寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

terakoyant.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:子育て ( 36 ) タグの人気記事


2017年 11月 17日

大人の悪口を言う子どもたち

昨日も子どもたちが自分の親の悪口を言い立てていました。
「うちの親、まじで性格悪い。」
「うちの親、まじひげ親父。」
「うちの親は横でテレビ見すぎ。」
「うちの親は、要求が細かい。」
「うちの親は、うるさい。無理な要求するし、話が長い。」
「ていうか、親っていうか、俺も性格悪い。」
ある子が言うと、それに刺激されるように他の子が言い出すので、私は面白いなあと思って聞き流しています。

子どもたちは学校の先生の悪口も毎日のようにしゃべっているのですが、度が過ぎているなと思う場合、注意することもあります。それひどすぎるよね、と。

でも、子どもが親の悪口を言うときというのは、むしろそうやって親への愛着を示している子が多くて、なんだか安心します。

子どもが大人の悪口を言うというのは健全なこと。そう思います。
悪口を言われるのは私だってイヤですが、でも、子どもが大人の悪口を言うというのは、子どもが大人という壁にぶち当たっているということであり、それは必要だと思うのです。

だから、親は子どもに悪口を言われるくらいでいいんじゃないかと思います。
まだ小学生の子どもから悪口を言われる親というのは心配になります(この場合、親子関係に問題があることがあります)が、中高生の子どもが親の悪口を言うとき、その子は親からちゃんと自立しようとしているということの証左であることが多いものです。

逆に、聞き分けのよい子というのは案外心配なものです。
子どもは思春期において、大人への共感、そして疑問や反発を通して、人格と言われるものをつくっていきます。そうやって、自分の思考と大人の思考との(いまはやりの言葉で言えば)アウフヘーベンによって、社会性や善悪の正体、自らの倫理観を深いところまで掘り下げ、親とは別の場所で思考できる人間が育っていくのです。

だから、周りの親や大人に対する悪口を言わない子は心配なところがあります。
悪口を言わないというのが、単純にその子の倫理観に根差すものと感じることがあります。
そうであれば、あまり心配がないのですが、中には、その子の思考が親のコントロール下にあるから、この子は親の悪口を言わないんだなと感じることがあります。

これはお母さんが魅力的なエネルギーを発散しているタイプの子に多いのですが、その子はいつもどこかで母親という太陽のような存在に対して、全面的な承認と称賛を求められているのでしょう。
そういう関係というは母親も子どももほとんど無意識なのですが、そういう親子のコミュニケーションの円環の中にいる子というのは、まず親の悪口を言うことはありません。その子は、親というのは決して傷つけてはならないものであることを身をもって知っていますから。このような子は、コントロール下に置かれたまま中高時代をそのままやり過ごすことが多いのですが、いよいよ自立すべき成人前後になったときに、いろいろと親との関係に悩まされることがあるようで、私もそういった卒業生たちから話を聞くことがあります。

このことについて話し始めると長くなりますのでここまでにしますが、とにかく、子どもが親の悪口を言っているときというのは、案外ほほえましいことが多いです。(それに比べ、学校の先生の悪口は全然ほほえましくないです。子どもたちも大変ですが、学校の先生もほんとうに大変だと思います。)たまに親のことで本当に困っている子が相談をしてきますが、そういう子というのは、悪口を言う余裕もない、悩み抜いている子です。


とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-11-17 15:47 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 18日

成功の裏返し

夏に教室に遊びに来た健二くん(仮名)と話しました。
健二くんは大学3年生。いまは京都の大学に通っています。


健二くんは小学校に上がる少し前からお母さんとそして3つ上の兄と3人暮らしでした。
大学に入り、家族と離れて一人暮らしになって気づいたことがいろいろとあるそうです。

最近の若い子たちの中には、大学時代に急激な成熟を遂げる子たちがいます。その数(割合)は以前より多い気がします。
現代の情報が氾濫する状況は負の面として語られがちですが、情報を読み取る力、取捨できる力がある子は、数ある情報から自分が拠り所とすることができるような思考を的確に捉えます。そのときの道具として、インターネットなどの即席の情報が明らかに寄与していると感じることが多々あるのです。

