寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋

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2017年 10月 06日

10月6日の雑感

〇〇ファーストと言い出したときは本当に驚きましたが、
ユリノミクス、12のゼロ公約…。小池さんが言うことは、キャッチーですが、それにしてもすごくセンスがないですね。(支持するかどうかは別として)


カズオイシグロ、ノーベル文学賞のニュースに湧いています。
彼はセンター国語でも登場していて、高校生、大学生にもなじみのある作家です。

彼の読者という方も多くいらっしゃることと思います。
彼の作風(ファンタジーに頼らない小説を書くところ)とセンスのかたまりのような文体が好きで、私もこれまで多く触れてきた現代作家のひとりです。

つい先月、アメリカに行ったときには彼の文章のことを思い出して文章を書きました。

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帰国まで30時間の苦行の途中、アメリカ本土のサーフィンの聖地が一目見たくてハンティントンビーチ埠頭へ。サーフィン博物館で地元の若いバンドの音源ゲット。只々青いばかりの空と海を見ながら、カズオイシグロが、カリフォルニアの空には文脈がない、と言っていたのを思い出した。文脈はほしいなあ。

アメリカ大陸最後の手荷物検査でなぜか初めて携帯用ウォシュレットが引っかかり、何をするためのものだ?と聞かれて、To wash and clean my asshole と答える辱めを受けた。 2017.9.7.

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カリフォルニアの空には文脈がないというのは、センターにも出題された彼のエッセイから取ったものですが、カズオイシグロはエッセイもすごく面白いです。イギリスなどの外部から日本を見る視点は、とても刺激的で勉強になりますから、高校生たちもぜひ読んでみてください。文章もとても読みやすいですよ。


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by terakoyanet | 2017-10-06 17:03 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 19日

東浩紀さんのAERAの記事に対する評判について。

東浩紀さんのAERAの記事が一部の人たちの間ですこぶる評判が悪いようだ。


「原発は倫理に反している。これは必ずしも即時全廃を意味しない。悪いことだとわかっていても、やらなければならないときもある。」


悪いことだとわかっていても、やらなければならないときもある、なんて書くと、反原発派の人たちが怒るのも当然である。もうなんだか開き直ってしまっているようにも読めるこの文章は、予想通りと言えるが、安直すぎるという批判が多く寄せられているようだ。(しかも私が敬愛する人たちからも。)


しかし、私個人としては、東さんは至極ふつうのことを言っているようにしか読めない。

彼がこの文章で言わんとすることの主題は、そもそも原発の是非ではない。彼は単に、倫理に反しているということと、それを現実的に抑え込むということとは別の話であり、その間には飛躍があるのだという当然のことを言っているにすぎない。


今回、東さんが受けている批判は、実はこれまでの歴史の中で延々と繰り返されてきた、哲学者が甘受する誹謗と同じ類いのものであり、もはや古典的とさえ呼べる図式がそこにはある。それは例えばかつて夏目漱石が、余裕派と呼ばれたり、ポストコロニアル批評家たちに「植民地主義に無抵抗な作家」と揶揄されたりしたときと同じ誤解/誤読である。


夏目漱石が実際の政治を語らなかったのは、漱石の言葉を借りれば、それが「第一義の問題」ではないからだ。第一義の問題から離れたとき、人は不遜になり、嘘をつき、自分の傲慢さに無頓着になる。漱石の批判精神は、初期から後期の作品に至るまでその認識で透徹されている。いかに倫理的に政治を語ることが難しいか、そのことを漱石は認識していた。漱石は植民地主義に無頓着でも無抵抗でもなく、単にそれを語ることを自らに禁じたのである。自らの口で政治を語る人たちは、それがいかに正しい意見であっても、いや、それが正しいからこそ、その語りが不穏なものを呼び寄せることに気づかないのだろうか。政治を正しく語ることは、決して倫理などではない。


哲学者というのは「現実の問題」というのが存在すると疑わない人たちにとっては(それがまさかでっちあげられたものだとは信じたくもない人たちにとっては)いつも優柔不断な人である。何の実効性のある意見も持たないような「役立たず」で「自己満足」な「遊民」に見えるらしい。

彼らには哲学者たちが「現実の問題」を語る前に、「そもそも」の場所で踏ん張っているのが一向に見えない。(この哲学者たちのどうしようもない「踏ん張り」の現場を見たいなら、漱石の『虞美人草』に出てくる「甲野さん」の描写に括目してほしい。) 


東浩紀は良くも悪くも「哲学者」である。この記事の中でも基本的には倫理について語っているだけで、「現実の問題」を語ってなどいない。でも、原発という「超」がつくほどの現実味を帯びた話の中で倫理を語ってしまうと、我慢ができなくなって「現実的」に怒る人たちが出るのは当然である。


