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2017年 03月 21日

今日は16年目スタートの朝。

昨日、春うららマーケットにご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
オープンからしばらくの間は行列が途絶えることなく続き、途中からは雨も降ってきましたから入店まで1時間弱お待たせした皆さまに(小さい子を連れた方も多く)申し訳ない気持ちでした。

でも、マーケットが盛況だったことはとても嬉しくありがたいことと、出店された皆さんと喜びました。
会場を植物で埋め尽くしてくださった花屋マウンテンさんをはじめ、出店された方々のプロフェッショナルさに驚愕し感激する1日でした。

たくさんの卒業生も顔を出してくれました。長濱先生も喜んでいましたよ。みんなありがとう。

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かるべけいこさん(自然料理家)、城慶典さん(ミツル醤油)、野中元さん(写真家・百姓)をゲストに迎え、山内泰さん(ドネルモ代表・㈱ふくしごと取締役)が司会を務めたトークライブは素晴らしく豊かな時間でした。

お客様たち、出店・出演の皆さま、そして寺子屋・とらきつねのスタッフの皆さん、ありがとうございました。とても楽しい1日でした。


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今日、3月21日に唐人町寺子屋は16年目(15周年)の朝を迎えました。(とらきつねは3年目(2周年)。)
当時25歳だった私は40歳になりました。
私の精神は未成熟なままですが、寺子屋という塾はその間に随分成熟しました。

今年は寺子屋の成熟をますます皆さんに還元するときだと思っています。
目の前にいる生徒の「いま」に誠実に向き合っていきたいと思います。


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by terakoyanet | 2017-03-21 09:48 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 20日

もっと疑う力を。

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この画像の問題は、二酸化炭素濃度の上昇が、いかに地球の平均気温を上昇させているかということを類推するという、中3理科で頻出の問題ですが、私はこの問題を指導するときに、強い懸念を覚えます。

この2つのグラフを見て、「二酸化炭素濃度の上昇にともなって、平均気温も次第に上昇している。」と答えることができた生徒は正解となるのですが、私は、このような問題に子どもたちを馴れさせたくないと感じています。

この2つのグラフだけを見て、その2つを関連付けることは、とても恣意的です。
この左のグラフが右上がりになっているからと言って、それが右のグラフに直接的な影響を与えているかどうかなど本来はわからないはずです。(もしそれでOKなら、代わりに何か適当に右上がりのグラフを持ってこれば何だって成立することになります。) それなのに、何の疑いもなく、この2つのグラフに相関関係があることを読みとらせる、これは、疑う力を鈍らせます。恣意的な情報操作に騙されやすくなります。

むしろ私たちに必要なのは、そこに本当に相関性が存在するのかを疑い、見極める力です。それこそが生きる力につながります。もっともっと「疑う」力をつけることが、私たちにはどうしても必要です。




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by terakoyanet | 2017-01-20 01:43 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 09日

ご心配をおかけしました。

新年早々の体調不良で大変ご心配をおかけしました。
センター、早稲田佐賀入試、専願入試の直前というタイミングで高熱が出てしまい、どうするべきか迷いましたが、できるかぎり、長濱先生など信頼できる先生方にお仕事をお任せすることで乗り切る方向にいたしました。

それでもやむを得ず休講になった授業等もあります。
補講が可能なものに関しては、改めてご連絡いたします。

明日からは万全を期した形で復帰できそうです。
たくさんのご心配をいただきました。本当に申し訳ありません。

今晩はセンター試験直前の現代国語の授業が行われました。
私がいない状況でどうやってこの最後の授業を乗り切るか考えた結果
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分刻みのスケジュールと、私の言霊(今日の授業で話すはずだった解説のすべてを書いた解説用紙)を肘井先生に託して授業を運営してもらうことに。センターを目前にした高3たちへのメッセージも託しました。何か伝わるものがあればと切望しています。