「僕の母って、いつも自分が正しい存在であることで輝いている人で、僕はずっとこの人の機嫌取りをしてきたんだなって離れてみて初めて気づいたんです。」

私の目には、健二くんのお母さんは「あなたの人生なんだから、あなたの好きなようにしなさいっ」と子どもを手放すことに自覚的な方と映っていました。

「いつも、ふとしたときに、これは母が怒るだろうな、とか、これは母が喜んでくれる、とか、全く母の目に届かないところで動いているのに、そうやって自分の行動を母の目でチェックしてしまうんです。これはもう癖みたいなもので、無意識にやっちゃうんです。これは、母と離れて初めて気づいたことです。僕の母は基本的に、自分の人生に対してあなた自身が責任を持ちなさい、というスタンスで、僕自身、母といい距離感だと自分で思っていたところがあったんですけど、でも、母が長いこと僕に伝えてきたことには、かなりのバイアスがかかっていたことに気づいたんです。この前、インタビューかなんかで養老孟司さんが、成功体験は危ない、という話をしているのをたまたま読んで。」

私は、彼のお母さんがかつて「私は健二がどこの学校に行ってもいいと思っているけど、でも成功体験がないからそれを経験させたい」と話していたのを思い出しました。それは高校入試の直前の面談の際でした。私の方も、彼を2年以上指導してきて、彼が根っこの部分で学習に対する自信を持っていないこと、頑張る姿勢を見せているときでさえどこか受け身の姿勢から抜け出すことができないことに対して、どうにか変化が生まれれば、と思っていました。だから、お母さんがおっしゃっていること、彼に根っこの部分で自信を持ってほしいという気持ちが理解できました。しかし一方で、このタイミングで彼の目の前でそれを言うのは彼にとってプレッシャーになるのではないかな、そうやって心配したあのときのこと ーすでに6年も前のことになるのですがー をはっきりと思い出していました。

「成功の裏返しは失敗じゃないですか。僕はずっと失敗に囚われてきたんです。僕はいつの間にか母親が用意していた成功と失敗の二元論の中で生きていて、単に目の前にあるものを自然に受け取るという単純なことができていなかったと、養老さんの話を読んで気づきました。成功体験というのは結果じゃないですか。結果的に成功したことが自信に繋がるということであって、成功体験を求めることから始めると、初めからその成功は損なわれていて、その先には喪失しかないんです。僕は単に事実を事実のままに受け取ればよかったのに、それを成功や失敗として受け取り、それで勝手に傷ついてきたことに気づかされました。これが僕が母から知らず知らずのうちに受け取っていたバイアスのひとつです。」

そう話す彼の頬は紅潮していました。成功体験というのは、高度経済成長やバブルの記憶が残る人たちによる特殊な思考にすぎない、彼はそう断じました。この点についてはもっと根が深いものかもしれない、私はそんな気がしますが、確かに、成功体験を求めることは、どうしても「成功しなければ」というミッションを自身に科すことになり、それはその人の人生をがんじがらめにしてしまうことがある、彼が中学時代に、自信がなくて、いつも受け身に見えていたのも、成功体験にとらわれていたからもしれない、彼の話を聞きながら、そんなことを考えました。

こうやって、生徒たち、卒業生たちから学ぶことは、たくさんあります。


*プライバシーを配慮しています。そのため、以上の話はそのまま事実ではなく、創作を含んでいます。


とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-10-18 11:28 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 03日

子どもに大声を禁じること。


ふだん、中2の女の子たちは、勉強に対して真面目なのに、声が大きい子が多くて、半ば冗談で、でもときにはかなり本気で、うるさい〜!と注意されます。

休憩時間はともかく、授業中は、静かにしないと授業が成り立たなくなるし、そのことで困るどころか、悩んだり不安になったりする子さえいるから許されないこと、そのことは子どもたちといつも共有しています。しかし、うるさい子どもの存在自体に私がどうしても否定的になれないのは、子どもたちが常日頃、いかに抑圧された環境にいるかということを考えざるをえないからです。

子どもが静かにしていること、これは本来は決して自然なことではないです。このことを大人は忘れがちです。静かにできるのが大人になること、人の迷惑を考えることが自立することに繋がる、そう教える前に、大人は、その思考自体が任意に作られたものであるということを忘れてはならない気がするのです。

中3の宮崎合宿に行く前のオリエンテーションの際に、私は毎年子どもたちに「夜、外で叫んでも大丈夫だよ。」と控えめに声をかけます。合宿所の周囲は、夜には人っ子ひとりもいない公共施設があるだけで、民家も1軒もない環境です。この前はある子が、地行浜で線香花火をしていたら警官に叱られたと嘆いていましたが、合宿に参加した子どもたちは、1日9時間の精いっぱいの学習を終えて、破裂音が鳴る花火に興じ、大声で笑い合っていて、本当に楽しそうでした。