漱石は「現実の問題」を語りすぎる人たちを「動きすぎる」と制した。「動く」ことは「罪悪」だと言った。私が思うに、哲学者というのは「動く」という「罪悪」を知っている人たちのことである。でも、そういう人は軟弱に見える。軟弱で隙があるように見えるから、根拠もなく馬鹿にされる。振る舞いそのものが扱き下ろされる。その点で、東さんも今回、一部の人たちからたやすく馬鹿にされすぎているようである。(ちなみに私が今回書いていることは、東氏が漱石ほどに優れているとかそういう話では全くない。) 

しかし、繰り返し言えば、これはいままでずっと哲学者が人として真っ当に扱われず、鼻で笑われてきた歴史の繰り返しにすぎない。



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by terakoyanet | 2017-06-19 11:02 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2017年 02月 15日

幸田露伴の『趣味』を読む

前回の現代国語(高校コース)の授業では、幸田露伴の『趣味』を読みました。
まさに珠玉の短文と言うべき文章で、時折、生徒たちと読む機会を作っています。

『趣味』は過去に一橋大学をはじめ、多くの国立大の国語の問題でも何度も登場しており、擬古文(近代文語文)のために現代の私たちにはちょっと読みにくいのですが、音読するとさらに良さが分かるのは、擬古文ならではのことで、本来は原文を読んでいただいたほうがよいのですが、今回は、この文章の現代語訳(意訳あり)を書くことで、もうすぐ卒業する生徒たち、特に高3生たちへのギフトとしたいと思います。

(ギフトと言えば、高3生のある子が、先日、自習室をはじめとするいまの寺子屋の中で気になることについて率直に話してくれました。大切なギフトをもらいました。ありがとう。)


『趣味』 幸田露伴

趣味は人の思考であり、見識であり、思想であり、気品であり、心である。心は卑しいところを改め、善い方へと正していかないわけにはいかないだろうし、気品は清く高くあるべきである。思想は汚らしくも下品でもないことが必要であり、見識は卑しいところがないことが必要である。嗜好には行き過ぎのないけじめがほしいし、趣味がひどく低くて浅いのは残念なことである。自らの手で土壌を作り、自らの手で養い、自らの手で育て上げ、その結果、自分自身の中に自然に生じた心の色が花のように咲き出でた趣味こそを、特に栄えさせねばならない。

目の覚めるような華やかなものを好む人がいる。心が引き締まるようなものを喜ぶ人がいる。淡白なものを好む人がおり、濃厚なものを愛おしく思う人がいる。艶やかな美しさを愛する人がおり、渋く古びたものを欲しがる人がいる。人の趣味は、ちょうど人の顔の形や人の声色がそれぞれに異なっているように、千差万別である。自分の基準で他人を正してはならず、逆に、いたずらに他人の真似をして自分を捻じ曲げるのも難しくて上手くはいかない。なぜなら趣味は、人々それぞれに宿る心の花から出た自然の色だからである。花を染めて元ではない色を作り、花を洗い流して元の花の色にはない色を作ったとして、本当にそれに何の甲斐があるというのだろうか。それぞれの人に咲く花は、土壌を作り、養い育て、充分に成長させて、その結果、自然に表出した色を、春や秋の空の下に、心ゆくまで豊かに解き放って自由に美しく伸ばしていかねばならない。人の趣味は、土壌を作り、養い、充分に育て上げて、その自然に基づく趣味の香りをゆったりと世の中に広げ香らせるべきである。

自らに不足があることを知るのは、満足に至るための道である。至らないことを知るのは、高みを目指すための道である。自分の趣味が不十分であることを知り、尚も至らないということを悟る人は幸せである、その人の趣味は、まさに次第に成長し、次第に進歩しようとしているのである。自分の趣味が幼稚であることを反省もしないで、自分が良いと思うものばかりをいつも良いと思い、自分の興味深いものばかりをいつも興味深いとして、高みを目指そうとせず、卑しいところを改めようとしない人には幸いはない。その人の心の花はすでに石となり、生命を失っているからである。

髪飾りはいつも黄金であることを欲し、着物は必ず絹であることを欲するのは、欲望というものであり、それは趣味ではない。欲望は自分を縛り、そこに自由はない。趣味は自分を縛ることをせず、自由がある。趣味が低く、欲望が強ければ、自分が欲しいものが手に入らないと、その苦悩は際限のないものとなる。趣味が高く、欲望が薄いものならば、もし自分の欲しいものが手に入らなくても、それとは別にふさわしい楽しみが、一つや二つどころではなく見つけられるだろう。ちっぽけな野菊の花を髪飾りにしても、香りの消えた山吹の花を髪飾りにしても、薔薇の一輪が白く膨らんでいるのを髪飾りにしても、梅もどきのいくつかの実の赤いものを髪飾りにしても、その人の趣味から見たときに「良い」とするものであれば、たとえ木の端や竹の切れ端を髪飾りにしても、そこに満足や喜びがあるに違いない。時と所におうじて、どんなときも、どんな場所でも、喜びの気持ちを見出すことができるのは、趣味によるものである。欲しいものが得られないと苦しみ、遂げたい願いが遂げられなければ悩み、そのように、自分の心を、自分の外にある物の奴隷にして、心がその物に支配されてしまうようになるのは、欲望がそうさせるのである。欲望は人を苦しめ、趣味は人を生かす。趣味の豊かな人は幸せであることよ。

