絶景の連続、アイスランドの自然
2014年 09月 16日
アイスランドは、高校地理を学ぶ生徒にとっては世界で唯一、海の深底にあるはずの海嶺がひょっこり海上に現れてできた島としておなじみの場所です。そこでは、細長い割れ目を境に、東にはユーラシアプレートが、西には北アメリカプレートが日々新たに生成されています。
数年前に経済破綻に見舞われたアイスランドですが、2010年頃から劇的な回復を見せ、現在では破綻前の経済水準 -ヨーロッパでも最優等生と言われた― を取り戻しつつあります。
アイスランドについては、魚介類やパンに代表される美味しい食べ物、洗練された質の高い生活に対するこだわりを強く感じさせる人々、ヴァイキングに代表される独特な文化、伝統的な音楽を取り入れた繊細であたたかみのあるオルタナティヴ音楽の数々…。話し始めたらきりがありませんが、今日は、私がすっかり魅了されてしまったその大自然の凄まじさを、拙い写真で紹介しようと思います。
オーロラはまだ9月だと言うのに、首都レイキャビク(北緯64度)のど真ん中にあるホテルのベランダから何の苦労もせずに見えました。

アイスランドと言えば火山。あらゆる場所で噴煙が上がっています。

アイスランドの大地はその多くが黒い溶岩に覆われており、その表面を苔が覆っています。

火山の副産物として、地熱発電所が各地にあります。地熱エネルギーは、アイスランドの総電力の4分の1をまかなう源となっています。

そして、同じく火山の副産物としての温泉。

天然の温水は、生活用水のほか、独自のシステムにより各家庭の暖房にも用いられています。


アイスランドは比較的新しい島ですが、活発な造山運動と度重なる隆起・沈降、氷河の強い侵食作用により、複雑な自然が形成されています。各地の滝の迫力は凄まじく、まさにアイスランドの大自然のハイライトと言える景観でした。


黒い溶岩が露出する海岸も、特別な景観を持っています。
ヴァイキングの神話にまつわる場所も数多くあります。


アイスランドのいくつかのポイントでは、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界を示す2つの断層の狭間を歩くことができます。中でも有名なのが、世界遺産のシンクヴェトリル国立公園と、国際空港に近いケプラヴィークのBridge Between Two Continentsです。




シンクヴェリトルが世界遺産になったのは、その場所がプレート境界を示す溝というだけでなく、大きな歴史的意義を持つ場所としての文化的価値が認められたからです。この場所では930年にノルウェーの移民による全島集会アルシング(現在のアイスランド議会の起源といわれる)が行われており、これを民主的な議会と捉えれば、世界最古の近代議会ということになります。プレートテクトニクス論が存在しなかった9世紀に、よりによって北アメリカとユーラシアのプレート境界のくぼみを、民主的な話し合いの場所に選んだ先人たちの営為には驚嘆せざるをえません。
東に北アメリカプレート、西にユーラシアプレートがあり、その境界に位置するという特異なアイスランドの地理的条件は、20世紀後半になって再び注目を浴びることになります。
1986年10月、ソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのレーガン大統領との間で、レイキャヴィク会談が行われたのです。この会談の場所を提案したゴルバチョフ書記長の頭の中に、アイスランドが地理的に「東西の境界」にあること、アルシングの歴史からその場所が政治融和の象徴的な場になりうることが想定されていたことは想像に難くありません。
結果、レイキャビク会談は、ゴルバチョフ書記長の提案をアメリカが拒否したことで決裂に終わります。
(アイスランドのプレート境界は、境界の3つの種類「ひろがる境界」「せばまる境界」「ずれる境界」のうち、「ひろがる境界」にあたります。まさに2者の間の溝はこの場所でひろがってしまいました。しかし、その後3年の冷戦終結までの流れを見れば、この会談にも一定の意義があったことは認められるでしょう。)
アイスランドを古くから支えてきた産業といえば、捕鯨を含む水産業と、羊などの放牧です。
各地に放牧地があります。しかしデンマークやオランダ、イングランドなどと異なり、アイスランドで放牧ができる場所は無尽蔵にあるわけではありません。厳しい自然と向き合いながら適切な場所で、適切な管理のもとに牧羊や酪農業が営まれています。

アイスランドの天気は変わりやすい。晴れたと思って喜んでいたら、数分後に雨が降り出すこともしばしば。
天気雨も多い。でも、だからこそ虹との遭遇率が高いです。町中で、山で、滝で、あらゆる場所で虹と遭遇するチャンスがあります。

唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。
入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。