体罰は不要です。

以下に朝日新聞デジタルに掲載の「体罰」に関する桑田真澄さんの話を転載します。

私も体罰は不要と考えます。
体罰は暴力という安易な方法でしか生徒の心を動かせない指導者が行う過ちです。
どんな理由があっても正当化されてはいけません。
他に方法はあります。暴力を使わずとも生徒を指導する手段はあります。
それがわからないのなら指導者になるべきではありません。


体罰の結果、成果が出た?
結果は結果です。
良い結果が出たからといって、そのための方法が正しいとはかぎりません。
良い結果が出たからといって、体罰を正当化してはいけません。
良い結果のためなら手段を択ばないという考え方がとても危険なことくらい、誰でも知っていることです。


今回、自殺した生徒はチームのキャプテンでした。
チームのキャプテンに著しく負荷がかかるという場面は、あらゆる部活動等で日常的に見られます。

キャプテンだからというだけの理由で激しく罵られ、暴力を振るわれる。
あまりに理不尽なことなのに、そんなことが正当化される場面を私もこれまでに何度も見たことがあります。


私たちは理不尽なことと戦い続けなければならないと思うのです。
親も諦めてはならないと思うのです。

理不尽なのはみんなわかっているのに、みんなで空気を読んでしまう。そしてみんなで黙ってしまう。
今回の自殺にはわたしたち一人ひとりにも責任があるのです。


朝日新聞デジタルより

体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。


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by terakoyanet | 2013-01-12 01:22 | 連載(読み物) | Trackback | Comments(0)