自分に何か得るところがあっても、他人にそれを期待しない、これを徳という。自分の心に楽しむことがあって、物事に煩わされることがない、これを趣味という。どんなときでも、どうにか十分な趣味さえ持っていたら、荒れ果てた寂しく寒々しい境遇であっても、その趣味によって楽しむことができるだろう。だから、培わなければならない、養わなければならない、そして育て上げなければならない、人の趣味性を。




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by terakoyanet | 2017-02-15 14:45 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 11日

五年

わたしのすきなひとが
しあわせであるといい

わたしをすきなひとが
しあわせであるといい

わたしのきらいなひとが
しあわせであるといい

わたしをきらいなひとが
しあわせであるといい

きれいごとのはんぶんくらいが

そっくりそのまま
しんじつであるといい

笹井宏之『えーえんとくちから』



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早朝の志津川湾 宮城県南三陸町



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by terakoyanet | 2016-03-11 14:46 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 20日

自分とふたりっきりで暮らす

いまFACEBOOKを見ていたら、谷川俊太郎氏がバカボンのパパに託して書いた一篇の詩が流れてきた。



自分とふたりっきりで暮らすのだ

自分のパンツは自分で洗うのだ

自分は自分を尊敬しているから

それくらいなんでもないのだ

自分がニコニコすれば

自分も嬉しくなってニコニコするのだ

自分が怒ると自分はこわくなるので

すぐに自分と仲直りするのだ

自分はとっても傷つきやすいから

自分の言うことさえきいていれば

自分は自分を失うことはない

自分は自分が好きで好きでたまらない

自分のためなら生命も惜しくない

それほど自分はすばらしいのだ





原詩では、ひらがな部分はすべてカタカナで表記。

バカボンのパパのセリフだからカタカナで書かれたわけだが、カタカナ表記で、且つ自恃を感じさせる内容が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を連想させた。

私(たち)が日ごろ気疲れしているときというのは、たいてい、他の人の評価を気にしていたり、他の人に腹だっていたりする。

でも、そんなときこそ、投げやりになることなく、自分の心と対話しながら、しかるべき道を定めていきたい。




バカボンのパパの「これでいいのだ」という全肯定は、私たちの心を蝕む自己否定に対する最大の対抗手段である。

それは決して開き直りではなく、諦念でも思考停止でもなく、むしろ、否定の悪循環を停止する意志を持ち、そういった意志を持つ自分を頼みとすることが、私たちの生きる術であり、ひいては私たちの幸せにつながるということを示唆していると、私は考えたい。


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by terakoyanet | 2014-10-20 09:23 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
2013年 11月 25日

ヴェネチアのカ・ドーロ"Ca' d'Oro"とマンテーニャの「聖セバスティアヌス」 sanpo

ヴェネチアではリアルト橋近くのカナル・グランデ沿いのホテルに滞在しました。
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滞在先からカナルを挟んで対岸に見えていたのが、「ヴェネチアの宝石」とでも呼びたくなるような美しい建物、カ・ドーロ。
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カ・ドーロは、1430年にヴェネツィア貴族コンタリーニ家のために建てられた邸宅です。

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床や壁に配された大理石のモザイク柄がとても美しく、印象的でした。





カ・ドーロの上階にはジョルジョ・フランケッティ美術館"La Galleria Giorgio Franchetti"があり、マンテーニャが最晩年の1506年ごろに描いた『聖セバスティアヌス』が、厳粛さを漂わせる大理石空間の真ん中で威容を放っていました。
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聖セバスティアヌスといえば、三島由紀夫の『仮面の告白』のなかで主人公が魅了されたグイド・レーニの絵画『聖セバスティアヌスの殉教』があります。

グイド・レーニのそれが官能的な甘美性を有した若々しい少年像であったのに対し、マンティーニャのそれは人間の生の苦悶を凝縮したような、見る者に強い痛みを感じさせるものでした。
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三島はプライベートでもグイド・レーニの絵画の構図を模した写真を自らをモデルに撮っています。
三島はその甘美性に惹かれた一方で、彼自身の志(こころざし)は、別の方に向いていたように思えます。

彼が割腹自殺をする直前に執筆された『天人五衰』に登場する少年の透は、イタリア美術の中で、マンテーニャが好きだと答えています。
マンテーニャを介すことで、透という不可思議な少年の背後に、陰惨な暗い闇が広がるのを感じます。
死を目前にした三島が、透という少年に託したものは何だったのかを考えずにはいられません。


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by terakoyanet | 2013-11-25 12:49 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 18日

