ペリリュー島の戦跡
2014年 02月 17日
合理的かつ献身的な戦術を貫き通した中川中佐の話や、現地の人たちの被害が少なかったことなど、ペリリュー島の戦いにまつわる美談は数多くあります。
最近流行っている映画もそうですが、戦士たちの心の美しさや純粋さを描いた上で戦争の悲しみを訴える作品ほど猥褻なものはないと私は思います。それらは真実を伝えているようで、その実、見る人たちを無反省にさせます。
坂口安吾が書いた「特攻隊に捧ぐ」というエッセイがあります。彼はその短文のなかで戦争を最も呪うべきものとしながらも、特攻隊の精神を賛美しています。特攻隊の心根を疑うなんて野暮であると言います。
そして彼は、自身が「いささか美に惑溺して」おり、そして「根柢的な過失を犯している」ことに「気付いている」と自己告白したあと、私たちが最も呪うべき「戦争」と特攻隊の「情熱」の2つを切り離して見ることの必要性を語ります。
私は「いのちを強制」される戦争を最も忌むべきものとしながらも、自己の「美への耽溺」という「過失」を認める安吾の姿をひとつの指標にしたいと考えています。
最近流行りの戦争映画は、表面的には戦争の理不尽さを描いているようで、それは純粋な戦士たちの「正しさ」を裏付けるためのネタでしかありません。鑑賞者は最初から最後まで単に「美に耽溺」して終わるのです。彼らは、「美」に耽溺しており、「美」の「正しさ」に疑いがないので、「美」のためならば最終的には戦争もやむをえないのです。「戦争は残酷だ」と言いながらすぐに「戦争もやむをえない」と踵を返す人たちです。
一方で「反戦」や「反核」の人に足りないのは自己が抑圧しているもの ―安吾で言えば美への耽溺にあたるもの― に対する内省です。何らかに「反対」しようとする「運動」が、すぐに美的な誘惑にとり込まれてしまうことはすでに無数の教訓があります。自己抑圧が「あなたの心根は汚れている」という他者への攻撃に転じ、それが新たな「美」の再生として立ち上がるほど恐ろしいことがあるでしょうか。
その点、宮崎駿監督の『風立ちぬ』は素晴らしかったです。
航空技術者の堀越二郎。幼少のころから飛行機という「美」に耽溺していた彼が、結果として零戦を生み出す残酷さがありのままに描かれていました。
彼が飛行機という「美」に魅了されたこと自体に何ら責任を負うべきと考える人は少ないでしょう。(幼少のころ彼が見た夢の中に、残忍さを伴う彼の意識の萌芽が垣間見えたとしても。)
彼の飛行機にかける一途な気持ちは美しく、一方で戦争はあまりに残酷で恐ろしい。
この2つは一旦峻別されるべきです。しかし同時にこの2つは切っても切れないんだという内省こそが肝だとも思えます。
ペリリュー島の戦跡の写真を載せようと思っただけなのにしゃべりすぎました。
以下にアップしていきます。
ペリリュー島には太平洋地域の中でも最大規模の日本軍基地・総司令部跡が残ります。
日本軍と米軍の戦車。上の写真が日本軍95式軽戦車。米軍の鉄板ばかりが目立つのっぺりとしたつくりの戦車に対し、日本の戦車はたくさんのボルトが使われていてまるで手芸品のような細やかなつくり。
数多くの米軍兵が戦死し海岸が血の色に染まったことから名づけられたそうですが、ということは日本側がつけた名称でしょう。パラオの海は透明度が極めて高く深いターコイズブルーの海が広がっています。(海水に固体成分が多く混じるとそれに太陽光が反射して沖縄の海のようなエメラルドグリーンの海になります。)
ペリリュー島飛行場滑走路跡
戦争博物館。弾薬庫跡をそのまま使用していて、その威容にたじろぐ。
中には当時の写真や武具が無雑作に展示されています。博物館の外にもたくさんの武器・弾薬が。
朽ちた零戦。
退避壕や多くの陣地跡、ペリリュー神社などを訪れました。
千人壕は名前の通り、千人近くを収容できる大規模な壕です。
あまりに生々しく当時の状況がそのまま残っていて、震える心で歩きました。
島内の壕に入るときは、ガイドと行くのはもちろんですが、頭上に気をつける必要があります。
頭を打って大けがする恐れがあります。
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