの多くが驚きの声を上げるに違いない。
そこは、一歩足を踏み入れると、まさに別世界。
たった数秒前に味わった喧騒が嘘のような静寂。
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体に纏わりついた熱気をふるい払うかのように首を縦横に振ったあと、ゆっくり深呼吸をする。
そうやって心身の状態を切り替えると、とたんに眩暈がするような緻密な美しさが体の中に染みるように入っていくのを感じる。

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イスラム建築の美しさは、内部にその美を秘めているところにある。
外観だけを取り繕おうとする美が多い世界の中で、外観では想像もつかなかった精密な美の世界が内部に宿っているのを目撃するのは、それだけで非常に眩(まばゆ)い経験だ。壁面は鮮やかながら、すべてがアラベスクの幾何学模様で飾られているために、知性的な落ち着いた雰囲気を感じる。


マドラサが私に強く印象を残したのは、その建物が、全寮制の学校としての形をそのまま保存していたからである。鮮やかな壁面をもつ中庭と礼拝室の周囲は、2階建ての寮室群に囲まれていて、その寮室ひとつひとつを覗き見ることができた。
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寮室はとても質素なつくりで、外光をうまく取り入れることができる構造になっている。
この禁欲的な部屋で勉学に打ち込んだかつての学生の姿を想像した。

神学校と言ったところで、きっとほとんどの人にとって縁遠いものと思われるに違いない。
でも、私自身は人生で、神学校という存在を身近に感じた時期がある。

私は実家がカトリックで幼少のころから毎日教会に通っていて、少年時代に、約十年もの間「ミサ答え」と呼ばれる神父の侍者を経験した。そして、中学に上がるときに、教会の神父やシスターたちから「神父にならないか」と声がかかった。ひとつ上の姉が、すでに修道院に入っていた私にとって、その誘いはあまりに現実的で切実な声で、大人の声に応えなければならないのだろうか、と考えた時期があった。でも周囲の懸命な教えにかかわらず神の存在の是非についてさえも保留していた私は、自分には意志も適性もないということがわかっていたので、それを拒否した。人生で初めて意識的に自分の意志を示したのはこのときだったと思う。

普通の公立中学校に入って驚いた。突然、大人たちが本音で語りだしたように見えた。こんなに醜い世界に住んでいたのかと、大人の偏狭さと、学校という狭い世界で起こるさまざまな理不尽さに慄(おのの)いた。
小学校からの大切な友人、最も身近な友人がいじめに遭った。彼は成績優秀で頭の回転が早かった。そして嫌味にならないユーモアと優しさを兼ね備えていて、私はそのキャラクターが羨ましかった。そんな彼が、「ガリ勉」のレッテルを貼られ、その人格を矮小化された結果、一部の人間に疎まれ、単なるストレス発散のはけ口として暴力を振るわれた。それが日常的に続いた。何もできない私は何度も学校の先生に相談しようと思った。周りの友人たちは自分の身を守ることで精一杯だったのか、誰もそんなことは口に出す雰囲気はなかった。次はわが身なのである。もう諦めている、というか、ただ我慢していまをやり過ごす、そう考えているように見えた。先生に相談しようと私は手紙まで書いたが、結局のところ渡せずじまいだった。私が単に意気地なしだったのであろうが、そのときは信頼できる大人がいないことを恨んだ。なぜ大人の誰かが手を差し伸べてくれないのかと思った。

ある夜私はおもむろにふとんから出てふとんの上に跪(ひざまず)いた。そして人生で初めて神様に祈った。
「○○くんを助けてください。○○くんを助けてあげられなくてごめんなさい。」
その夜から、毎晩親に気づかないようにふとんから出て、ふとんの上に跪き、神様に祈った。「○○くんを助けてください。」
祈りをささげるときにぶるっと震えながらつけた、電気ストーブの肌を焼くようなひりひりとした熱さを昨日のことのように思い出す。


マドラサ・ベン・ユーセフの質素な寮室を覗き見したとき、神と近しかった過去のことが鮮やかに蘇った。かつてこの部屋で学問に勤しんだ学生の孤独に懐かしみと親しみを覚えた。
きっと学問と祈りというのは近接している。学問は、祈りと同じような深厚な動機がなくては、成しえないもの、私にはそう思える。私にとって、祈りはやや縁遠いものになってしまったけれど、マドラサ・ベン・ユーセフは、学問と祈りとが折り重なる場所として、私に深遠な印象を残した。



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by terakoyanet | 2015-11-23 04:42 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(2)
2015年 09月 10日

