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ゲーム

先日AKB48の峯岸みなみが謝罪したあの映像が脳裏に焼き付いている。
囚人を思わせる坊主頭とそれを殊更に目立たせる白い画面。
中3の女の子が「あれはちょっと引くわ~」と言っていたが、私も同じく「引くわ~」と思った。

タレントのフィフィさんが

アイドル恋愛禁止とか、もう目を覚ませよ。恋愛もライフスタイルのひとつ。それも含めて応援してやれよ。それがファンじゃないの?昔のアイドルの状況と違うんだよ

とか言っていたけど私はそれは違うと思った。

ポイントは、今回峯岸みなみが破ったのは「恋愛禁止」というAKB48という仮想ゲーム上のルールだということ。
いわゆるオタファンの人たちはAKB48という年頃の女の子たちがリアルで恋愛をしてないなんて本気で信じてるわけではなく(と言ってしまうと本当は身も蓋もないのだが)、恋愛をしていないということになっている、というルールが存在し、それが表面上守られていればそれでOKなのだ。しかしそのルールはこのゲームの肝であり、遵守されなれなければならないのだ。

峯岸みなみの罪は、恋愛をしたこと自体というよりは、熱愛報道によりゲームの秩序を乱したことにあり、そのことを理解しなければ、今回の問題の本質は見えないと思う。
彼女はそのことを理解しているからこそ坊主頭にしたし、だからこそそれはゲームの埒外にある人たちから見ると明らかな過剰である。女子中学生の「引くわ~」は、その過剰さを目の当たりにしたときの反応である。


バレなければよかったんでしょ。
バレたら反省するなんて、万引きする中学生といっしょじゃん。
反省するなら、最初からやらなければいいじゃん。



というコメントがネットの掲示板にあった。
「バレなければよかったんでしょ。」これはある意味正解だ。
法的に問題がある万引きと違って、バレなければあらゆる意味で何の問題もなかったはずだ。

しかし、万引きと違って、恋愛は、「最初からやらなければいい」ものではなく、やったことがバレてはいけないこと(=仮想ゲームのルールを乱すから)なのである。ここをはっきりさせることは倫理問題上とても大切だ。

フィフィさんのように「恋愛禁止」というルール自体を「時代錯誤だ」と批判する人がいるけど、それを批判するなら、AKB48というゲーム機構そのものについて本腰を入れて批判すべきだ。「恋愛禁止」というのはゲームの1ルールであり、そのルールを必要とする体質自体を批判しなければ本質的な批判にならないと思う。


今回の問題からは、小さいコミュニティから人気が拡大し、メジャー化したAKB48というゲーム機構における、小さなコミュニティ vs マジョリティの軋轢を見ることができる。
マジョリティ側の大きな批判に対し、小さなコミュニティ側であるファンの人たちは、彼女の今回の行動を、ゲームのルールを破るという大罪を犯した彼女が禊をしたとして、一定の評価をするだろう。しかし一方で仮に同じ過ちが繰り返されたり、さらなるスキャンダルが掘り起こされたりした場合には、彼女は一気にファンたちからそっぽを向かれ、グループ(ゲーム)を去らざるをえなくなるだろうと思う。AKBメンバーとファンとは同じゲームのプレイヤーであり、彼女にはこれ以上の失点は認められないのだ。

たかがゲーム。しかしゲームには、その運命に抗えないという意味では、リアルを軽く凌駕する力があることを知り、戦慄を覚えます。

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by terakoyanet | 2013-02-07 10:55 | 雑感・授業風景など | Trackback