木登り

海外旅行が好きなご家族におすすめのHPがあります。「それ行け!子連れ海外旅行」がそれで、それぞれの地域の情報がやたらくわしいのと、子連れ目線のいろいろな話が微笑ましく興味深いです。

私も旅が大好きなのでたびたびいろいろなところに出かけていますが、そのたびにこのHPを参照しています。私は、夏期講習で子どもたちと闘ったあとの9月に、毎年1週間ほどの休暇をいただいているのですが、今年はカウアイ島(いま話題のパイレーツオブカリビアンやジュラシックパーク、キングコング、ディズニーのスティッチなどの舞台)とハワイ島(ビッグアイランド、マウナロア・キラウエアで有名な火山島)に行くつもりなので、資料豊富なこのページを再び参照させてもらっています。




この「それ行け!子連れ海外旅行」のモルディブの章に、ページの管理者であるイルカパパさんの次のような文章があります。


中学、高校でぐんと学力が伸びる子がいれば、小学校の時は優秀だったのに、大きくなると伸び悩むも子がいる。この差はどこからくるのだろうか?

ここでは、こどもの学力をコップと水に例えて考えてみたい。

小さなコップにいくら水を入れようとしてもすぐ満杯になり、水はコップから溢れてしまう。反対にコップが大きければたくさん水を入れることができる。中学、高校で成績がぐんぐん伸びるのはコップが大きい子だ。逆に伸び悩む子はコップの容量が小さい子。

つまり、水=知識、を詰め込むことだけに熱心になっても、片手落ちということ。コップ=学習意欲、あるいは知的好奇心、感性を大きくすることを怠っていたら、子供の学力はコップの大きさにしか育たないのだ。

わたしの経験では、コップを大きくする経験は、残念ながら中学、高校になってからでは遅く、小学生(あるいは幼稚園)のときにしか出来ない。だから小学校の間は、水を入れることより、コップを大きくするための経験を積ませることを優先すべきだと思う。

海や山、自然の中で泥だらけになって遊ぶことで、五感がフルに活性化され、コップの容量が大きくなっていく。ざりがに釣りやもちろん木登りもOK。こどもはこどもらしく夢中になって外で遊ぶのが一番自然な姿ということだ。その時期に塾にばかり通って、こういう自然なこども時代をすごす経験が乏しかったら、片寄った大人になってしまうリスクがとても高いと言えるだろう。(博物館、美術館へ行く、読書をするなどの体験もコップの容量を大きくすると言われています)

もし今、こどもが自由に木登りが出来ないような環境に住んでいらっしゃるのなら、そこはこどもが住むべき場所ではないということだ。




福岡市中央区の小学校ではいわゆるお受験がさかんで、小学生たちが下手したら低学年のころから毎日塾に缶詰めになっている状況です。

私は中学受験のために塾に缶詰めになっている子たちを見ると心配になります。彼らは人生において貴重な時間を決定的に失っているのではないだろうかと。
時計は決して戻すことができません。小学生には小学生にしか経験できないことがあります。

小学生には無限の想像力があります。だから泥だらけになって遊ばなくたって、木登りしなくたって、彼らの世界は広がります。
しかし外の世界の楽しさ美しさを知らずに育った子どもたちの心は内向します。自分の心の中を突(つつ)くように世界が広がっていくのです。
外に目を向けることを知らない子どもたちは、自分の想像界のなかで自足して生きようとします。

学問は内向的なものと思われがちですが、その本質は、外に目が向けられたものです。
数学でも科学でも地理でも、または英語や国語の語学だって、その眼差しは物事の本質を知りたいという強い希求に支えられています。外の世界のすばらしさを知ることが、小学生までの子どもたちに必要なことは言うまでもありません。
イルカパパさんの言うコップの容量が少ない子に、学問に対する本質的な希求は生まれにくいのです。


中学受験は半ば教育業界によってつくられたセールスの一環であることを私たちはクールな頭で見透かさなければなりません。高校受験だって人生において最大の節目なんてことは決してないのに、さもそのような錯覚を抱かせるような進路指導が横行しています。

中学受験、高校受験は、子どもの人生を貧しくしない程度のものでなければなりません。



私は以前、河合隼雄氏と毛利子来氏の対談をこのブログに引用したことがあります。


河合:「(子どもの木登りは、先生が)すぐに「もう下りなさい」とか、「それ危ない」とか言うから落ちるんですね(笑)。黙って見ていたら落ちないんだけれども。」

毛利:「そうそう。あれは大人が我慢できんのですね。大人が見ておってハラハラ、ドキドキに耐えられないものだから、「やめなさい」とか言って下ろさせちまうんですね。だからあれは子どものためと思ってるけど、自分の心配をとるため、自分のため。」



木登りをする子どもたち。それを見ている大人たち。
子どもたちは意気揚々と自分の好奇心を発揮して動き回っている。
しかし、それに我慢できない大人たち。大人は自分の不安を消去するために、子どもたちの活動を妨げる。その結果、子どもたちの足場を危うくする。


大人は本当に子どもより賢いのでしょうか。常に子ども以上の真理を握っているのでしょうか。
そうではないでしょう。大人は一人ひとりがかよわい人間であり、自分のそのときの感情や都合で動いてしまうものです。そのために、かわいいわが子の足場をあやうくすることが多々あるのです。

ですから、わたしたち大人は自分の愚かさを知ることが大切です。
そして、本当に子どものためになることは何か、ということに耳を澄ます必要があります。
とても難しいことです。木登りをしている子どもの前で我慢するのはとっても大変なことです。

しかし、その困難を知った上で子どもと接することが、きっと子どもの幸せにつながるだろうと感じます。



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by terakoyanet | 2011-06-08 14:53 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)
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