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玄海原子力発電所周辺の観光案内(1) -玄海町とその周辺-

※この記事のみ(原因はわかりませんが)、現在、画像が表示されなくなっています。ご了承ください。

その2(唐津市内編)はこちらです


参院選が公示されました。これから選挙日までの間、日本国内では改めて原発の是非についてあらゆる議論がなされるであろうと思います。



私自身は原発について、ひとつの確信を持っています。

環境破壊に地球温暖化、資源の枯渇― 「地球はきっと近いうち滅亡する。」 そんな話もよく聞きますが、一方で私は、―原子力施設の安全基準等によく使われる表現に倣って―「確率論的」に言えば、きっと人類の努力によって少なくとも今から1000年後、地球はきっと存続していると考えます。

そして、1000年後の人類は、きっと現在の原子力発電に対して「過去に実際に存在していたとても危険な発電装置」としての評価を固めているであろうと想像します。

今回、福島で起こった事故によって、地球上のあらゆる場所のあらゆる立場の人々は、一つ、確実な知識を得ました。それは、「チェルノブイリ」は地球史でたった一度の「例外的な」惨劇なのでは決してなく、同じような惨劇が今後も繰り返される可能性が極めて高いという事実です。

そのことを知った人類は、これから間違いなく原発をなくす方向に向かうことでしょう。人類はこれまで、自分の命を奪うものについて、あらゆる方法でその危険を回避する努力をしてきたのです。
だから、1000年後の人類はきっと、「原発なんてものが実際に存在していたなんて、私たちには信じられない」と平然とした顔で言うのです。


そんな1000年後の地球に、確信めいた想像を抱く私にとって、結論は明確です。
原発をなくすことは一部の人たちの痛みを伴うものであろうと思いますが、そのような人を守るために国家と憲法はあるのであり、いま地球上に生きる私たちの責任として、原発をなくす方向にシフトすべきです。

なんだかこんなことを書くと真面目くさった感じがして嫌です。
もっと感情的に書けば、私は、実際にあれだけの人たちに大きな迷惑をかけた原発に対して「現状としてはしょうがないよね」なんてみんなで言っているような社会が単に嫌なんです。子どものころから大人から教えられてきた「責任」っていったい何だったの?と思います。これほどまでに国家単位で責任感のなさを見せつけられるなんて、子どものときには想像できなかったことです。


先日、福島第一原子力発電所20㎞圏内の警戒区域が全て解除されました。
とは言っても、現実的には「帰還困難区域」に新たなバリケードが設けられ、立ち入りは制限されたままです。これでは何のための警戒区域の解除なのかよく分かりません。線量が高いまま、インフラも整わないままで、避難している方たちは、改めて「帰還困難」という現実を突き付けられました。

新しく設けられた「帰宅困難区域」は、福島第一原子力発電所から40㎞近く離れた飯舘村にまで及びます。
これを私の地元の北部九州になぞらえると、20㎞圏内に佐賀県玄海町・唐津市・伊万里市の一部、さらに長崎県松浦市や福岡県糸島市の一部が入り、そして40㎞になると、長崎県の佐世保市や壱岐島・平戸島、佐賀県の武雄市・佐賀市の一部、福岡県の福岡市の一部などが圏内に入ります。

今回、例えば原発からやや離れた飯舘村の線量が高くなったことの原因として、風向や地形の影響が指摘されています。放射線の線量が高くなるメカニズムは複合的であり、事故の規模も事故ごとに異なることを考えれば、福島の状況を安易に九州に置き換えてみるべきではないという指摘があっても不思議ではありません。

しかし、今回、それぞれの土地で豊かな生活を送っていたはずの福島に住む多くの人々が、事故によってある日突然に故郷を追い出され、そのまま帰還困難になるという酷い(むごい)ことが起こったのにかかわらず、同じ国に住んでいて、彼らの心境の一部が想像できるはずの私たちが、平然と何事もなかったように日常の些事の楽しさを味わっているという状況というのは、私にとってはなんだかとても不思議なことに思えました。


私には、今度福島県に行ったら、ぜひ行ってみたい温泉がありました。
それは「玉の湯」という温泉で、昔ながらの温泉風情が残る旅館には、小さいながら瀟洒で美しい客室があり、熊川源流の渓谷を見ながら入る柔らかいお湯は、上質の化粧水のように肌を包み、うっとりするほど素晴らしいようなのです。ちなみにこの温泉は「日本秘湯の会」の会員だそうです。