長濱先生と肘井先生には(さらに他の先生方にも)大変難しいお仕事をお願いしました。本当にありがとうございました。


冬期講習を終え、いよいよ明日からは3学期のスタート。1年の総仕上げが始まります。




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by terakoyanet | 2017-01-09 22:17 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 03日

ミコさんとGoogle 翻訳

今年のはじめにジャワ島で知り合ったミコさんのお宅を訪問した記事を書いたことがあったのですが、そのミコさんからFBでメッセージが届き、家族の近況のほかに、上記の記事を読んだこと、そして寺子屋ブログを楽しんでいるということが書かれていました。

ミコさんによると、Googleの翻訳機能が最近劇的に改善したらしく、それでこちらのブログを日本語→英語に翻訳して読むようになったとのこと。

ミコさんがメッセージで感想を寄せてくれたのは昨年の11月に書いた「マラケシュの神学校、マドラサ・ベン・ユーセフ」という記事で、それを読んでくれた彼の感想がそのまま、彼がその記事を丁寧に読み解いてくれたことを物語っていて、冗長な文章を読んでくれた彼に感謝するとともに、(この文章だって読んでくれるかもしれない!)Google 翻訳ってほんとうにすごいのだな、と驚かされました。

以下にミコさんが読んでくれた記事とその訳をあげますが、確かに、主語や代名詞の取り違い、動詞や俗語の誤訳など、大きな問題が散見されるものの、しかしかつての翻訳とは比べ物にならない精度で、確かにこれならば、辛抱強く読めば、ある程度使い物になると感じました。今後、もっともっと翻訳技術は向上していくのでしょうね。今回の翻訳の進化は、「文章をパーツごとに翻訳するのではなく、ひとつの文として扱う」ニューラルネットという方法の採用によるものということですが、それを支えるアルゴリズムっていったいどうなっているんだろうと、その深い穴を覗いてみたくなります。

―――――
(和文)

マラケシュで最も印象に残っている場所をひとつ挙げるように言われたら、迷わずマドラサ・ベン・ユーセフが最初に頭に浮かぶ。

マドラサというのは神学校(高等教育機関)のことで、ここベン・ユーセフは16世紀に建てられたマラケシュ最大の学校である。最大とは言っても、メディナの迷路の中で、何の変哲もない外壁に囲まれたこの建物を見つけることは容易ではなく、ツアリストたちは、地元の人―ときには炎天下の中、別の場所に連れ回されたあげく不当な案内料を請求するガイドたち―の世話にならないと、なかなかたどり着けるものではない。

ようやくたどり着いて、この建物の中に入った人たちの多くが驚きの声を上げるに違いない。そこは、一歩足を踏み入れると、まさに別世界。たった数秒前に味わった喧騒が嘘のような静寂。

体に纏わりついた熱気をふるい払うかのように首を縦横に振ったあと、ゆっくり深呼吸をする。そうやって心身の状態を切り替えると、とたんに眩暈がするような緻密な美しさが体の中に染みるように入っていくのを感じる。

イスラム建築の美しさは、内部にその美を秘めているところにある。
外観だけを取り繕おうとする美が多い世界の中で、外観では想像もつかなかった精密な美の世界が内部に宿っているのを目撃するのは、それだけで非常に眩(まばゆ)い経験だ。壁面は鮮やかながら、すべてがアラベスクの幾何学模様で飾られているために、知性的な落ち着いた雰囲気を感じる。

マドラサが私に強く印象を残したのは、その建物が、全寮制の学校としての形をそのまま保存していたからである。鮮やかな壁面をもつ中庭と礼拝室の周囲は、2階建ての寮室群に囲まれていて、その寮室ひとつひとつを覗き見ることができた。

