歴史と文学 小林秀雄

本日の高校コース授業で取り扱う「歴史と文学」(小林秀雄)の授業レジュメ原稿です。


「歴史と文学」   小林秀雄

1.歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている


歴史は繰り返す by 歴史家たち

しかし

一たん出来てしまった事は、もう取り返しがつかぬということは、僕らは肝に銘じて知っている

歴史は決して二度繰り返しはしない。だからこそ僕らは過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕らの愛惜の念というものであって、決して因果の鎖というようなものではない。

例)子供に死なれた母親にとっての歴史事実
母親にとって、子供の死という出来事が、いつ、どこで、どういう原因で、どんな条件の下で起こったかという、単にそれだけでは歴史事実にはならない。かけ代えのない命が、取り返しがつかず失われてしまったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じない。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、むしろ死んだ子供を意味しており、今もその出来事が在ること、今も死んだ子供を愛していることが感じられるからこそ、子供が死んだという事実(歴史事実)が在るのだ、と言える。

実証的な事実の群れ(いつ、どこで、どういう原因で・・・)は、母親にとっては一向不確かなものである。母親の愛情があって初めて、歴史事実は現実化され、具体化され、客観化される。



2.唯物史観批判

歴史家の「歴史が繰り返してくれてたら」というはかない望みが「歴史の発展」という考えを生んだ。歴史は繰り返さぬ、しかし発展はする、という思いつき。

因果的発展にせよ、弁証法的発展にせよ、要するに合理的な発展の過程だ、とする考えがなくては、およそ現代の史学はなく、我々も合理的発展という前提に立たなければおよそ歴史というものを知ることが出来ないという始末になった。そして、人間のはかない思いつきが、だんだん繁昌して、一世を覆う妄想となった。
=歴史事実は人間のはかない思いつきによる妄想である

歴史の合理的発展という考えは、将来の予想のために絶対必要なものだと歴史家は言う。しかしどんな立派な人間の運命も、美しい生活も、将来の予想というプログラムを実行した結果であったことが嘗てあっただろうか。
人々は歴史の合理的発展という駑馬に跨り、自由とか進歩とか喚きながら鞭をくれている、そして行く先は駑馬が知っているはずだと言う。これはどうも野蛮な光景ではないか。歴史の合理的発展という信仰のもとに生まれたこの文明というものは、現代人にとって利器であるか、それとも、現代人が文明というものにしてやられているのか、甚だ疑問だ。

歴史の弁証法的発展というめ笊で、歴史の大海をしゃくって、万人が等しく承認する厳然たる歴史事実というだぼ沙魚を得ます。
※め笊…荒い目の笊。目が荒いから魚を掬い損ないやすい。
※だぼ沙魚…小さいハゼ類を軽んじた蔑称。
⇒比喩を用いた痛烈な批判

め笊でがんばって掬ったところでだぼ沙魚しか残らないが、このだぼ沙魚もよく見れば、命ある魚でなく、実はめ笊の穴が化けたものに過ぎない。結局、真相は、空のめ笊を振り廻している手つき、その手つきだけは、ともあれ何ものかである、ということになるが、残念ながら、その時には、もう当人の頭は、はっきりと顛倒している。人間は歴史の尺度ではなく、歴史が人間の尺度であるという妄想が、すっかり完成しているのだ。

☝この部分の解釈
人々は歴史の弁証法的発展という妄想の下、歴史事実を抽出しようとする。歴史事実は一見もっともらしい姿をしているが、実際には、歴史の弁証法的発展という妄想自体が歴史事実という姿に変貌したに過ぎない。結局のところ、真相は、歴史の弁証法的発展という妄想を振り廻している人間の振る舞いのみ、その振る舞いだけはともあれ事実である、ということになるのだが、残念ながら、それに我々が気づいたときには、妄想を振り廻す当人の頭はすっかり顛倒してしまっている。彼の頭の中では、人間が歴史を形作るものなのではなく、歴史こそが人間を形作るものなのだ。




☆今回の評論には重要な批評用語が盛りだくさん出てきています。

因果…原因と結果。またはその関係。
実証的…思考だけでなく、体験に基づく事実の集積などによって結論づけられるさま。
退引きならぬ…避けることもしりぞくこともできず、動きがとれない。
具体化…抽象的な事柄を実際に形にして表すこと。
客観化…当事者ではなく、第三者の立場から観察した形にして表すこと。
詭弁…外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。
逆説…一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現や命題。
演繹…与えられた命題から、論理的形式に頼って推論を重ね、結論を導き出すこと。
弁証法…概念が自己内に含む矛盾を止揚して高次の段階へ至ること。
合理的…道理や論理にかなっているさま。むだなく能率的であるさま。


唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。

本館7F terakoya shop blog をぜひご覧ください。
by terakoyanet | 2010-01-16 07:26 | 塾長おすすめの書籍・CD | Trackback | Comments(0)