太宰治「葉桜と魔笛」

太宰治「葉桜と魔笛」

 桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。――と、その老夫人は物語る。

――いまから三十五年まえ、父はその頃まだ存命中でございまして、私の一家、と言いましても、母はその七年まえ私が十三のときに、もう他界なされて、あとは、父と、私と妹と三人きりの家庭でございましたが、父は、私十八、妹十六のときに島根県の日本海に沿った人口二万余りの或るお城下まちに、中学校長として赴任して来て、恰好の借家もなかったので、町はずれの、もうすぐ山に近いところに一つ離れてぽつんと建って在るお寺の、離れ座敷、二部屋拝借して、そこに、ずっと、六年目に松江の中学校に転任になるまで、住んでいました。私が結婚致しましたのは、松江に来てからのことで、二十四の秋でございますから、当時としてはずいぶん遅い結婚でございました。早くから母に死なれ、父は頑固一徹の学者気質で、世俗のことには、とんと、うとく、私がいなくなれば、一家の切りまわしが、まるで駄目になることが、わかっていましたので、私も、それまでにいくらも話があったのでございますが、家を捨ててまで、よそへお嫁に行く気が起らなかったのでございます。せめて、妹さえ丈夫でございましたならば、私も、少し気楽だったのですけれども、妹は、私に似ないで、たいへん美しく、髪も長く、とてもよくできる、可愛い子でございましたが、からだが弱く、その城下まちへ赴任して、二年目の春、私二十、妹十八で、妹は、死にました。そのころの、これは、お話で ございます。
妹は、もう、よほどまえから、いけなかったのでございます。腎臓結核という、わるい病気でございまして、気のついたときには、両方の腎臓が、もう虫食われてしまっていたのだそうで、医者も、百日以内、とはっきり父に言いました。どうにも、手のほどこし様が無いのだそうでございます。ひとつき経ち、ふたつき経って、そろそろ百日目がちかくなって来ても、私たちはだまって見ていなければいけません。妹は、何も知らず、割に元気で、終日寝床に寝たきりなのでございますが、それでも、陽気に歌をうたったり、冗談言ったり、私に甘えたり、これがもう三、四十日経つと、死んでゆくのだ、はっきり、それにきまっているのだ、と思うと、胸が一ぱいになり、総身を縫針で突き刺されるように苦しく、私は、気が狂うようになってしまいます。三月、四月、五月、そうです。五月のなかば、私は、あの日を忘れません。

 野も山も新緑で、はだかになってしまいたいほど温く、私には、新緑がまぶしく、眼にちかちか痛くって、ひとり、いろいろ考えごとをしながら帯の間に片手をそっと差しいれ、うなだれて野道を歩き、考えること、考えること、みんな苦しいことばかりで息ができなくなるくらい、私は、身悶えしながら歩きました。 どおん、どおん、と春の土の底の底から、まるで十万億土から響いて来るように、幽かな、けれども、おそろしく幅のひろい、まるで地獄の底で大きな大きな太鼓でも打ち鳴らしているような、おどろおどろした物音が、絶え間なく響いて来て、私には、その恐しい物音が、なんであるか、わからず、ほんとうにもう自分が狂ってしまったのではないか、と思い、そのまま、からだが凝結して立ちすくみ、突然わあっ! と大声が出て、立って居られずぺたんと草原に坐って、思い切って泣いてしまいました。

 あとで知ったことでございますが、あの恐しい不思議な物音は、日本海大海戦、軍艦の大砲の音だったのでございます。東郷提督の命令一下で、露国のバル チック艦隊を一挙に撃滅なさるための、大激戦の最中だったのでございます。ちょうど、そのころでございますものね。海軍記念日は、ことしも、また、そろそろやってまいります。あの海岸の城下まちにも、大砲の音が、おどろおどろ聞こえて来て、まちの人たちも、生きたそらが無かったのでございましょうが、私は、そんなこととは知らず、ただもう妹のことで一ぱいで、半気違いの有様だったので、何か不吉な地獄の太鼓のような気がして、ながいこと草原で、顔もあげずに 泣きつづけて居りました。日が暮れかけて来たころ、私はやっと立ちあがって、死んだように、ぼんやりなってお寺へ帰ってまいりました。

「ねえさん。」と妹が呼んでおります。妹も、そのころは、痩せ衰えて、ちから無く、自分でも、うすうす、もうそんなに永くないことを知って来ている様子で、以前のように、あまり何かと私に無理難題いいつけて甘ったれるようなことが、なくなってしまって、私には、それがまた一そうつらいのでございます。

「ねえさん、この手紙、いつ来たの?」
 私は、はっと、むねを突かれ、顔の血の気が無くなったのを自分ではっきり意識いたしました。
「いつ来たの?」妹は、無心のようでございます。私は、気を取り直して、
「ついさっき。あなたが眠っていらっしゃる間に。あなた、笑いながら眠っていたわ。あたし、こっそりあなたの枕もとに置いといたの。知らなかったでしょう?」
「ああ、知らなかった。」妹は、夕闇の迫った薄暗い部屋の中で、白く美しく笑って、「ねえさん、あたし、この手紙読んだの。おかしいわ。あたしの知らないひとなのよ。」