寮室はとても質素なつくりで、外光をうまく取り入れることができる構造になっている。この禁欲的な部屋で勉学に打ち込んだかつての学生の姿を想像した。

神学校と言ったところで、きっとほとんどの人にとって縁遠いものと思われるに違いない。でも、私自身は人生で、神学校という存在を身近に感じた時期がある。

私は実家がカトリックで幼少のころから毎日教会に通っていて、少年時代に、約十年もの間「ミサ答え」と呼ばれる神父の侍者を経験した。そして、中学に上がるときに、教会の神父やシスターたちから「神父にならないか」と声がかかった。ひとつ上の姉が、すでに修道院に入っていた私にとって、その誘いはあまりに現実的で切実な声で、大人の声に応えなければならないのだろうか、と考えた時期があった。でも周囲の懸命な教えにかかわらず神の存在の是非についてさえも保留していた私は、自分には意志も適性もないということがわかっていたので、それを拒否した。人生で初めて意識的に自分の意志を示したのはこのときだったと思う。

普通の公立中学校に入って驚いた。突然、大人たちが本音で語りだしたように見えた。こんなに醜い世界に住んでいたのかと、大人の偏狭さと、学校という狭い世界で起こるさまざまな理不尽さに慄(おのの)いた。
小学校からの大切な友人、最も身近な友人がいじめに遭った。彼は成績優秀で頭の回転が早かった。そして嫌味にならないユーモアと優しさを兼ね備えていて、私はそのキャラクターが羨ましかった。そんな彼が、「ガリ勉」のレッテルを貼られ、その人格を矮小化された結果、一部の人間に疎まれ、単なるストレス発散のはけ口として暴力を振るわれた。それが日常的に続いた。何もできない私は何度も学校の先生に相談しようと思った。周りの友人たちは自分の身を守ることで精一杯だったのか、誰もそんなことは口に出す雰囲気はなかった。次はわが身なのである。もう諦めている、というか、ただ我慢していまをやり過ごす、そう考えているように見えた。先生に相談しようと私は手紙まで書いたが、結局のところ渡せずじまいだった。私が単に意気地なしだったのであろうが、そのときは信頼できる大人がいないことを恨んだ。なぜ大人の誰かが手を差し伸べてくれないのかと思った。

ある夜私はおもむろにふとんから出てふとんの上に跪(ひざまず)いた。そして人生で初めて神様に祈った。
「○○くんを助けてください。○○くんを助けてあげられなくてごめんなさい。」
その夜から、毎晩親に気づかないようにふとんから出て、ふとんの上に跪き、神様に祈った。「○○くんを助けてください。」
祈りをささげるときにぶるっと震えながらつけた、電気ストーブの肌を焼くようなひりひりとした熱さを昨日のことのように思い出す。

マドラサ・ベン・ユーセフの質素な寮室を覗き見したとき、神と近しかった過去のことが鮮やかに蘇った。かつてこの部屋で学問に勤しんだ学生の孤独に懐かしみと親しみを覚えた。
きっと学問と祈りというのは近接している。学問は、祈りと同じような深厚な動機がなくては、成しえないもの、私にはそう思える。私にとって、祈りはやや縁遠いものになってしまったけれど、マドラサ・ベン・ユーセフは、学問と祈りとが折り重なる場所として、私に深遠な印象を残した。


―――

(English - Google Translate)

If you are told to mention one of the most impressive places in Marrakesh, Madrasa Ben Youssef comes to mind first without hesitation.

Madrassa is a seminary (higher education institution), here Ben Youssef is the largest school in Marrakech built in the 16th century. Even so, it is not easy to find this building surrounded by any exotic wall in the Medina's maze, the tourists are a local person - sometimes in a blazing sun, in a different place It is not something that you can not reach easily unless you become care for the guides who requested an unreasonable guidance fee brought back to you.

Finally arrived, many of the people who entered this building will be surprised. That is exactly a different world if you step one step. The tranquil taste just a few seconds ago is a lie silence.

Take a deep breath slowly after swinging the neck vertically and horizontally as if sifting through the body warming up. By doing so, when switching the state of mind and body, I feel that a precise beauty like a dizzy will soak in the body.