日々、戦っている中学生と高校生へ。

日々、戦っている中学生と高校生へ。

一人の人間に対し、複数の人間の暴力や罵声(悪口)が向けられているとき、複数側の人間に加担しないでください。複数対一人はいつだって卑怯です。

暴力や威嚇で相手を屈しようとする人間というのは、自分に真の実力がないことを諸手(もろて)を挙げて認めているのと同じことです。中身がないから、卑屈な手段に訴えないと相手に勝てない部分があるから、暴力に頼るのです。殴る人より殴られる人のほうに真の力があります。

一人で悩まないでください。みんなから無視されたり悪口言われたりしたとき、一人で抱え込まないでください。助けてくれる人はきっといます。(塾生は私たちがきっと助けます。)

あなたには非はありません。自信を失わないでください。あなたは大切なものは何も失っていません。大丈夫です。

複数の人から無視された場合、悪いのは複数の方です。どんな理由があろうとも、皆があなたが悪いと言ったとしても、悪いのは複数の方です。だから私は複数の子全員を否定してもあなたを守ります。



これはみんなに伝えたいことだけれど、一人の人を吊るし上げる複数の子のうちの一人に決してならないで。
あらゆる暴力に決して加担しない勇気を持とう。



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by terakoyanet | 2015-09-10 13:44 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2014年 06月 06日

松竹景虎君の作文

長崎県新上五島町で今年1月に自殺で亡くなった中3生松竹景虎君が昨年の夏休みに作文を書いていたそうです。

<中3自殺>松竹景虎君が残した夏休みの作文 いじめテーマ ―毎日新聞―


◇松竹君が書いた作文(一部抜粋)

 空気

 情報社会である現在、毎日膨大な情報が流れてくるが、必ずといっていいほど目にする記事がある。それがいじめ問題だ。「中学の男子生徒がいじめにより自殺しました」などという事件が起こるのが最近はあたりまえと思う人が増えていると思う。

 いじめの加害者の気持ちを想像してみた。主な理由は二つほど考えられる。一つ目は、いじめという行為が楽しい。「相手の反応がおもしろい」などがよく補足としてつけ足される。このての加害者は恐らく、自分がその苦痛を知ることでしかやめないだろう。

 二つ目は、周りの友達に合わせているからだと考えられる。そう、ほとんどの人が自分が嫌われないように生活しているのだ。もし、少しでも友達が嫌いな子に優しくすれば、そのことを責められ、今度は自分がいじめの対象になるのではないかという不安と恐怖にかられる。それの連鎖がおこるから、周りの人に合わせるといじめがおこる可能性があると思う。

 もっともたちが悪いのは後者の方だ。なぜなら、いじめが完全に終わることがほとんどないからだ。対象者は移り変わってもいじめは続く。

 では、いじめの原因は何かを伝えよう。それは「空気」だ。これが目に見えないものだから恐ろしい。いじめをしなければ自分がやられてしまうという空気、いじめに参加しないといけない空気。いじめの加害者、主犯でさえも空気によって動かされているのだ。

 この問題を解決する方法はただ一つ……。みんなが親友になることだ。そう、実はすごく簡単なはずなのだ。人の笑顔は人を笑顔にし、その笑顔がまた別の人を笑顔にすると思う。僕の好きな歌にこういう歌詞がある。「空気なんてよまずに笑っとけ、笑顔笑顔、笑うかどには福来たる」。暗い顔をしていてもいいことは起こらない。学校で習う数学の公式や英単語を忘れても、笑顔の大切さだけは忘れないでください。



これほど切実にいじめについて考え抜いた一人の同世代の生徒が自らの命を絶ったという事実を、小中高生のみんなに知ってほしいと思います。

教室に蔓延する「空気」。とても苦しかったでしょう。



無責任な大人ほど「見て見ぬふりは同罪だ」なんてことを言います。
でも、「空気」の恐ろしさを知っている子どもたちは、そんなこと言われても、自分一人でその「空気」を変えることができないってことがわかっています。だから結果的に「見て見ぬふり」になってしまう。

「いじめはいけない」と上から語る先生なんて存在意義はありません。
教室からいじめをなくすには、それとなく「空気」を読んで、それをうまく換気しながら空気の中身を変えていける先生が必要です。そのために先生達にはもっともっと知恵を絞ってほしいです。「空気」の中にいる子どもたちは微力です。大人の助けが必要です。

