ペトロの否認―サグラダファミリアにて―

教室で使う教材の資料集めという口実もあり、バルセロナ(スペイン)にあるサグラダファミリアに行きました。
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サグラダファミリアに携わった建築家と言えば言わずともしれたアントニ・ガウディです。
私はガウディが特に好きというわけでなく、というより、私は彼の建築をぱっと見たときに受ける「異形」「過剰」といった印象にいまいち馴染むことができず、よくわからないなと思っていました。(いまも思っていますが。)

磯崎新氏の近著に『気になるガウディ』という本がありますが、私はガウディが何となく「気になる」という理由で、バルセロナの町に点在する彼が携わった建築物のいくつかを訪れました。

サグラダファミリアには、その表面を這うように無数の石彫が置かれています。あまりにたくさんあるので目移りしてなかなか定点に視線が向かないのですが、そのなかで思わず目に留まったのが、「ペトロの否認」をモチーフにした彫刻。
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直前にイエスに「あなたは鶏が鳴く前に3度私を否認する」と予告され、それに対し「あなたとともに命を落とそうともそのようなことはありません」と全否定していた使徒ペトロ。

それなのに、イエスが捕縛された後、「あなたイエスといっしょにいたでしょ。そのあなたの訛りが何より証拠よ。」と界隈の女たちにツッコミを入れられ「私はあんな男のことなんか知らない」と激しく否認。そして3度目に否認したとき、同時に鶏の鳴き声が悲しく響く。ペトロはそのあと群衆から離れ、一人で泣くのです。

幼いころその話を教会で聞いた私は、鶏の鳴き声が響いた瞬間に戦慄を覚え、そしてそのあと次第に悲しくなりました。

イエスはペトロの裏切りについて彼に話していたとき、つらかっただろうと思います。
愛すべき弟子たちは私をことごとく見殺しにする。私はひとりぼっちで死ぬ。
彼はそのことがわかっていたわけですから。

一方で、裏切ってしまったペトロも、「あなたは私を否認する」と話しているときのイエスの顔を思い出して泣いたのでしょう。
頭に焼き付いて離れないその顔は、憂いとともに、底なしの慈悲深さを湛えているのです。
私はあんなに美しい人を見殺しにしてしまった。彼の自責の念はどれほどのものだったでしょう。

そんな聖書の場面を思い出しながら、自らの衣服にグルグル巻きになって、身も心もそのまま埋もれてしまいそうなペトロの顔を見ていました。


サグラダファミリアには多くの人がいましたが、日本人の姿も目立ちました。
ガウディーはやはり日本人に特に人気です。
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サグラダファミリアはガウディーの没後100年にあたる2026年に完成することが決定したそうです。
いまやサグラダファミリアは「ガウディ」という巨匠の神話を完成させるための象徴となりました。
伝統的な施工法に忠実な面があった一方で、設計図を書かず、その場で気に食わなければぶっこわして造り直すという現場主義をとったガウディ。そんな彼の死後に、彼の意志に基づいて大聖堂を完成させるというのはどだい無理な話です。

もうそれならガウディをイメージしたテーマパークをつくっています、と言ってしまえばいいのですが、世界遺産というお墨付きももらったいま、あくまでガウディという亡霊と対話しながら、ガウディの遺志を継ぐというスタンスで、着々と工事が進んでいるわけです。(※世界遺産に指定されたのは聖家族教会の一部ですが。)

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2026年に完成するのは壮大な虚構の城です。

2000年近くが経過した今も磔刑の憂き目から逃れられないイエスは、この大聖堂をどんな面持ちで見るでしょうか。やはりあの憂いと慈悲深さを湛えた顔で、私たちを見遣るのでしょうか。

唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。
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by terakoyanet | 2013-10-11 14:46 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)