台湾中南部にあるルカイ族の村、多納
2015年 02月 19日
多納に行く途中には、茂林風景区や、龍頭山、蛇頭山などの景勝地があります。
多納集落の入口には、多納古戦場があります。
日本統治下において、いわゆる台湾原住民とよばれる人たちの抗日事件は広範に起こっています。
朝鮮や中国における抗日運動に比べ、台湾の抗日運動は日本の中高の日本史において触れられることは少ないです。中でも最大規模の事件といえば霧社事件ですが、これだけ凄惨な出来事さえも多くの日本人に知られていないのは随分不思議なことです。(台湾ではこの事件は広く知られており、例えば2013年には『セデック・バレ』という霧社事件を描いた映画が公開されています。)
昨今、中国と韓国といえば反日、台湾といえば親日と言われますが、事はそれほど単純ではないはずです。
どんな場所にも、個別に親密な関係、または敵対する関係が存在しているにすぎず、台湾の原住民の人たちにとっても日本という存在はとても複雑な感情を抱かせるものでしょう。
現在のイスラム国に関する報道を見ていて強く感じることですが、いまの私たちに必要なのは、ある集団(国家や団体、組織)に対し、正義や悪といったレッテルを貼ること自体を停止することではないでしょうか。イスラム国や北朝鮮は悪いに決まっているじゃない、と多くの人は言うでしょうが、しかし、彼らがその悪のレッテル自体をむしろ養分として増長していることを考えれば、逆に私たちが徹底的に問題の個別化を図り、一つ一つの事例について感情的・情緒的ではない精細な議論を重ねることだけが、それらの集団の増長を根本から妨げる手段になりえるのではないかと考えます。
話しが逸れました。
茂林・多納でも日本の支配に対する事件(下三社抗日)が起こっている一方で、この地域の人たちにとって日本語は、日本人だけでなく、他の地区の台湾人と話すための大切な言語ツール(共通語)でした。そして多納という地名自体も日本語由来のものです。
この集落は、平らなストレート板で作られた石屋が多く残されていることで知られています。
台風や地震で倒壊することが稀な、丈夫なつくりです。
原住民(ルカイ族)文化を全面に打ち出す多納國小の建物。
散策中、ご飯を食べたいなと思ってふらふらと歩いていたら、食堂のおばあちゃんから台湾語で話しかけられ、「わからないなぁ」と呟いていたら、おばあちゃんは「あっ、あなたニホンジン!?」と驚いた表情で、すかさず日本語に切り替えてお話しをしてくれました。
おばあちゃんに促されるままに食堂内に入り、てきぱきと働くおばあちゃんの立ち姿を見ながら、昔の日本のラーメンってこんなんだったのかなと思わせるような目の前の畑でとれた野菜と角状の豚油が入ったシンプルで美味しいラーメンと、美味しい茹でもろこしをいただきました。
おばあちゃんは、戦中、子ども時代に母親から生活に必要なものとして日本語を習ったから、80歳になったいまでも日本語を覚えているとのこと。台北で働く美人な娘さんの写真も見せてくれました。
まるで生涯の姿勢のようなおばあちゃんの後ろ姿を見ながらの昼食を堪能し、そのあと茂林風景区で乱舞する蝶を見て帰路につきました。
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