そして、子どもたちには、まず、松竹君が記したその「空気」の恐ろしさを、この作文を通して知ってほしいと思います。
そうすれば「空気」を感じても、その「空気」と距離を置くことができるかもしれない。
距離を置くことができる子が増えれば、その「空気」が牙をむくことが少なくなります。



松竹君が引用した「空気なんてよまずに笑っとけ、笑顔笑顔、笑うかどには福来たる」の歌詞は桃黒亭一門(ももいろクローバーZ)の「ニッポン笑顔百景」から取られています。

笑おう 笑おう 笑えなくても 笑うしかないでしょ 笑いましょ 笑おう 口角上げて ひたすら 笑いましょ
笑おう 泣いたら負けだ やけくそ 笑いましょ
そんな歌詞を含むこの歌が、松竹君にとっての応援歌となっていたとすれば、なんともせつなくて悲しすぎます。

ももいろクローバーZは、奇しくも松竹君が亡くなったちょうど4か月後の今年5月8日に「泣いてもいいんだよ」をリリースしています。
全然泣けなくて苦しいのは誰ですか 全然今なら 泣いてもいいんだよ」と繰り返すこの曲を聴いていると、泣くことができなかった松下君の悲劇について、考えずにはいられません。



◇桃黒亭一門「ニッポン笑顔百景」(IKZO version)

幾三バージョンでないのを探したのですが・・・ありませんでした。


◇ももいろクローバーZ「泣いてもいいんだよ」



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by terakoyanet | 2014-06-06 11:01 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 17日

はるかぜちゃんの「いじめている君へ」

「いじめている君へ」のシリーズは朝日新聞デジタルで読むことができます。

このシリーズ最終回は、はるかぜちゃんの愛称で知られる小6タレントの春名風花さんが書いた文章。
私はあえて小6なのにこんな文章を!とかは書きたくありません。
確かに彼女は早熟ですが、考えるということにおいて本来年齢は関係ありません。
彼女はツイッターで日ごろから鋭い言葉を吐いていますが、今回の言葉もいじめの本質を突くとても鋭いものです。


―――――――

ぼくは小学6年生です。タレントだけど、ふつうの女の子です。

今から書く言葉は君には届かないかもしれない。だって、いじめてる子は、自分がいじめっ子だなんて思っていないから。

いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて「じぶんはいじめてない」って言うのは、大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。

ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで。相手を人間だと思ってたら、いじめなんてできないよね。感情のおもむくままに、醜悪(しゅうあく)なゲームで遊んでいるんだもんね。

ぼくもツイッターでよく死ねとか消えろとかブスとかウザいとか言われます。顔が見えないから体は傷つかないけど、匿名(とくめい)なぶん、言葉のナイフは鋭(するど)いです。

ぼくだけでなく、時には家族を傷つけられることもある。涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もあります。

けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。

いじめを止めるのは、残念ながらいじめられた子の死ではありません。その子が死んでも、また他の子でいじめは続く。いじめは、いじめる子に想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない。

いじめゲームをしている君へ。

あのね。キモい死ねと連日ネットで言われるぼくが生まれた日、パパとママはうれしくて、命にかえても守りたいと思って、ぼくがかわいくて、すごく泣いたらしいですよ。この子に出会うために生きてきたんだって思えるくらい幸せだったんだって。それは、ぼくが生意気(なまいき)になった今でも変わらないそうですよ。

想像してください。君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて歩いた日、はじめて笑った日、うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰(だれ)よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。

そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。

それは、君のちっぽけな優越感(ゆうえつかん)と引き換(か)えに失ってもいいものなのか。いま一度、考えてみてください。
(はるな・ふうか=タレント)




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by terakoyanet | 2012-08-17 17:44 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(2)
2008年 07月 13日

到達度テストの勉強をはじめよう!

2週間後の7月27日(日)は1・2年生の到達度テスト!
7月31日(木)は3年生の到達度テスト!

テスト範囲は膨大です! いまからテストを意識した勉強を始めてください。

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今度合宿で訪れるサンビレッジ茜のグラススキーゲレンデより




先日個別指導をしているときに、ある子が学校の授業中に生徒たちがある先生をいじめている、という話をしていました。
その子も先生へのいじめに加担している印象を受けたので、それはおかしい、先生がかわいそうだ、とその子に訴えました。
ご家庭でも子どもがそういうことを言った場合には、それは子どもたちがおかしい、ということをきちんと伝えていただきたいと思います。




昨日の個別指導のときには、とても気になることを聞きました。
個別指導をした子のクラスのある授業で「精神的に成長してほしい人ランキング」というのがあり、男子と女子のランキングが出たとのこと。