「玉の湯」は福島第一原発から、わずか10㎞あまりの位置にある温泉でした。
玉の湯旅館 宿ブログ」を見ると、2011年3月17日に、営業再開のめどがたたないことが綴られた「東北地震に関しまして」という記事が書かれて以来、一度も更新されていません。原発事故を境に途絶えたままのブログをさかのぼって読んでみると、そこには穏やかな温泉宿の日常が綴られており、突然にその日常の記録が止まってしまったページを見ていると、広島原爆のときに8時15分を差したっきり止まってしまった時計の残像が頭を掠めます。突然、外部の圧倒的な力によって時間をもぎ取られた場所には、死に類似する絶対的絶望が存するのです。

私は、いつかもう一度、きっともう一度、古いながらも大切に心を込めて清掃されたお宿で、きれいに磨かれた浴槽に浸かることができる日が来ることを、心から願っています。



私たちは、こんなにひどいことがあったんだよ、さびしいことがあったんだよと、もう少し実感を込めて語るべきなのではないかと思うのです。
震災の際には「日本人は非常時さえも冷静である」ことが、数多く語られました。その冷静さの陰に、多くの人たちの忍耐があったことを私たちは忘れてはなりません。

しかし一方で、一部の海外のメディアにおいては、怒るべきところで怒らず、非常時でさえも当たり障りのない振る舞いをしようとする日本人の不可解さがクローズアップされました。「冷静さ」を良しとして、問題の本質については問おうとしない「日本人」の気質の方は、決してほめられたものではないということを私たちはいま一度考えるべきではないかと思います。

福岡に住む私は、一つの例えとして、今回のような事故がもし、地元の玄海原子力発電所で起こっていたら、こんなに素敵な場所に行けなくなるんだよ、ということを嘆息まじりに話すのは、決して無駄ではないと思い、今回このような記事を書くことにしました。



あまりに前振りが長くなりました。

今日は、玄海原子力発電所付近の観光案内をしたいと思います。
こちらのリンクには、原発周辺にどれだけの人たちが住んでいるかという興味深い資料があります。「佐賀」って田舎、人が少ない、というイメージが流布していますが、それは半分は間違いです。佐賀は人口こそ全国42位(47都道府県中)ですが、人口密度は16位。狭い土地にたくさんの人たちが住んでいるんです。先の全国の原子力発電所周辺人口資料を見ると、玄海原子力発電所付近の人口規模は、全国の発電所の中でも上位に位置することがわかります。

玄海町がある東松浦半島は、朝鮮への窓口であった壱岐・対馬に最も近い位置にあり、昔から交易の拠点として、軍事の要塞として発展してきました。そして唐津は炭鉱地としては日本で最も早い時期に発展した町で、現在は商業・水産業都市として佐賀県第2の人口を擁しています。かつての人々の足跡が色濃く残るこの土地には、たくさんの見どころがあります。ありきたりの表現ですが、風光明媚な素晴らしい土地です。


◇玄海原子力発電所10㎞圏内の観光案内

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10㎞圏内には東松浦半島の大部分と、周辺海域の島々が含まれます。

原発から約4㎞の位置にある浜野浦の棚田。美しい曲線美をもつ棚田の向こうには、玄界灘に沈む夕日が見えます。
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私が訪れたときは6月の田植えが済んで少し時間がたったときでしたので、上のような写真ですが、田に水が張られた田植え直前の時期の美しさは格別のようです。
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浜野浦の棚田は日本の棚田百選に選ばれています。



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棚田から3㎞ほど南下すると玄海海上温泉パレアがあります。佐賀にある温泉施設としては、異様なほど豪華で、いかにも現代建築ちっくな建物。小さな玄海町が総工費17億円をかけてこのような施設を建てることができたのは、原発マネーによるものでしょう。やわらかいお湯で、泉質は素晴らしいのですが、循環式らしく塩素臭が若干残念でした。
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目の前の仮屋湾(玄海国定公園)の景観は素晴らしいものがあります。(*ちなみに国定公園は、国立公園よりも随分軽んじられているのか、若狭湾をはじめ、全国的に原発の立地が多いのは特筆すべきことでしょう。)



