「国家権力とは何か」 萱野稔人
2010年 02月 06日
今回は社会科学の基礎的な内容がでてきますので生徒たちも参考になることが多いと思います。
文章の難易度はセンターレベル以下ですから、前回の小林秀雄に比べれば高校生たちもはるかに読みやすいと思います。
1.国家権力の源泉
国家権力とは何か?
国家がみずからの命令や法に(人びとがそれに納得しているかどうかにかかわらず)人びとを従わせることができるのはなぜか?
↓
理由:国家は最終的には暴力(物理的力)をもちいることができるから
国家はみずからの命令に背いた人間を逮捕し、処罰することができる
(物理的な力の行使が大規模になると、戦争までいきつく)
2.権力と国家権力
権力とは、或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味する(M.ウェーバー)
権力とはたとえ相手がイヤだと思ってもこちら側のいうことに従わせることができる可能性のことである。ここで相手を従わせる可能性を保証するのは暴力だけではない。たとえば会社は給料や昇進への希望、「クビにするぞ」というおどし等によって、従業員を従わせ、働かせる。教師は、及第させるか落第させるかをきめる権限をもつことで、遊びたい生徒に勉強させることができる。これらも一種の権力である。しかし、国家はその可能性を、暴力(物理的力)の行使によって確保するところに特徴がある。
「国家権力の源泉は暴力の行使にある」
暴力は、それを恐れる者であれば誰にたいしてでも権力を発動することができる。暴力はあらゆる文脈をこえて権力をもちいることを可能にする。暴力の前では、他の権力源泉はほとんど機能することができない。だからこそ国家は、あらゆる組織や制度、集団を超えて、社会のなかに至上の権力(=主権)として君臨することができる。
3.法と暴力、暴力の組織化
暴力を権力源泉とする国家と暴力組織(ヤクザ・マフィア)との違い
国家…法に基づいて暴力をもちいることができる
国家とは合法的に暴力行使を独占する組織(M.ウェーバー)
暴力組織…非合法的にしか暴力をもちいることができない
暴力を持続的な権力源泉とするためには、暴力の組織化が不可欠
4.暴力に基づく国家経営
①税の徴収…暴力の集団的な運用に必要な富を獲得する
組織化した暴力をもちいて人びとから労働の成果を徴収し、その徴収した富をつかって暴力の組織化そのものを維持する⇒循環的な運動(国家を成り立たせる最も基本的な運動)
②公共事業…国家の活動や人びとの生産活動を支えるための施設建設
昔の公共事業…組織化された暴力をバックに人びとを動員して施設をつくったり役職に就かせたりする
現代の公共事業…暴力を背景に徴収されたカネが、政治家や役人の決定を経由して特定の企業や法人にまわされる。こうしたカネの流れに付随して、「利権」が生じる。
5.国家の脱人格化
国家の原型…人格的な(personal)つながりによってできた集団が他の人びとに、人間同士の(personal)支配関係として権力を行使する。
↓↓国家の脱人格化:近代国家の歴史とは、はじめ君主が手にしていた主権がしだいに脱人格化なものになっていったプロセス
現代の国家…人格的なつながりにもとづいた組織であることをやめ、役職と権限の体系によってくみたてられたひとつの機構となった。これにともない国家と民衆のあいだの支配関係も脱人格化される。人間による人間の支配というエレメントが稀薄に。
国民国家(国民主権国家)は脱人格化のプロセスを経ることではじめて可能になった。
そこでは暴力を行使する側とされる側が(少なくとも理念上は)一致する。
しかし・・・
それは国家権力が消滅していくことを意味してはいない。集団の脱人格化は、権力そのものがみずからを安定的に維持するためになされてきたのである。集団が脱人格化されても、そこで機能していた権力はそのまま残る。つまり、脱人格化によって、国家のもとには、暴力にもとづいてカネが徴収され権力が行使されるという運動だけが残るのだ。
この文章、「暴力」という言葉の用い方が読者に穏便ではない印象を与えますね。(ですから作者もところどころ「物理的力」と言い換えていますが。)
授業では、書かれている内容を歴史的事柄と重ね合わせてかみ砕いて説明します。
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