 知らないことがあるものか。私は、その手紙の差出人のM・Tという男のひとを知っております。ちゃんと知っていたのでございます。いいえ、お逢いしたことは無いのでございますが、私が、その五、六日まえ、妹の箪笥をそっと整理して、その折に、ひとつの引き出しの奥底に、一束の手紙が、緑のリボンできっちり結ばれて隠されて在るのを発見いたし、いけないことでしょうけれども、リボンをほどいて、見てしまったのでございます。およそ三十通ほどの手紙、全部がそのM・Tさんからのお手紙だったのでございます。もっとも手紙のおもてには、M・Tさんのお名前は書かれておりませぬ。手紙の中にちゃんと書かれてあるのでございます。そうして、手紙のおもてには、差出人としていろいろの女のひとの名前が記されてあって、それがみんな、実在の、妹のお友達のお名前でございましたので、私も父も、こんなにどっさり男のひとと文通しているなど、夢にも気附かなかったのでございます。

 きっと、そのM・Tという人は、用心深く、妹からお友達の名前をたくさん聞いて置いて、つぎつぎとその数ある名前を用いて手紙を寄こしていたのでございましょう。私は、それにきめてしまって、若い人たちの大胆さに、ひそかに舌を巻き、あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく、けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、私まで、なんだか楽しく浮き浮きして来て、ときどきは、あまりの他愛なさに、ひとりでくすくす笑ってしまって、おしまいには自分自身にさえ、広い大きな世界がひらけて来るような気がいたしました。

 私も、まだそのころは二十になったばかりで、若い女としての口には言えぬ苦しみも、いろいろあったのでございます。三十通あまりの、その手紙を、まるで 谷川が流れ走るような感じで、ぐんぐん読んでいって、去年の秋の、最後の一通の手紙を、読みかけて、思わず立ちあがってしまいました。雷電に打たれたときの気持って、あんなものかも知れませぬ。のけぞるほどに、ぎょっと致しました。妹たちの恋愛は、心だけのものではなかったのです。もっと醜くすすんでいたのでございます。私は、手紙を焼きました。一通のこらず焼きました。M・Tは、その城下まちに住む、まずしい歌人の様子で、卑怯なことには、妹の病気を知るとともに、妹を捨て、もうお互い忘れてしまいましょう、など残酷なこと平気でその手紙にも書いてあり、それっきり、一通の手紙も寄こさないらしい具合でございましたから、これは、私さえ黙って一生ひとに語らなければ、妹は、きれいな少女のままで死んでゆける。誰も、ごぞんじ無いのだ、と私は苦しさを胸一つにおさめて、けれども、その事実を知ってしまってからは、なおのこと妹が可哀そうで、いろいろ奇怪な空想も浮んで、私自身、胸がうずくような、甘酸っぱい、それは、いやな切ない思いで、あのような苦しみは、年ごろの女のひとでなければ、わからない、生地獄でございます。まるで、私が自身で、そんな憂き目に逢ったかのように、私は、ひとりで苦しんでおりました。あのころは、私自身も、ほんとに、少し、おかしかったのでございます。

「姉さん、読んでごらんなさい。なんのことやら、あたしには、ちっともわからない。」
 私は、妹の不正直をしんから憎く思いました。
「読んでいいの?」そう小声で尋ねて、妹から手紙を受け取る私の指先は、当惑するほど震えていました。ひらいて読むまでもなく、私は、この手紙の文句を知っております。けれども私は、何くわぬ顔してそれを読まなければいけません。手紙には、こう書かれてあるのです。私は、手紙をろくろく見ずに、声立てて読みました。

 ――きょうは、あなたにおわびを申し上げます。僕がきょうまで、がまんしてあなたにお手紙差し上げなかったわけは、すべて僕の自信の無さからであります。僕は、貧しく、無能であります。あなたひとりを、どうしてあげることもできないのです。ただ言葉で、その言葉には、みじんも嘘が無いのでありますが、ただ言葉で、あなたへの愛の証明をするよりほかには、何ひとつできぬ僕自身の無力が、いやになったのです。あなたを、一日も、いや夢にさえ、忘れたことは ないのです。けれども、僕は、あなたを、どうしてあげることもできない。それが、つらさに、僕は、あなたと、おわかれしようと思ったのです。あなたの不幸が大きくなればなるほど、そうして僕の愛情が深くなればなるほど、僕はあなたに近づきにくくなるのです。おわかりでしょうか。僕は、決して、ごまかしを 言っているのではありません。僕は、それを僕自身の正義の責任感からと解していました。けれども、それは、僕のまちがい。僕は、はっきり間違って居りました。おわびを申し上げます。僕は、あなたに対して完璧の人間になろうと、我慾を張っていただけのことだったのです。僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。つねに、自身にできる限りの範囲で、それを為し遂げるように努力すべきだと思います。どんなに小さいことでもよい。タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています。毎日、毎日、歌をつくってお送りします。それから、毎日、毎日、あなたのお庭の塀のそと で、口笛吹いて、お聞かせしましょう。あしたの晩の六時には、さっそく口笛、軍艦マアチ吹いてあげます。僕の口笛は、うまいですよ。いまのところ、それだけが、僕の力で、わけなくできる奉仕です。お笑いになっては、いけません。いや、お笑いになって下さい。元気でいて下さい。神さまは、きっとどこかで見て います。僕は、それを信じています。あなたも、僕も、ともに神の寵児です。きっと、美しい結婚できます。
 待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり
 僕は勉強しています。すべては、うまくいっています。では、また、明日。M・T。