The beauty of Islamic architecture lies in its inner beauty.
Witnessing the world of precision beauty that did not imagine in the appearance in the world where beauty is solely trying to repair only the appearance is witnessing that it is very dazzling It is. The walls are bright but all are decorated with arabesque geometric patterns, so they feel intelligent calm atmosphere.

Madrassa left me a strong impression because the building preserved the shape as a school of a boarding school as it was. The courtyard with a brilliant wall and the surroundings of the worship room were surrounded by two-story dormitory groups, and I was able to look into each dormitory room.

The dorm room is very simple and has a structure that can incorporate external light well. I imagined the appearance of a former student who devoted studies in this ascetic room.

I am sure that it seems to be far from most people, just as I said the seminary. However, I myself have a time when I felt close to the existence of the theological school in my life.

My parents are Catholic and go to church everyday from childhood and in a boyhood I experienced a priest's priest called "Mass answer" for about ten years. And as I went up to junior high, the church's priests and sisters got a voice saying "Will not you become a priest?" For my one older sister who had already entered the monastery, there was a time when I thought that the invitation would be too realistic and furious to respond to the voice of an adult. But I refused, as I knew that neither will nor aptitude was for myself, even though I was holding on even the pros and cons of God's existence regardless of the hard teachings of the surroundings. I think that it was this time that I showed my will consciously for the first time in my life.

I was surprised at entering an ordinary public junior high school. Suddenly, it seemed like the adults started to talk in real intention. Were you living in such an ugly world, shivering for the narrowness of adults and the various unreasonable things that happen in the narrow world of school.
An important friend from an elementary school, the most familiar friend got bullied. He was excellent in grades and his head was quick. And I combine humor and kindness which is not disgusting, I envied the character. Such a person was affixed the label of "girls studies", and as a result of its dwarfing of its personality, it was misleading by some human beings, and was violent as a mere source of stress dissipation. It continued on a daily basis. I could not do anything I tried to consult with my teacher many times. Were all my friends all I could do to protect myself, nobody had the atmosphere to say such a thing. Next is ours. It seems that he is thinking that he is giving up, or just overriding patience and passing through now. I wrote letters to talk to the teacher, but I could not hand it over after all. I would have merely been unwilling, but at that time I hated that there were no reliable adults. I thought why some adults would not reach out.

One night I gradually went out of the futon and kneered on the futon. And I prayed to God for the first time in my life.
"Please help me, I'm sorry I can not help you, ok."
From that night, I came out of the futon not to notice my parents every night, I kneered on the futon and prayed to God. "Please help me ○ ○."
I remember as though it was yesterday 's hotness that burns an electric stove' s skin burning while trembling when praying.

When I looked into the frugal dormitory room of Madrasa Ben Youssef, the things that were close to God revived vividly. I felt nostalgia and familiarity with the loneliness of students who used to study in this room.
Surely science and prayer are in close proximity. I think that science is something that can not be done without a deep motive similar to prayer. For me, prayers have become somewhat far away, but Madrasa Ben Youssef left me a profound impression as a place where academics and prayer fold over.


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by terakoyanet | 2016-12-03 03:29 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 31日

10月31日のお知らせなど

今日はお天気が崩れていますが、一昨日、昨日と秋らしい青空に恵まれ、そんな中で勉強する受験生たちが窓越しに外の美しい空を見ながら「あ~あーー」「気持ちよさそうー。。」とつぶやいているのを見て、不憫に思いました。
中1と中2は急に風邪引きが多くなりました。咳と鼻すすりの音のせいで、国語の音読をしている子の声が聞こえないほど。急に冷えてきました。どうか気をつけてください。

私のほうは、本日の早朝から胃痛と鼻炎が酷く、発熱しており、21時からの高校生の現代国語のみお休みさせていただくこととなりました。(風邪ではありませんので、ほかの授業には出席します。) センターも近い大切なこの時期に本当に申し訳ありません。単に週末の過労による発熱だと思うのですが、自分の身体の弱さを情けなく思っています。