日頃はうるさくすることがないある男子が、花火の途中に「先生、叫んでいいですか?」と許可を求めに来て、いいよと言うと、あるユーチューバーのよくわからない言葉を叫びました。すると遠くにいた男子がそれに呼応してさらにわけのわからない言葉で返していて、あ、これは犬の遠吠えと同じだと、にわかに感動しました。

昨今の保育園問題もそうですが、子どもに対して過度に静粛と成熟を求めるのは大人の悪だと私は思います。このことについて、大人どうしの共感を広げていかなくてはと思います。


とらきつね on Facebook 随時更新中です。


唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-09-03 11:25 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 19日

テスト前に勉強をしないのは「やる気」の問題ではない。

1学期期末考査対策真っ只中の子どもたち。
加速度を増して学習に没頭している子がいる一方で、頑張っているみんなを横目で見ながらあまり何もやっていないように見える子もいます。

大切なテストの前に何もやっていない子を見ると、ご家族も心配になったり焦ったりすることと思います。

しかし、テスト前になってもなかなか机について勉強できない子どもたちと話していて、最近つくづくと思うことは、彼らは必ずしも「やる気」がないわけではないということです。彼らは勉強をやっている子と同程度に「勉強やったほうがいいよね」と思っているけれど、それが行動に移すことができていません。これは実は習慣の問題なんです。勉強の習慣がある子は、やろうと思ったらすぐに実行できます。でも、習慣がない子たちは、ある子たちと同程度の「やる気」では行動に移すことができないんです。

だから、習慣がない子たちに「あなたはやる気がない」と叱責してもなかなかうまくいきません。
他の子と同程度に「やる気」があったかもしれないのに、「やる気」自体を否定されて、むしろ動けなくなるかもしれません。

習慣というのは数日でつくものではありません。
だから、この子はこういうふうに育ったのねーと見守るしかないところがあります。

塾は、習慣をつけるきっかけをつくる場所だと心得て、子どもたちにあらゆる働きかけを試みていきたいと思います。


とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-06-19 11:59 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 13日

子ども道

今日も風の音を聞きながら大濠公園を通って帰宅しています。
夜の現代国語の授業で井上靖さんの文章を読みました。
幼いと
き、子どもたち同士で遊ぶときに通った子ども道。
せまく
て平坦でなくて決して通りやすくはないから、大人は決して使わない子ども道。大人から見たらどこがいいのかさっぱりわからないけれど、なぜか子どもたちに選ばれる子ども道。

あぁ、確かに、私の記憶の一隅にも在る子ども道。近くの家の裏には鬱蒼とした雑木林があって、昼間でもそこを歩くのは怖い。でも抜けると細い川があって、それを飛び越えたとたん明るい道に出て、しかもそこは仲のいいヒロシくんの家のすぐそばだった。
ある道は、人の家の庭を通るか
らやっかいだった。誰よ〜?!と怒鳴り声が聞こえたときには心臓が飛び出るほど怖かった。

子ども道は冒険であり陰翳であり季節感そのものだった。
子ども道で味わった夏ほど鮮明な夏は、もうきっと二度と来
ないのだと思う。

集団下校、スクールバス、町の死角をなくす取り組み。
便
利と安全を引き換えに、私たちが子どもから奪ったものは確かにあって、そうやって奪ってしまったことくらいは忘れないようにしたいです。


d0116009_00172276.jpg

※ヒロシくんは仮名です。


とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。


by terakoyanet | 2017-06-13 00:17 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 29日

苦手意識を全体化しないこと。

「私は数学が苦手」と言う子がいます。

しかしその子を教えてみると、その子は計算は抜群にできる。できないのは主に図形とグラフの問題だったりすることがあります。
この子の場合、苦手なのは図形の問題とグラフの問題であり、数学全般ではありません。
ですから、このような子に周りが「数学が苦手だね」と言うべきではありません。
「あなたは計算ができるんだから数学が苦手なわけではないけれど、図形とグラフの問題で躓くことがあるね。」と丁寧に話してあげる必要があります。