「姉さん、あたし知っているのよ。」妹は、澄んだ声でそう呟き、「ありがとう、姉さん、これ、姉さんが書いたのね。」

 私は、あまりの恥ずかしさに、その手紙、千々に引き裂いて、自分の髪をくしゃくしゃ引きってしまいたく思いました。いても立ってもおられぬ、とはあんな思いを指して言うのでしょう。私が書いたのだ。妹の苦しみを見かねて、私が、これから毎日、M・Tの筆蹟を真似て、妹の死ぬる日まで、手紙を書き、下手な和歌を、苦心してつくり、それから晩の六時には、こっそり塀の外へ出て、口笛吹こうと思っていたのです。
 恥かしかった。下手な歌みたいなものまで書いて、恥ずかしゅうございました。身も世も、あらぬ思いで、私は、すぐには返事も、できませんでした。

 「姉さん、心配なさらなくても、いいのよ。」妹は、不思議にも落ちついて、崇高なくらいに美しく微笑していました。「姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう? あれは、ウソ。あたし、あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて、あたしに宛てて投函していたの。姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になってから、それが、はっきりわかって来たの。ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い。あさましい。ばかだ。あたしは、ほんとうに男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。お悧巧すぎた。ああ、死ぬなんて、いやだ。あたしの手が、指先が、髪が、可哀そう。死ぬなんて、いやだ。いやだ。」

 私は、かなしいやら、こわいやら、うれしいやら、はずかしいやら、胸が一ぱいになり、わからなくなってしまいまして、妹の痩せた頬に、私の頬をぴったり押しつけ、ただもう涙が出て来て、そっと妹を抱いてあげました。そのとき、ああ、聞えるのです。低く幽かに、でも、たしかに、軍艦マアチの口笛でございます。妹も、耳をすましました。ああ、時計を見ると六時なのです。私たち、言い知れぬ恐怖に、強く強く抱き合ったまま、身じろぎもせず、そのお庭の葉桜の奥から聞えて来る不思議なマアチに耳をすまして居りました。
 神さまは、在る。きっと、いる。私は、それを信じました。妹は、それから三日目に死にました。医者は、首をかしげておりました。あまりに静かに、早く息をひきとったからでございましょう。けれども、私は、そのとき驚かなかった。何もかも神さまの、おぼしめしと信じていました。

 いまは、――年とって、もろもろの物慾が出て来て、お恥かしゅうございます。信仰とやらも少し薄らいでまいったのでございましょうか、あの口笛も、ひょっとしたら、父の仕業ではなかったろうかと、なんだかそんな疑いを持つこともございます。学校のおつとめからお帰りになって、隣りのお部屋で、私たちの話を立聞きして、ふびんに思い、厳酷の父としては一世一代の狂言したのではなかろうか、と思うことも、ございますが、まさか、そんなこともないでしょうね。父が在世中なれば、問いただすこともできるのですが、父がなくなって、もう、かれこれ十五年にもなりますものね。いや、やっぱり神さまのお恵みでございましょう。

 私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年とって来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。


―――

先日ある女子生徒に、これまで読んだ作品の中で、最も印象に残ったものを尋ねると、この作品を挙げました。「汚いけどきれいな話」とその生徒は形容しました。

太宰はこの作品でも、切実に執拗に、卑しくも純粋な人間たちを描いています。

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by terakoyanet | 2013-07-18 12:50 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 18日

芥川龍之介「神秘主義」

芥川龍之介「神秘主義」-侏儒の言葉より-

 神秘主義は文明のために衰退し去るものではない。寧ろ文明は神秘主義に長足の進歩を与えるものである。

 古人は我々人間の先祖はアダムであると信じていた。という意味は創世記を信じていたということである。今人は既に中学生さえ、猿であると信じている。という意味はダーウィンの著書を信じているということである。つまり書物を信ずることは今人も古人も変わりはない。その上古人は少なくとも創世記に目を曝らしていた。今人は少数の専門家を除き、ダーウィンの著書も読まぬ癖に、恬然とその説を信じている。猿を先祖とすることはエホバの息吹きのかかった土、―アダムを先祖とすることよりも、光彩に富んだ信念ではない。しかも今人は悉こういう信念に安んじている。

 これは進化論ばかりではない。地球は円いということさえ、ほんとうに知っているものは少数である。大多数は何時か教えられたように、円いと一途に信じているのに過ぎない。なぜ円いかと問いつめて見れば、上愚は総理大臣から下愚は腰弁に至るまで、説明の出来ないことは事実である。

 次にもう一つ例を挙げれば、今人は誰も古人のように幽霊の実在を信ずるものはない。しかし幽霊を見たという話は未だに時々伝えられる。ではなぜその話を信じないのか? 幽霊などを見る者は迷信に囚われて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。こういう今人の論法は勿論所謂循環論法に過ぎない。