私が個別指導をした子も1位ではないものの名前が出たらしく、心を痛めていました。
しかもこのランキングは(一部の)子どもたちのなかでは「バカなやつランキング」という認識のもと行われたとのことで、子どもたちの話を聞く限り、こういうことをする趣旨が全く理解できません。

by terakoyanet | 2008-07-13 10:51 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(2)
2008年 04月 05日

いじめ・暴力反対運動

日々、戦っている中学生と高校生へ。

一人の人間に対し、複数の人間の暴力や罵声(悪口)が向けられているとき、複数側の人間に加担しないでください。一人対複数はいつだって卑怯です。

暴力や威嚇で相手を屈しようとする人間というのは、自分に真の実力がないことを白旗振って認めているのと同じことです。中身がないから暴力に頼るのです。殴る人より殴られる人のほうに真の力があります。

いじめを受けたとき、一人で悩まないでください。みんなから無視されたり悪口言われたりしたとき、一人で抱え込まないでください。助けてくれる人はきっといます。(塾生は私が助けます。)

いじめを受けたあなたには非はありません。わたしはいじめを受ける子のほうがずっとずっと好きです。自信を失わないでください。あなたは大切なものは何も失っていません。大丈夫です。

複数の人から無視された場合、悪いのは複数の方です。どんな理由があろうとも、皆があなたが悪いと言ったとしても、悪いのは複数の方です。だからわたしは複数の子全員を否定してもあなたを守ります。

あらゆる暴力にNOを言おう。
一人の人を吊るし上げる複数の子のうちの一人に決してならないで。
あらゆる暴力に加担しない勇気を持とう。

by terakoyanet | 2008-04-05 02:55 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(4)
2007年 10月 27日

亀田興毅とマスコミのいじめ

亀田興毅選手の謝罪会見を見た。彼はマスコミ側のえげつないどうしようもない質問にまじめに答えようとしていた。そして質問者なんかよりずっと自分の理性をコントロールすることができていた。悪意ある質問にも、その悪意にまるで気づかないかのように一生懸命何か答えようとしていた。

私は、先の世界戦で、大毅選手の反則を見たとき、これは悪質だ、ひどい!と思った。いったい何やってんだと思った。彼らを下品な人間だとまで思った。

しかしそのあとのマスコミの亀田叩きの凄まじさは、想像を絶するものだった。朝青龍、沢尻の次は亀田か、という感じ。本当にひどい。いったい誰がどういう理由で彼らに謝れと言っているんだ? 確かに叩かれる人たちには問題があるかもしれない、でも、なぜあなたが彼らを叩くんだ? (ここでわたしが言う「あなた」というのはマスコミと視聴者であるわたしたちです。) 私にはこれがとにかくわからないし、とてもいやでいやで怖くて怖くて仕方がないです。

少し前には安倍内閣の不祥事で、次々に大臣たちが叩かれた。叩かれた結果、死を選んだ人もいた。政治の問題と今回の問題は次元が違う、と言う人もいるかもしれない。でもいやそうじゃない!と私は思います。
松岡大臣が亡くなった数日後、うどん屋でおいしい麺をすすっていたときに、近くにいたお客さんが、松岡大臣の訃報を伝えるテレビを見て、「こいつはあんな悪いことしたんだから、死んで当たり前だ!」と言っていました。しかし、わたしはこんな論法は全くもって反対です。

安易に人を叩く人には、いまいちど己のその汚い根性を見てみろと言いたい。政治家の税金の無駄遣いとか聞くと確かに腹は立つ、それはそうだ。でも、人が人の批判をしているときっていうのは、たいがいが自分の慰み物のために言ってるだけで、実際に自分や大切な人の命を脅かす問題でなければ、だいたいの場合が本来どうでもいいことなのだ。赤城大臣のばんそうこうで騒いでいたときはひどかった。別に大臣のばんそうこうなんてどうでもいいじゃないか。いや、どうでもいいことだから無責任に空騒ぎできるのかもしれない。そしてそれは本当に悪質だ。

人が死んだら同情するなんて感情的なだけだ、人が謝ったらかわいそうって思うなんて甘ちゃんだ、なんて考える人もいそうな気がする。でも実際にはそんなこと言ってる人が一番感情的で流されやすい人間なのだ。
叩かれた人間が死んだとき、謝った人間が不憫に見えるとき、そこでクローズアップされるのは、叩かれた人間側ではなく、叩いたほうの巨大なマスの力だ。そこでとんでもない暴力が、何の悪気もなく、それどころか、正義の仮面をかぶって行使されている、それがとても恐ろしいのだ。