苦手な単元や内容を分析しないまま、「数学が苦手」と苦手意識を全体化することは大変危険です。こんなことをしていると、名実ともに「数学が苦手」な子ができあがってしまうのがオチです。「数学」と聞いただけでその子は怯んでしまうようになるのです。でも、「数学が苦手」と思っている子にも、得意な分野、苦手な分野があるはずです。どんなに「英語が苦手」と思っている子だって、その子独自の得意なところを見つけてあげることは、それほど難しいことではありません。子どもが自分で得意なところを見つけられないときは、指導する人がそこを発見してあげることで苦手意識の全体化を防いであげることが、学力向上のためには必要です。


苦手意識を全体化せず、苦手な内容を吟味すること、これが本人にとっても周囲の指導者や保護者にとっても、とても大切です。



しかし、このような全体化は、時にはいい作用をもたらすことがあります。

歴史が大好きな子がいます。その子が興味があるのは「歴史」、しかも「日本史」の「戦国時代」であったりします。しかし、その子は戦国時代が好きだからいい点が取れる、そうすると、歴史全体も好きな気がして歴史ならいつでも点数が取れるようになる、さらに歴史は社会科の一部だから、地理でも公民でも社会なら点数が取れるようになる、そういうことはよくあります。

これは良い全体化の例です。


以上のように、全体化自体は必ずしも悪いことではありませんが、それが負の面に働きそうなときは、そこを制御することが大切だと思います。


(*先日、中2のある子と話しているときに、以上のことを痛感することがあったので、2008年の同名タイトルの記事をリニューアルしました。)


とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-04-29 08:11 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 02月 27日

当仁中1年学年末テスト、本校中1生の成績|粘り強い指導を。

学年の総決算、学年末テスト。
中1の平均点(速報値)を発表します。

先日、塾内平均点は400点超え確実!とお伝えしていましたが、声なき生徒の声を聞いていませんでした。(すみません。)
過去最高の得点を取った生徒が多数いた一方で、数学など1教科だけ撃沈した・・・という生徒たちの声が、少し遅れて小さな声で届きました。昨日も定期テストで得点を取れなかった悔しさからまだ抜け出せない表情の子もいました。一方で、特進クラスは見事、平均450点越えを果たしました。今回はこれまでで最も上位層と下位層の結果の差が大きいテストになりました。


◇当仁中3学期学年末(中1) 本校生平均点(2名不明/集団授業受講者)

国語 77.8
数学 67.0
社会 83.6
理科 73.2
英語 90.0
5科総合 391.6




◇当仁中3学期学年末(中1) 本校生特進クラス平均点

国語 88.4
数学 85.6
社会 93.2
理科 85.6
英語 98.0
5科総合 450.8




今回のテストは特進クラス生が特に圧倒的な力を見せました。
平均点が低い数学でも、多数の生徒が90点台後半を叩き出しています。

好成績を取る生徒たちは、何をやれば点数を取れるかということがクリアに見えています。
そうでない生徒たちは、これをやれば点数を取れるというイメージに靄がかかっていて、一歩進もうにも、足もとがおぼつきません。

視界良好であれば誰だって快活に歩くことができます。でも視界が不明瞭なとき、人は思わず尻込みしてしまって、前になかなか足を進めることができません。
やる気がない、と言ってしまうのは簡単ですが、単にいまの自分に自身が持てなくて、何かと躊躇したり、気おくれしたり、怖気づいたりと、ただ前に進むのが怖いと思っている子もいます。そういう子たちに道しるべを示すことこそ、私たちの仕事です。時間はかかりますが、粘り強くやっていきたいと思います。



とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-02-27 12:09 | 生徒のがんばり(テスト結果等) | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 27日

苦しいけれど、かけがえのない日々

今日は夕方から授業を挟んで24時近くまで、中3の生徒さん、保護者様と、面談やお電話でたくさんお話をしました。また、面談を希望した11名の生徒と、現状と今後の受験について話しました。とても真剣に話をしました。緊張で涙ぐんている子もいましたし、手元が心なしか震えて見える子もいました。成績が伸びた子が素直に喜んでいる表情を見て、私も本当にうれしくなりました。

今日の授業では、授業中に行ったテスト結果を受けて、落ち込んで泣き出してしまう生徒もいました。
そして、その生徒の背中をさすって励ましているのは、いまのところ自身の受験が決してうまくいっているわけではない別の生徒でした。
泣いた生徒は、「大丈夫です。心配かけてすみませんでした。」と丁寧に挨拶をして帰りました。