 況や更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性に耳を借さない。いや、理性を超越した何物かのみに耳を借すのである。何物かに、―わたしは「何物か」という以前に、ふさわしい名前さえ発見出来ない。もし強いて名づけるとすれば、薔薇とか魚とか蝋燭とか、象徴を用うるばかりである。たとえば我々の帽子でも好い。我々は羽根のついた帽子をかぶらず、ソフトや中折をかぶるように、祖先の猿だったことを信じ、幽霊の実在しないことを信じ、地球の円いことを信じている。もし嘘と思う人は日本に於けるアインシュタイン博士、或いはその相対性原理の歓迎されたことを考えるが好い。あれは神秘主義の祭である。不可解なる荘厳の儀式である。何のために熱狂したのかは「改造」社主の山本氏さえ知らない。

 すると偉大なる神秘主義者はスウェデンボルグだのベーメだのではない。実は我々文明の民である。同時にまた我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或いは神意に似た好悪である。実際また西施や竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない。


―――




芥川が「神秘主義」という言葉で批判したことを現在の私たちは何度でも反芻して考えるべきではないでしょうか。

私たちの将来を左右する国政選挙も「我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或い神意に似た好悪である」とすれば、何とも不気味なものです。



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by terakoyanet | 2013-07-18 12:37 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 17日

森鷗外「牛鍋」

森鴎外「牛鍋」  

 鍋はぐつぐつ煮える。
 牛肉の紅は男のすばしこい箸で反される。白くなった方が上になる。
 斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱は、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。

 箸のすばしこい男は、三十前後であろう。晴着らしい印半纏を着ている。傍に折鞄が置いてある。
 酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。

 酒を注いで遣る女がある。男と同年位であろう。黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている。
 女の目は断えず男の顔に注がれている。永遠に渇しているような目である。目の渇は口の渇を忘れさせる。女は酒を飲まないのである。

 箸のすばしこい男は、二三度反した肉の一切れを口に入れた。丈夫な白い歯で旨そうに噬んだ。
 永遠に渇している目は動く顎に注がれている。

 しかしこの顎に注がれているのは、この二つの目ばかりではない。目が今二つある。
 今二つの目の主は七つか八つ位の娘である。無理に上げたようなお煙草盆に、小さい花簪を挿している。白い手拭を畳んで膝の上に置いて、割箸を割って、手に持って待っているのである。

 男が肉を三切四切食った頃に、娘が箸を持った手を伸べて、一切れの肉を挟もうとした。男に遠慮がないのではない。そんならと云って男を憚るとも見えない。
「待ちねえ。そりゃあまだ煮えていねえ。」
 娘はおとなしく箸を持った手を引っ込めて、待っている。
 永遠に渇している目には、娘の箸の空しく進んで空しく退いたのを見る程の余裕がない。

 暫くすると、男の箸は一切れの肉を自分の口に運んだ。それはさっき娘の箸の挟もうとした肉であった。
 娘の目はまた男の顔に注がれた。その目の中には怨も怒もない。ただ驚がある。

 永遠に渇している目には、四本の箸の悲しい競争を見る程の余裕がなかった。
 女は最初自分の箸を割って、盃洗の中の猪口を挟んで男に遣った。箸はそのまま膳の縁に寄せ掛けてある。永遠に渇している目には、またこの箸を顧みる程の余裕がない。

 娘は驚きの目をいつまで男の顔に注いでいても、食べろとは云って貰われない。もう好い頃だと思って箸を出すと、その度毎に「そりゃあ煮えていねえ」を繰り返される。
 驚の目には怨も怒もない。しかし卵から出たばかりの雛に穀物を啄ませ、胎を離れたばかりの赤ん坊を何にでも吸い附かせる生活の本能は、驚の目の主にも動く。娘は箸を鍋から引かなくなった。

 男のすばしこい箸が肉の一切れを口に運ぶ隙に、娘の箸は突然手近い肉の一切れを挟んで口に入れた。もうどの肉も好く煮えているのである。少し煮え過ぎている位である。

 男は鋭く切れた二皮目で、死んだ友達の一人娘の顔をちょいと見た。叱りはしないのである。ただこれからは男のすばしこい箸が一層すばしこくなる。代りの生を鍋に運ぶ。運んでは反す。反しては食う。
 しかし娘も黙って箸を動かす。驚の目は、ある目的に向って動く活動の目になって、それが暫らくも鍋を離れない。大きな肉の切れは得られないでも、小さい切れは得られる。好く煮えたのは得られないでも、生煮えなのは得られる。肉は得られないでも、葱は得られる。

