バニュワンギ郊外にあるミコさんのお宅を訪問
2016年 01月 19日
数名のガイドのなかでも、ミコ(Miko)さん(以下ミコ)とは丸3日間いっしょに行動したので、すっかり打ち解けていろいろな話をしました。
最終日になり、ホテルから空港に行く(車で1時間くらい)途中に僕の家があるからと、ミコの家に立ち寄ることになりました。車窓から見えるのは稲の手植えや鋤を引く水牛といった伝統的な農村風景。
日本人はまず来ないけれど、欧米人たちはこの地区でたびたび農業体験をします。そういったツアーを受け入れることで、一部の農家はすごく(経済的に)助かっています、とミコ。
農業機械の導入、とかそういう話はないのですか?
ありますよ。一部では使われている。でもすごく高価なんです。だから稲刈りのときは借りたり共同購入したものを使ったりしている。でも老人にとってはその使い方は難しい。うまく使えなくて結局もとのやり方に戻った人もいます。
日本人はまず来ない、って言ったけどなぜでしょうか。
日本人、まあこれは韓国や中国、台湾の人たちも含まれるんだけど、そういう人たちと、欧米やオーストラリアの人たちとでは旅に求めるものが違う、そうではないですか?
そうですね。アジア人は概して買い物が好き、欧米人は自然や文化が好き。そういう感じでしょうか?
うん。僕はバリ島で働いていたことがあるから、そのコントラストは目を見張るほどでした。ただダイビングだけはアジア人も好きだけど。でもバリ島で登山やトレッキングをする日本人はほとんどいないでしょ。ジャワ島まで来て火山を登りたいっていう日本人も珍しいですよ。
ミコはくすくすと私のほうをみて笑う。
バリ島でオランダ人に言われましたよ。なぜ君はインドネシアに来てまで火山を見に行くんだ!?日本人なら火山は不足していないはずだって。
あははは。確かに日本人とフィリピン人と私たちインドネシア人は、火山については何の不足もないですね。
さっきの話だけど、西洋人とアジア人では「消費」についての自覚が全く異なるんです。西洋の人たちはすでに「仕組まれた産業」の中で私たちが「消費させられている」ことに自覚的だから、消費行動として最もわかりやすい「買い物」には興味を失っている。でもそこはまだアジアの人たちは素朴です。「買い物」自体がまだ楽しみとして成立しているんだから。でもアジアの人たちは別にそのことを卑下しなくってもいい、だって西洋人のアクティブな「楽しみ」や「体験」は、多くの場合、消費行動を表面的に無害化するためにあるんだから。彼らだって自分が何がやりたいかなんて本当はわかっていない、私にはそう見えます。
そんなことを考えながらガイドをするのはどんな気持ちなのですか?
もちろん楽しいですよ。実際に「体験」が始まると、「動機」は消えて楽しさだけが残る。これはガイドする側もされる側も同じことです。
彼は西洋人とアジア人の比較で話をしたが、これからアジアや日本の人たちの志向も変わってくるかもしれない。ガイドブック「地球の歩き方」の最新版には、バリ島内のトレッキングコースについての特集が載っており、日本人の志向の変化が窺える。高校生たちを指導していて個人的に感じるのだけれど、彼らは「消費させられている」という話をした場合、何の抵抗も示さない。すでに彼らはそのことを知っている、そのような印象を受けることが多い。でもだからと言って日本の若者たちが西洋の人たちと同じリアクションをとるとは思わない。彼らはすでに「自分が何がやりたいかなんて本当はわかっていない」ということを引き受けた上で、それぞれのキャラを演じ、コミュニケーションの円環の中で自活している。
よく「うちの国にも遊びにおいでよ!」って欧米の人たちに言われるけど、私たちインドネシア人が観光のために欧米に行くのがどれだけ難しいことか、きっと彼らの想像の何倍も難しいということをわかっていない、と思うことが多い。ビザの問題もあるし。でも、そのかわりに私はたくさんの国の人たちと話している。だから私は彼らに言うんです。「私はもう何もかも見ているから、行かなくても大丈夫。」って。実際のところ、移動することと、ものを見ることの間には直接の関係はないのです。
まるでアドルノとホルクハイマーの幻影を見るような、そんな話をしながらミコさんの家に到着。
「日本からのお客さんだよ」とミコさんが言うと、お姉ちゃんが一言「AKB48・・」。
インドネシアではJKT48が活動しているからか知名度が高いらしい。最初は写真におさまるのを「恥ずかしい・・」と言っていたけれど、お父さん(ミコ)に促されこの笑顔。ありがとう。
そして弟のプリンゴくん(3歳)と近所の友達といっしょに集落内を散策。
ミコの義理の兄は凧をつくるのが上手。
おばあちゃんとできたよ、とポーズ。
最後にミコと子どもたちと家のすぐそばのとても小さな小学校へ。
この学校は私設の小学校です。ここはバニュワンギ郊外の小さな集落だから、もともと小学校がなかったんです。だから十数年前に私たちがこの学校を建てて、近くの村から先生ができる人を連れてきて学校を始めたんです。でも私設だから、この小学校を卒業しても上級の学校に上がれない、そんな状態が続いていました。
でも、昨年ようやく国に学校として認められ、国から派遣された先生がやってきたんです。
だからプリンゴは、私たちが行けなかった上級の学校に行ける。
そういうわけで学校を最初につくった私たちにとって、この学校はちょっとした誇りなんです。
ミコはそう話しました。
ミコさんやその村の人たちと過ごした時間が忘れられません。
(*行って時間が経過しましたので、一部の会話がフィクションであることをお許しください。)
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