一つ事件が起こると、類似した事件が次々と起こる。(たとえば以前の年金未納問題や耐震偽装問題、先ごろの赤福・ミートホープ・比内地鶏など食品の安全問題など) また、大臣がひとり、不祥事を起こすと、そのあと立て続けに別の大臣が不祥事を起こす。(安倍前内閣)
世の中というのはだらしないからそういうもんだと思っている人もいるかもしれない。確かに大臣はだらしないかもしれない。でも、忘れてはいけないことは、マスコミというのは、視聴者の好物を探して日々ネタを探しているということだ。ある意味で、不祥事が続くのは、私たちがそれを望んでいるから続くのだ。

世の中を正すためにもマスコミの事件報道の役割は重要だ、その通りかもしれない。しかし、わたしたちはいつも自分の下世話な趣味のせいで、ことがややこしくなっていないかどうか、点検ぐらいはする必要があると思う。もし自分の好奇の目が相手を傷つける可能性があるのなら、それを抑える気持ちくらいもつべきだ。そうすれば少なくとも今日の興毅選手に対する質問者みたいなどうしようもない輩にはならないはずだ。

今日、質問者が、興毅選手に対して彼が「いじめ」という言葉を使うときの配慮のなさについてつっこんでいたが、これはひどいと思った。質問者はマスコミの強大な「いじめ」に加担しながら、相手の「いじめ」についての認識不足についてつっこめるのだからほんとたいしたもんだ。

興毅選手は、マスコミの強大な力のいじめについて、以前ブログでかなりはっきりした意見を書いている。

[ここから亀田興毅ブログより引用]
まぁそんなことより、最近テレビとか新聞でいじめの話題が多い。<中略>
いじめのニュースを見てたらほんまにかわいそうやと思う。胸が痛くなるよ。
子供が自殺するぐらいやで!
子供が自殺するぐらいやから相当追い詰められてるんやなぁって思う。

俺はいじめはなくなれへんと思う。
大人になってもいじめはあるんやから。
俺が腹立つんは、ワイドショーでいじめのことについてテレビで喋ってるやつらや。
「いじめは絶対にだめです」とかいろいろ言うてるくせに自分らは
平気でテレビを使っていじめをしてんねんから。俺が一番いい例や。
あいつらは寄ってたかって俺のことを悪く言う。
なんでいじめがあるかって考えたら、ほとんどはいじめる側はその人間のことが嫌いやからとか、うっとしいからとか、そんな理由でいじめてると思うねん。
俺らのことをテレビを使っていろいろ言うてるんも
俺らのことが嫌いとか、そんな理由で言うてねんやろ。
これも立派ないじめやと思う。
別に俺らは気持ちが強いからそいつらが言うてることは何とも思わんけど、
俺が気持ちの弱い人間やったら引退してるで。ほんまに。(笑)
そうしたらどないすんねん!
えらそうにコメントしてるやつらはどう責任とんねん。
ええ年した人間が公共の電波を使って堂々といじめをしといてえらそうなことぬかすな。

だから断言は出来へんけど、たぶん世の中からいじめはなくなれへんよ。
俺らもそうやけど社会に出てもいじめはあるんやから。
学校だけとちゃうで。会社に行ってもいじめみたいなもんはあるんやから。

いじめられてる子供らは絶対に負けたらアカン。
俺らはだれからなに言われてもどうってことない。
えらそうなこと言われへんけど、強い気持ちを持ってほしい。
自殺したら何もかも終わりやで!生きたくても生きられへん人もおるんやから。
それを自分で自殺なんかしたら絶対にあかん!
大事な命やねんから大切にしよ。
いじめには勇気を持って向かっていかなあかん。
ボクシングでも何でも一緒や。気持ちで負けたら絶対アカンで。
みんながんばろう!


私は何も興毅選手を擁護したいからこの記事を書いたわけじゃない。そうじゃなくて、マスコミのどうしようもないやり方に、視聴者がもっとそっぽを向ける必要があると思ったから書いたまでです。公民の教科書には、「情報社会に生きるわたしたちは、情報を取捨選択して、自分でその情報が正しいかどうか判断する能力を身につける必要がある」とあります。これさらに加えさせてもらえれば、その情報自体が暴力を含んでいるものでないだろうか、ということを考える能力を身につける、これが大切なことだと私は思っています。

by terakoyanet | 2007-10-27 02:18 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback(1) | Comments(2)