受験を通して、その苦しみを通して、友情を育んでいる生徒たちを見ると、こみ上げるものがあります。
皆の願いが叶いますように。そのための努力が滞りないものになりますように。毎日祈っています。

今日は中3にいろいろな話をしました。受験で良い結果が出なかった日に頑張って来た生徒もいました。(いろんな話をしたし、受験で良い結果が出た子とそうでない子がいっしょの空間で一生懸命勉強する特別な日だったから、全員そろってほしかったのですが、そうならなかったのは残念です。)

私立入試が目前なのは当然として、公立入試まであと40日になりました。
この40日の勉強のしかたで合否が決まる。
ガッツや根性も大切だけど、勉強はやり方だよ。

自分の焦る気持ちをとりあえず抑え込むだけの意味のない作業的時間を過ごすことなく、
きちんとひとつひとつ覚えること、理解すること。
苦しいことをいとわずに、実際に問題が解けるようになるまでこだわって勉強すること。

苦しいけど、かけがえのない日々です。
大切に過ごしてください。


今日、保護者様方とお話をしていて思いました。
ご家族にとっても、受験というのは本当にかけがえのない日々ですね。

子どもの歓喜と落胆を傍で見ながら、感情が揺さぶられる日々。
子どもがふとした瞬間に見せる、真面目で正直な表情を愛おしく思う日々。
その日々は慌ただしいけれども、決してこれからもずっと続くわけではない。
人生で我が子たちと過ごす時間はこうやって知らず知らずのうちに過ぎていくのだな、ふとそんなことを感じながら、毎日を大切に過ごしていらっしゃるのだろうと思います。

15歳の彼らは、高校受験を通して初めて自分自身と真剣に向き合います。自分の将来への希望を胸に宿し、時に自分の将来について迷い、嘆息します。そういう我が子を見て、親は、ついこの前まであんなに幼かったはずの我が子が、着実に「自立」への準備をしていることを知るでしょう。

15歳の彼らの旅立ちには、親の心に嬉しさとともに特別な寂しさが付きまといます。
それは、この15歳という年齢が、まさに子どもたちの心が「自立」していく時期と重なるからです。

高校受験は、子どもたちの「自立」をより頼もしいものにします。
この春のある日、受験を終えた子どもとそれを見守るご家族が、苦しかったけれど、かけがえのない日々だったね。そのことをふと実感する瞬間が訪れますように。




とらきつね on Facebook 随時更新中です。

唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2017-01-27 03:08 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 04日

親の感情と子育て

2カ月以上続いた三者面談がようやくほぼ終わりました。
ご参加いただいたご家庭の皆さま、ありがとうございました!

面談のときにした約束は、その後果たせていますでしょうか。
(めちゃめちゃ張り切っていたのに少し緩んできた子もいます。)

面談のときに、子どもの成績を伸ばすために、親はどこまで干渉していいのか、というご質問をいろいろなご家庭からいただきました。

その回答はご家庭によって異なる、という前提がありますので、とても難しい質問だと思いつつ、これは共通して言えるのではないかと思うことについて少しお話しします。



私は大学時代、妹の家庭教師をしていました。
兄弟だったらけんかになりそうなところなのですが、私自身、家族というフィルターで妹を見ることなく、他の家庭教師の子(当時7~8名の家庭教師をしていたのです)を教えるときと同じように指導することができました。
その結果、妹の成績は伸び、希望の高校に合格しました。

私はここで何が言いたいのかというと、親子間、家族間で教えるときの最大の障害はその関係性だということです。
親は子供に感情的になりすぎる。子どもは親に甘えすぎる。これで 教える-教えられる の関係が成立するわけがないのです。

以前、親が子供を叱るときのポイントについてまとめた記事がありますので、よければご参照ください。

親が子どもにきちんと何かを伝えたいのであれば、その感情的な関係をコントロールすべきです。
ときに感情的に「怒る」ことで、子どもに切実に伝わることもあるでしょう。
しかし、感情的に「叱る」ことは避けられなければなりません。

子どもに指導する際も、いかに子どもを、自分のさまざまな感情と切り離されて独立した人格として認めたうえで対話ができるか、そしてそれを一貫性を保ちながら継続できるか。子どもに伝わるかどうかはそこにかかっていると思います。このことは私自身、日々子どもたちと接しながらいつも心に留めていることです。