10㎞圏内で最も有名な観光地といえば、いまは唐津市の一部である呼子でしょう。
福岡からも、新鮮な透き通ったイカを食べに、多くの人たちが呼子を訪れます。週末には有名店の「河太郎」「いか本家」などは行列ができるほどの人気です。これらの店で食べるイカは本当に美味しいです。

しかし、呼子まで行かなくても、福岡市内にもピクピク動いている新鮮なイカを食べることができる店はたくさんあること、イカの刺身は「新鮮=美味しい」とは限らないこと、などから、見どころ豊富な東松浦半島まで出かけて、イカだけを食べて帰ってくるというプランはあまりおすすめできません。呼子の港近くの宿に泊まって、朝市に出かけ、元気なおばちゃんたちと話しながらいきのいい魚介を買い求めるのはきっと楽しいでしょうね。呼子港付近には、旧中尾家屋敷をはじめ、古い家屋が並ぶ風情のある町並みが広がっており、散策が楽しいです。
呼子から少し離れますが、唐津市鎮西町にある袈裟丸水産の素潜りで獲られたウニは絶品として広く知られています。

呼子と加部島とを結ぶ呼子大橋も、人気のスポットです。(何度か訪れたのですが、写真が残存していません。) 出入りの多い海岸線にコンクリート橋が凛と架かる姿は見惚れます。橋のすぐそばには、参道っぽいオレンジ色の遊歩道(弁天遊歩道)があります。海岸線がよりはっきり見え、気持ちの良い風が吹いて、歩くのは楽しいのですが、そのデザインに呼子大橋との整合性はありません。

呼子大橋まで行ったのなら、ぜひ橋を渡って加部島まで行ってみてください。海岸から見える田島神社はとても美しいです。そして島の北端にある牧場から見る景色は、有名な波戸岬に負けず開放感があって素晴らしい。かなりオススメです。



10㎞圏内には、中学校の歴史の教科書に登場するスポットもあります。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に本拠としたことで知られる名護屋城址は原発から4㎞の位置にあります。関連史跡の羽柴秀俊陣営跡までは1.5㎞ほどとなり、まさに目と鼻の先。
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こちらの城址は、想像以上に大規模な遺構が数多く残っていること、そして玄界灘の絶景を眺められることから、オススメ度は非常に高いです。
この名護屋城址で見た夕景は、私にとって、過去10年間の中のマイベスト・オブ・夕景(イン・九州)です。
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併設の名護屋城博物館は無料なのが信じがたい、かなり立派な博物館で、展示内容がとても充実しています。


10㎞圏内に絞ったつもりでしたが、見どころが尽きません。
全島民がカトリックだという松島にぜひ行ってみたいです。
隣の馬渡島については続編で書こうと思っています。



今回の記事の最後は、唐津焼の窯元、土平窯
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唐津といえば焼き物。
唐津焼の窯元は、唐津市の駅付近(中心部)に集中していますが、土平窯は、名護屋城址を南に2・3㎞下った場所にあります。
新潟県十日町市で生まれた藤ノ木土平氏が開いた工房で、ご自身で造営された登り窯や穴窯で、味わいのある唐津焼を制作なさっています。
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土平窯の器は、それが土から生まれたものであることが忘れずに刻印されているという印象を受けます。
新しい個性を感じる作品がありながらも、それがあくまで(土や修練された手わざなど)自然に根差すものであることが器を持つ人に伝わるために、その個性は押しつけがましいものになりません。



その魅力を余すことなく伝えることがどれだけ困難かということを実感しながら、いま文章を書いています。
また、記事を途中まで書いている最中に、見どころが多すぎることに気づき、こりゃあ大変だと、当初周辺20㎞としていた記事を10㎞に縮小しました。ですから、20㎞圏内の記事は、別の機会に書こうと思います。

1975年に運転が開始されて37余年が経過した玄海原子力発電所ですが、そのずっと以前から、この土地には多くの人々の足跡があり、それを大切に引き継ごうとしている人たちがいます。その継承の糸がある日突然プツンと切れてしまうことが決してないように、これからも原発について考えていくことができればと思います。


唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。

by terakoyanet | 2013-07-04 04:23 | 塾長おすすめの場所 | Trackback | Comments(0)