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ようやく先日出そろった中間テストの成績状況や、期末テストに向けた子どもたちの様子、さらに、先週の進学説明会の後、子どもたちが大きく変化したことなど、お伝えしたいことは山ほどです。またお知らせさせていただきます。




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by terakoyanet | 2016-10-31 17:03 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 18日

りまさんの写真

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(*写真はweb東奥さんより)

このはじける笑顔の10日後に亡くなった葛西りまさんの写真がご遺族の意思で公表されました。
りまさんのご家族が写真の公開に踏み切った経緯についてはこちらの記事に書かれています。

いじめで亡くなったりまさん。いじめは本当にむごいことなんだ、人の命を奪うほどのことなんだということを、中高生のみんな一人ひとりがかみしめてほしいと思います。

いじめを正当化する理由なんて、何一つないんです。
「○○だから、あの子が悪い」なんて理由をつけて、人をいじめたり無視したりするのは間違っているんです。

ひとり対複数になった時点で、複数側は卑怯です。
ひとりの子に対して、複数で悪口を言ったり、無視したり、絶対にしないで。

女の子たちが自分を守るために、自分たちで楽しむために、派閥(グループ)を作る気持ちはわかります。
一人ひとりはそんなに強くないし、グループを作ることで本当にいい友だちと出会えることだってあるよね。

でも、いつでも、派閥を作ることにはリスクがあること、それによって除け者(のけもの)にされて、傷つく人がいるという事実から、目を背けないで。私も周りの人も幸せになるように、考えて行動しましょう。

そして、この写真を見ても、何も感じない人に対して、その人たちを責めないで。
その人たちの固まってしまった心は、溶かすのに時間がかかるのです。
争う前に、その人たちが、いったい何を考えているのか、想像してみることからしか、何も前に進みません。

想像してその人たちの心が「わかる」わけではないかもしれません。
でも、想像してみる、寄り添おうとしてみる、そのことはとても大切です。


それにしても、りまさんの写真、本当に素敵ですね。



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by terakoyanet | 2016-10-18 13:59 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 12日

祖母のこと

今日は、認知症を患い、最近は食べ物もあまり喉を通らなくなった祖母に会いに大刀洗へ。

先々月に会ったときより痩せていて心配になったけれど、最近は会うたびに、また会えますようにと願ってさよならしているから、いまは会えたうれしさが静かに心を満たしています。

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祖母のいる部屋に見たことがないアルバムがあり、それを開いて見てみると、祖母や今は亡き祖父、幼き日の父と兄弟が写った写真が何枚も綴じられていました。

その中に、祖母(写真右端)がたくさんの子どもたちと写った写真があり、「これは?」と母に尋ねると、「おばあちゃんは保育所を作ったんよ。子どもの世話できる人を連れてきて。そのころは平戸にそういうのはなかったけんね。」との答え。初めて聞く話に私は驚き、写真を祖母の顔にぎゅっと近づけて見せながら「おばあちゃん、保育所始めたの!?すごいねー!」と大声で話すと、祖母はこのときだけ、ぎゅーーっと口を噛み締めて、全てのエネルギーを顔の中心に集めるような表情をして、おばあちゃん、認知症が進んで自分でお話しもできなくなって、いろいろなことがわからない、忘れてしまったと思われているけど、おばあちゃん違うよね、ちゃんと覚えているよね、この保育所のこと、この子どもたちのこと、だからいま精いっぱい何か伝えようとしたんだよね、そう思うと、ほんとうに祖母に保育所を始めたときの話を聞きたかったと思うし、胸の深くからこみ上げてくるものを感じます。

いま私の父は、大刀洗で社会福祉法人の運営に携わっており、海の星保育園(下のしゃしん)というところの園長を務めています。祖母のが始めた保育所と、海の星保育園は、何も関係がないのだけど、でもどこかで繋がっているんだろうなとも思うのです。

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by terakoyanet | 2016-10-12 18:03 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2016年 10月 01日