そんなことは親子では難しい。確かに難しいのですが、自らの心を振り返り、その感情をコントロールできるようになることは、きっと子どもへの大きなギフトになります。


―――――


いまある学年の子どもたちの間で、寺子屋をやめた生徒たちが成績を急激に下げていることが話題に上っています。

うちの塾においても、どうしても年間に数人だけ途中退塾する生徒が出ます。
そのような子が、そのあと成績を急落させるという話は、毎年耳にすることです。

でもこれは別にうちの塾だけのことではなく、成績を伸ばすスキルがある塾ならば当然のことで、やめたら落ちるに決まっています。
塾をやめる子というのは、「成績が上がらないから」という理由でやめることが多いのですが、でも「成績が上がらない子」というのは、いま塾に来ている環境で、彼らが自分のペースで努力できる範囲で勉強して、いまの成績なのですから、塾という武器がなくなると、よほど、それこそ2倍も3倍も自分自身で真剣に取り組まない限り、成績が下がるのは当たり前のことです。それが難しいからみんな塾に通って、できるだけ効率的に学習を進めているのです。

そもそも「成績が上がらない」という判断を親がすること自体危険をはらんでいます。(よほど毎日つきっきりで子どもの指導をしていたら別ですが。) なぜかと言えば、成績というのは相対的なものであって、成績が上がっていないから、その子がいま悪い状況とは全く限らないからです。

塾をやめるとき、それが本人の判断であれば、そのあとうまくいくことも少しはあるのですが、それが親の判断の場合、勝算は低いです。その判断は感情的になされており、本当にその子に寄り添ったものであることが少ないからです。


―――――

子育てというのは親の感情が絡むから難しい。
でもどうか、そういう感情を持つ自己を責めることがありませんように。
その感情自体は自然なもので、それは他のさまざまな感情と結びついている大切なもの。
自分についても、子どもについても、できるだけフラットに穏やかな判断ができるよう、考えていきたいですね。

私自身、修行の日々です。



とらきつね on Facebook 随時更新中です。


唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2016-07-04 16:25 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

大人として扱うことの難しさ

以下の文章は特定のご家庭に向けて書いた文章ではありません。
それでも、もしかしたら、心当たりのある一部のご家庭の悩みを深めてしまうかもしれない。
そう思うと、一昨日に書いたこの記事をアップできずにいました。

でも、大切なのは家族内だけでなく、大人どうしで連携していくこと、と思い直し、記事をアップすることにしました。私自身にとっても、以下の問題は決して他人事ではなく、子どもたちと触れ合う毎日のなかでいつも考えあぐねていることです。

もし、お子さんの精神面で不安のあることがあれば、遠慮なくご相談ください。
一概には言えませんが、きっと一挙に解決する、治癒するということはありません。でも周囲の大人の継続的な配慮をきっかけに、本人がもともともっていた力によって快方に向かうことはあります。


―――


十年前より精神的に脆い子が増えた。そう感じることが多い。
感じる、というよりは実際に頭の中に浮かぶ数を数えてみると、これはおそらく実際のことだ。

いろんな子がいるけれど、精神的に脆い子の親は「理解がある」ことがけっこう多い。これは逆説的な感じもするけれど、そういう子の親は、子どものことを本当に考えているし、一人前の人格として子を認めている、そういうふうに見える親が案外多いのだ。

でも昨日妻と話していてふと思ったのは、「理解がある」親が精神的に脆い子をつくってしまっているのではないか、ということ。「理解がある」親というのは繊細に子どものことを考えている。でも、子どもを眼差すときに、繊細な自分の鏡像として、子どもを見ているのかもしれない。繊細なものとして扱われた子どもは、繊細にならざるをえないのではないか、しかも、他の子たちより幾分早めに「大人」であることを強いられているのではないか、そんなことを考える。

子どもが子どもとして扱われることに、私は子ども時代から強い違和感を感じて生きてきたけれど、でも子どもが大人として扱われるのは、案外残酷なことなのかもしれないと、この歳になってようやく気づきつつある。

親であれば、子どもを自分の鏡像として見ることは、ほとんど避けられないことだが、でも、子どもの話は子ども固有のこととして ―いくらそれが自分の慰みにならなくても― 聞く耳を持たなければ、子どもの痛みは増してしまうかもしれない。「思えば届く」ではないのだ。





とらきつね on Facebook 随時更新中です。


唐人町寺子屋の新しいオフィシャルホームページはこちらです。

入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。

by terakoyanet | 2016-01-15 09:53 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)