 浅草公園に何とかいう、動物をいろいろ見せる処がある。名高い狒々のいた近辺に、母と子との猿を一しょに入れてある檻があって、その前には例の輪切にした薩摩芋が置いてある。見物がその芋を竿の尖に突き刺して檻の格子の前に出すと、猿の母と子との間に悲しい争奪が始まる。芋が来れば、母の乳房を銜んでいた子猿が、乳房を放して、珍らしい芋の方を取ろうとする。母猿もその芋を取ろうとする。子猿が母の腋を潜り、股を潜り、背に乗り、頭に乗って取ろうとしても、芋は大抵母猿の手に落ちる。それでも四つに一つ、五つに一つは子猿の口にも入る。
 母猿は争いはする。しかし芋がたまさか子猿の口に這入っても子猿を窘めはしない。本能は存外醜悪でない。

 箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。
 人は猿よりも進化している。

 四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手とに使役せられているのに、今二本の箸はとうとう動かずにしまった。
 永遠に渇している目は、依然として男の顔に注がれている。世に苦味走ったという質の男の顔に注がれている。

 一の本能は他の本能を犠牲にする。
 こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。
 人は猿より進化している。


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鷗外独特の人間観察眼が発揮された掌編。
牛鍋を囲む三人の食欲と情欲の交錯を描いています。

「人は猿より進化している。」
2回でてくるこの文言。1回目と2回目とでは、含みが異なるところが面白いですね。


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by terakoyanet | 2013-07-17 16:54 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 17日

寺田寅彦「流言蜚語」

寺田寅彦「流言蜚語」

 長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。

 ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼が起らない。尤も火花のすぐそばでは、火花のために化学作用が起るが、そういう作用が、四方へ伝播しないで、そこ限りですんでしまう。

 流言蜚語の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。
 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなければ「伝播」は起らない。従っていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場限りに立ち消えになってしまう事も明白である。

 それで、もし、ある機会に、東京市中に、ある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない。事によると その九割以上も負わなければならないかもしれない。何とならば、ある特別な機会には、流言の源となり得べき小さな火花が、故意にも偶然にも到る処に発生するという事は、ほとんど必然な、不可抗的な自然現象であるとも考えられるから。そしてそういう場合にもし市民自身が伝播の媒質とならなければ流言は決して有効に成立し得ないのだから。

 「今夜の三時に大地震がある」という流言を発したものがあったと仮定する。もしもその町内の親爺株の人の例えば三割でもが、そんな精密な地震予知の不可能だという現在の事実を確実に知っていたなら、そのような流言の卵は孵化しないで腐ってしまうだろう。これに反して、もしそういう流言が、有効に伝播したとしたら、どうだろう。それは、このような明白な事実を確実に知っている人が如何に少数であるかという事を示す証拠と見られても仕方がない。

 大地震、大火事の最中に、暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする。その場合に、市民の大多数が、仮りに次のような事を考えてみたとしたら、どうだろう。

 例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量を推定し、 また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。いずれにしても、暴徒は、地震前からかなり大きな毒薬のストックをもっていたと考えなければならない。そういう事は有り得ない事ではないかもしれないが、少しおかしい事である。

 仮にそれだけの用意があったと仮定したところで、それからさきがなかなか大変である。何百人、あるいは何千人の暴徒に一々部署を定めて、毒薬を渡して、各方面に派遣しなければならない。これがなかなか時間を要する仕事である。さてそれが出来たとする。そうして一人一人に授けられた缶を背負って出掛けた上で、自分の受持方面の井戸の在所を捜して歩かなければならない。井戸を見付けて、それから人の見ない機会をねらって、いよいよ投下する。しかし有効にやるためにはおおよその井戸水の分量を見積ってその上で投入の分量を加減しなければならない。そうして、それを投入した上で、よく溶解し混和するようにかき交ぜなければならない。考えてみるとこれはなかなか大変な仕事である。

 こんな事を考えてみれば、毒薬の流言を、全然信じないとまでは行かなくとも、少なくも銘々の自宅の井戸についての恐ろしさはいくらか減じはしないだろうか。

 爆弾の話にしても同様である。市中の目ぼしい建物に片ッぱしから投げ込んであるくために必要な爆弾の数量や人手を考えてみたら、少なくも山の手の貧しい屋敷町の人々の軒並に破裂しでもするような過度の恐慌を惹き起さなくてもすむ事である。

 尤も、非常な天災などの場合にそんな気楽な胸算用などをやる余裕があるものではないといわれるかもしれない。それはそうかもしれない。そうだとすれば、それはその市民に、本当の意味での活きた科学的常識が欠乏しているという事を示すものではあるまいか。

 科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。

 勿論、常識の判断はあてにはならない事が多い。科学的常識は猶更である。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝す事なくて済みはしないかと思われるのである。

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関東大震災の際、流言蜚語により多くの犠牲者が出たことに関連して、寺田寅彦が鋭い批判を展開した文章。

科学という文明の利器を手に入れた人間が、実際には依然として感情的で野蛮な判断で動いていること、人々は科学を盲信するばかりで、その中身については慎重に検討しようとしないこと。
寺田はずっとそういう人たちにメッセージを送り続けており、それらの文章は、いまの私たちにも十分に警鐘となりうるものです。


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by terakoyanet | 2013-07-17 11:45 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)