夫婦別姓と「拘り」
2015年 12月 19日
昨日Facebookに書いた文章ですが、こちらにもアップしたいと思います。
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深夜、仕事をしている合間にふと夫婦別姓に反対している人ってなぜ夫婦同姓にそんなにこだわるのだろうと知りたくなって「夫婦同姓にこだわるのはなぜ?」というワードで検索してみたら、「夫婦別姓になぜそんなにこだわるの?」という記事ばかりが飛び込んで驚いた。たぶんどの立場であっても、自分の反対の意見を持っている人というのは「拘って」いるように見えるのだろう。しかし相手が「拘り」を持っているという見方自体、すでに「偏見」なのかもしれない。そう思っていないと、相手の「理屈」ばかりが目にとまって相手の考えの深い根の部分が見えない。そういったことは多々あるように思える。
「私は女ですが夫婦別姓には反対です。 なぜあんなにまで、女性が別姓にこだわるのかがわかりません。 女性が差別を受けていると、未だに思っている被害妄想とも感じられます。だから、男性にできて、女性に出来ないことがあると、何にでも過敏に反応して女性にもさせろと必死になる姿ってどうかなと思います。(笑)」
さきほどの検索でひっかかったgooのページにあったこの文章も、相手の「拘り」ばかりが目に付いたせいでこんな感想が出てくるんだろうな、「被害妄想」とかじゃないのに、と思うわけだけど、でも、その原因は夫婦別姓を主張する人たちの中にもある。
夫婦別姓を希望する人たちが「結婚したあと仕事の際に不便になる」「事務的に煩瑣」であることを度々その理由に挙げる。たしかにそれも理由なのかもしれない。でも「不便」「煩瑣」と感じる「感情」がどこから生まれてきたかと考えたときに、自身の姓がほとんど選択権も与えられず夫の姓になったときの戸惑いや慄きの感情にあることにはほとんど触れられない。女性の権利を主張する以前に、そういった感情があり、それが決定的にある女性たちに痛みを与えていることに触れずに、権利や実用の話ばかりしているから相手に何も伝わらない、そういった面もある。
「感情」について理性的に話すのは難しいけれど、そういった深い根の部分にコミットしなければ、いつまでも相手の不埒な「拘り」ばかりが目に付いて非難の応酬に終始するのは目に見えている。本当に「解決」に向かいたいのであれば、お互い心を開かねば。
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