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単なるネタとしてではなく。

後藤さんの訃報は少なからず生徒たちにも衝撃を与えていて、中学生の特に男子たちはさかんにこの話題を口にしています。しかし、私は彼らの情報に対する感度や接する方法に疑念を禁じ得ません。

彼らは後藤さんの凄惨な「動画を見たか?」を話題にしています。

生徒たちが今回の事件にある刺激を受けること自体は可も不可もないこと。(当然のこととさえ思います。)

しかし、彼らの話を聞いていると、今回の事件の情報が、単に人々の時間つぶしの格好のネタとして消費され、そしてすぐに数日で鮮度が高くないネタとして処分されてしまうのを見るようで、とても残念で、それこそむごいことのように感じられます。

私たちは日々、刹那の悦びを得るためにさまざまなネタを追いかけています。
ゴーストライターや小保方さんの例を挙げるまでもなく、マスコミが同じニュースばかり追いかけるさまを見れば、そのことは一目瞭然ですが、私たちが日々取っている行動、例えば、自分の目で見ることより、写真のフィルムに残すことばかり考えるフォトグラファーたち、実際の予定よりも、その予定をブログやSNSにアップすること自体が目的となっている投稿者たち、その場所の風や空気を感じるよりも、観光のランドマークに行ったこと自体に価値を置くスタンプラリー的ツアリストたち、それらには、ネタを自ら能動的につくることで満足を得ようとする、私たちの倒錯した価値観を見て取ることができます。

ネタをつくり、ネタを住みかとするような生活をしている私たちにとって、インターネットをはじめとする媒体から流れてくる情報は、鮮度が高く、刺激の強いネタを次々と提供してくれる存在です。ネタはさらなるネタを喚起し、私たちは情報社会のなかで、すっかりネタ中毒になってしまっています。

しかし、ネタばかりを追い求めていると、つい、物事の本質を見失ってしまいます。
本質というのはそれを本質と名付けたとたんに霧散してしまうような脆弱なもので、かつ曖昧なものですが、何か大切なものを手のひらにぎゅっと握りしめ、人やものに寄り添いながら耳を澄ますことで、初めて気づいたり、うれしくなったりするものが、この世には多いのではないかと思うのです。


後藤さんが、危険なアラブの地に赴き、何らかの種を植えに行ったのだとすれば、私たちはその種を育てるためにできることを考えなければならないと思います。

後藤さんが命を落とした現場と私たちが住む日常は1つの環で繋がっており、彼がのこした種を育て花を咲かせる方法を、まだ生きている人間として、諦めずに考え続けたいと思うのです。



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by terakoyanet | 2015-02-02 17:36 | 連載(読み物) | Trackback | Comments(0)