これからもよろしくお願いします。

昨日あたりに、2007年のブログ開設以来のアクセスが、200万ヴューを超えたようです。

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定員計165名の当校に入塾される方の9割以上が、お友達からのご紹介、またはこちらのブログを経由してのご縁であり、新聞広告等をほとんど出さない本校にとっては、まさに広告塔と言える存在です。

開設10年目という節目とも重なり、特にこれまで長く続けるためのモチベーションを与え続けてくれた子どもたち、保護者様方に改めて感謝の気持ちです。

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ここに1枚の開設1年目に撮った宮崎夏合宿の写真があります。
このころはデジカメではなく、写ルンですで撮影していました。

写真の中で笑っている彼らもすっかり大人になりました。
この写真の中のある子は、昨年赤ちゃんをつれて塾に遊びにきてくれました。
また別の子は、今年も2年連続で「CDショップ大賞」にノミネートしたビッグなバンドメンバーになって、今年遊びに来てくれました。

10年後、いま塾に通っている子どもたちのことを、こうやって懐かしむときがきっと来るのですね。
子どもたちがそうやって大きくなっていくことは、すごく楽しみで喜ばしいことのはずなのに、いま目の前にいる子どもたちがあまりにキラキラと輝いているから、なんだかとてもさみしくなってしまうのです。




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by terakoyanet | 2016-10-01 06:32 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 12日

中2を立て直す。

現在、中学生たちは中間考査直前対策講座開催中。
昨日も全学年の生徒たちが、明々後日から始まる考査に向けた学習に励みました。


昨日の中2の授業のはじめに、生徒たちの前で、中2の現状について、そしてこれからについて、お話をしました。そのことについて、こちらでも記したいと思います。

現在の中2は二極化しています。一方に、着々と努力を重ねて、成績を上昇させている生徒たちがいます。もう一方に、勉強に励むことが億劫(おっくう)で、なかなか日々の学習が定着せず、成績を低迷させている生徒たちがいます。中1と中3は前者(努力を重ねることができている生徒たち)が圧倒的な多数なのですが、中2は文字通り二極化しています。前者の生徒たちが頑張っていますので、成績の上位者だけみると、大きな模試が行われるたびに、上位者の偏差値のレベルが高くなり、学年全体の成績が伸びているように見えますし、実際に学年全体の平均としては、毎回上昇を見せています。しかし、後者の生徒たちは、すでに中学生生活が折り返しを迎えたのにかかわらず、日々の宿題をはじめとする学習が遅々として進まず、成績は低迷したままです。

そんな状況の中2ですが、今月、集団授業から複数名の生徒が退塾します。本校で、同じ月に同じ学年の生徒が複数退塾するのは極めて稀です。本校の生徒の退塾の理由は、その8割が、「生徒のやる気がない」であり、今回もそれに該当する退塾になると思います。私自身、その生徒たちにたくさんの思いがありますし、一生懸命指導してきたつもりですので、このような結果になったことについてとても胸を痛めています。塾に預けることで子どもの成長を期待した、保護者様にも申し訳なく思います。

しかし一方で、その退塾については、もっと冷静に考えることもできると思っています。
塾と学校は、その機能が根本的に異なっており、学校は(基本的に)やめることができないが、塾はやめることができる、このことこそが塾の長所でもあるわけです。
生徒を「飼い馴らす」ことを良しとする風潮がある塾業界のなかで、一定の新陳代謝が行われる(不適切な比喩かもしれません)のは、むしろ健全なことではないかとも思うのです。人生の経路は無数にあり、どうしてもやる気のない生徒には、勉強にやる気が出ない生徒なりの道があります。その道はやや険しいものかもしれませんが、逆に勉強ができるからといって、その険しさ、困難さを回避できるわけでもありません。

