テスト前勉強のこと
2010年 11月 16日
2人は学校内でも5本の指に入る優秀な成績をおさめている。
そのうちの1人、K君は「今日11時間勉強した」
と言っていた。
もう1人のY君はそれに対して、すげーありえん、という感じの反応だった。
私は友人に11時間勉強した、と言って淡々としているK君を見て、彼がもともと持っている精神的な強さを垣間見た気がした。
勉強が「まあまあ」できる子たちは往々にして「勉強ぜんぜん」できてない。「全然してない」と言う。
私も中学時代そうだった。
塾に通っておらず、テスト直前に勉強を詰め込むタイプだったので、テスト勉強は当日の朝に及ぶことが多かった。テスト直前にしか勉強しないくせに、テストではいい点数をとる以外の選択肢は考ええていなかったので、夜10時すぎにようやく重い腰を上げたかと思えば、学校に行く1時間前までひたすらに勉強した。そして30分ほど仮眠をとって体全体に軋みを感じながら学校に向かっていった。
中学校では生徒会室に入り浸っていた。
生徒会室に入ったとたん、女の子たちに声をかけられた。「かー君、がば(とても)勉強してきたやろー」「いや、してないよ。」「うそやーん。」
目の下に隈をつくって頭もぼっとしてるのに、なぜ「徹夜同然やった」と言えなかったのか。
その当時自分でわかっていた理由としてはいくつかある。
まず特定のレッテルを貼られたくなかったこと。
「真面目」「ガリ勉」「なんか必死」と思われたくなかったこと。
次に勉強やらなくたって意外にできるもんね、という虚勢。
ただのかっこつけ。
そしていまになって理由を追加するなら、本質的な自信のなさ。
そのときは自分に自信を持っているつもりだった。自分はできるやつだと思っていた。
でもいまから振り返れば、自信が本当にあるなら、虚勢をはる必要はないはずだ。
おそらく(テスト前以外の)日ごろの努力不足が自信をそいでいた。
努力不足で自身の力を100%発揮できていないはずなのに、「勉強した?」と言われて「やった」とは認めたくなかった。やっぱりただのかっこつけ。
日ごろ勉強が不足している、というのが自分の弱みだということを、当時あまり意識することはなかった。言われればそうだと納得したと思うけれど。
昨日、妻とそのことを話していたら、彼女は勉強したときはしたときはしたとはっきり言うほうだったらしい。努力したらしたことを認めてもらいたかったと彼女は言っていた。
私は彼女のほうがすっきりしていていいと思った。
飄々としたK君の語り口を聞いていて、本当にできる子、学年1位をとることができる資質のある子というのは、彼のように、自分を着飾ることはないのだろうと思った。
これは彼にとって他に代えがたい、他の誰もが持つことができるわけではない美点であり長所だ。
自分の持つ力と正面から向き合って勉強できれば、それほど頼もしいことはないのだ。
この文章を書いていて、K君と話していたY君のことが頭から離れなくなった。
彼はいまでもとても優秀な成績だけど、ひとつ壁を乗り越えれば、もっと大きく成長できるはずだ。
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