『明日、ママがいない』を見る。
2014年 01月 29日
「差別を助長する」という批判を受けている同ドラマですが、作り手の意図は、差別問題の傷口をあえて開いて見せることで問題提起をするところにあり、スポンサーがいなくなっても継続するという姿勢を崩さないところから見ても、制作者側の高い志を感じることができます。
一方で、慈恵病院がこのドラマの中止を求めたことは当然と思えます。
赤ちゃんポストを運営する当事者にとって、「ポスト」という呼び名は到底受け入れがたい。
このドラマについて、はるかぜちゃん(春名風花さん)はTwitterにて
ポストは、ポストという名前に誇りを持って生きてる。それを「かわいそう~」といって見下す行為は、あのこの出生を、存在を、まるごと否定するに等しい行為だ。
と発言し、物議を醸したそうです。はるかぜちゃんはこのドラマの問題提起を正しく受け取って発言している。その意味で彼女の主張は間違っていません。
しかし、実際に「ポスト」と同じ境遇の子どもとその周囲の人たちにとっては、ドラマの問題提起の「本質」なんて二の次の話です。
「差別を助長する」というのは、何もドラマの「本質」を見誤って言っているわけではないのです。そうではなく、当事者は現実的に「差別を助長する」のが恐ろしいし、許せないのです。
魔の巣窟のような施設外観がいかに単なるドラマの「演出」であっても、そのような「イメージ」が演出されること自体に傷つくのです。
だから、このドラマの問題は難しいです。
「当事者」の枠から外れて見れば、このドラマにはきっと意義がある、最後まで続けてほしいと思います。
ネット上に散見されるような、「当事者」の切実感を全く共有しない、つまらない暇つぶしの外野の非難に負けることはないと思います。
しかし、制作者側が忘れてはならないのは、現に当事者がいるということ。
制作者の「我々は差別主義者ではない」という意識は、当事者にとっては時に傲慢な所為でしかない場合があるということです。
それにしても、芦田愛菜さんは、すでに人生の酸いも甘いも噛み分ける演技をするから驚かされますね。
まだ第2回を見ただけ、今後見るかどうかさえもわかりませんが、私がいま感じていることは以上です。
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