今後も、中2のクラスは少しずつ変化していくでしょう。現在での問題点として、生徒と共有したいこととして、他に昨日子どもたちに話したことは、この学年は、みんなも感じている通り、一定の生徒が目立ちすぎる、だから、その状況を改善したいということを話しました。私は(昨日子どもたちにもお話しした通り)その目立ちすぎる生徒のことが全く嫌いではないし(むしろ好きだし)、邪魔だとさえ思っていません。しかし、授業中に一定の生徒ばかりが目立ってしまうのは、他の生徒たち、特に人前でおとなしい生徒たちが授業中に「置いてけぼり感」を募らせてしまうかもしれません。そのような状況を決して重ねたくはありません。だから、昨日、私は子どもたちの前で「もっと一人ひとりに光を当てたい」という宣言をしました。そのために、いま目立ちすぎている生徒たちに、もう少し考えてもらわなければならないことがあります。これについては、一人ひとりのやる気の問題に比べれば、解決は難しくないと思っています。(これは中2の素晴らしいところですが、お互いに注意をしあうことについては、かなり長けた部分があるクラスです。この機能をもっと生かしていきたいです。)

何年かに一度、問題の多いクラスというのが出現します。現在、中1と中3に問題が少ないぶん、中2の問題が目立っていることは否めません。しかし、私たちはその問題点をしっかりと真正面から見据えることで、それを改善していきたいという強い意志を持っています。そのために、子どもたちにもいままで以上に真剣に考えてもらいます。そして、受験生になったときに、みんな一人ひとりが、よい環境で一生懸命学習に取り組んでいる状況を作ります。まずは今回の中間テストに向けて、皆が努力できますように。



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by terakoyanet | 2016-09-12 07:15 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 11日

18歳と選挙

塾のエレベーター前で修猷館3年のAさんに会う。
「先生、選挙行ってきましたよ!」
さわやかに元気よく言い放つ彼女。
生徒から「選挙行ってきましたよ!」の報告は初だなと実感。


晴れやかな表情の彼女を見ながら、今回の十代投票権は、十代の子たちの周りの大人の意識を変革させる力があると改めて。
大人は子どもの前ではちゃんとしないと、と思うもの。
子どもの姿をみて、私もちゃんとしないと、そう気づかされた大人もきっと多いはず。

「先生が書いた文章を何度も読んで投票に行っていましたよ。」
と或るお母さま。
私は「政治的」な影響力を発揮することは望んでいないけれど、でもそうやって考えるきっかけを与えることができたことを心から喜んでいます。



塾へ電話がかかってきて
「選挙に行ってから塾に行くので授業遅れます!」
これまた修猷館3年のTくんからTEL。

授業に遅れる理由が「選挙」だなんて初だなとこれまた実感。




選挙に行った子どもたち。そしてきっと何人かはいるであろう行かなかった子どもたち。

彼らを見ていると、私には希望しか感じられなくて、
とても厳しい時代なのに、
彼らがいるかぎりきっと大丈夫なんじゃないかと、
そんなことまで考えてしまうほど、彼らは頼もしい。



選挙というのは、きれいなものでも汚いものでもなく、
単に、いまの世の中の興味深い現実のひとつを、つまびらかにしてくれる、
そういった装置なのだなということを今回改めて実感しました。



選挙に参加したみんなもいろいろなことを考えたでしょう。
一つ忘れてはいけないのは、選挙というのは政治参加の方法のなか最もわかりやすい一形態にすぎないということ。もっと別の方法、もっと間接的な方法でかかわることもできる。

これからみんなは、直接政治に関わっているつもりがなかった現場から、突然ふっとわいてきて、あっこれが私にとっての政治なんだ、と実感する、そういった経験をするかもしれない。そういったことを通して、私の生活と政治がつながっていく。そのとき初めて「私」と「政治」との関係性や距離の置き方がつかめてくるでしょう。

社会に生きるということは、それ自体が避けがたく政治的なことです。
その認識を忘れずに、これからも私と社会の間で格闘してください。




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by terakoyanet | 2016-07-11 01:53 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)