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参院選に投票する18歳の高校生たちへ

今回の参院選は、初めての十代の若者が投票する国政選挙ということで、歴史的なものと言われています。
その選挙に参加するみんなにとって、今回の選挙というのはどういったものでしょうか。

なぜそんな漠然とした質問をするかというと、みんなに果たして選挙に参加することを真剣に考える時間があったのかどうか、甚だ(はなはだ)疑問だからです。

この時期のみんなはもともと受験生なのに加え、定期テストの勉強に精を出している人が多いでしょう。
中にはまだ最後の時期の部活動が終わっていない人もいるし、体育祭など夏休み明けの学校行事のための準備に取り掛かっている人もいるよね。さらに塾や習い事がある人も多い。みんなはとにかく忙しい。

皆を忙しくしたのは、もちろんみんな一人ひとりに一定の原因があるけれども、でも原因の多くは、高校生を必然的に忙しくするシステムをつくってしまった大人たちに責任があります。結果として、高校生たちに考える時間を十分とらせて上げることができないまま、この歴史的と言われる選挙を迎えてしまった。(しかも教育の現場は「公正中立」という言葉のもとで教員たちが必要以上に委縮し、高校生たちに実のある言葉を何も投げかけることができていない。高校生たちの政治的活動も、法的根拠に乏しい状況で極端に制限されている。) これらのことは、本当は大人たちが真剣に反省しなければならないことなのだけど、それについての真っ当な言論が極端に少ないことはとても残念です。

先日、イギリスでEUに残留するかどうかの国民投票が行われました。僅差で離脱派が勝利をおさめましたが、いま、敗北した残留派の人たちは、離脱派の人たちのことを「なんて無知な選択をしたんだ」と地団駄を踏んで悔しがっています。彼らの怒りはその全てが正当なものとは思えませんが、離脱したイギリスに、この先どのような困難が待ち受けているのだろうと考えたときに、暗澹たる部分があることは否定できず、その意味では、そのことを見越すことができずに「無知な選択をした」国民が多くいたことは確かだと思います。

このイギリスの現象を見て、私は他人ごとではないなと思いました。だってみんな一人ひとりも今回の選挙について真剣に考えましたか? 先に述べた通り、そんな猶予を大人たちは与えてくれませんでした。その中で、どれだけの十代が今回の選挙にあたり思考を重ねることができたか心配しています。

こんなことを言っていると鋭い高校生たちから「じゃあ大人たちは真剣に考えているの?」という鋭いジャブが飛んできそうです。そう、確かに大人たちも考えていない。多くの大人たちが政治は「わからない」「難しい」と考えていて、政治について考えること自体、諦めている人もいます。でも、政治が「わからない」「難しい」というのは、実は専門的な知識がない人たちにとっては当然のことで、わからないながらも、候補者や政党を自身の倫理観や良心と照らし合わせ、さらに現実的な損得勘定などをしながら、選択をしていかざるを得ないのが選挙なのです。だからこそ、私たちは、知恵と知識、そして直観を武器にして、政治に対峙しなければならない。



今回の選挙は、さまざまな争点があると言われていますが、その中でも現在言及されることが多くなっている憲法改正の論議について考えてみたいと思います。

今回の選挙結果予想などを見ていると、共産党が大幅に議席を伸ばす一方で、民進党がそれ以上に議席を減らすために、改憲派と言われる人たちの勢力が3分の2以上になる可能性が高まっています。改憲派が衆参両院の3分の2を占めると、中学校でも習った「憲法改正の発議」が可能になるために、多くの大人たちが警鐘を鳴らしています。

これについては、YouTubeで「くらべてみよう 現憲法と改憲案」というわかりやすい動画が上がっていますので見てみてください。


この動画等を見れば、いろいろな問題があることがわかるのですが、これよりも、自民党自らが発表している、「日本国憲法改正草案対照表」を見るほうがより確実でしょう。時間がない人は「前文」だけでも読み比べてみてください。その違いは歴然です。

自民党の憲法改正草案の何が一番問題かというと、憲法というのは「国民が国家権力を抑制するため」のものなのに、自民党案では「国家が国民を抑制するため」のものに反転している、これに尽きます。(この点については残念ながら別の解釈の余地がありません。) 国家が国民を蹂躙(じゅうりん)し、そのかけがえのない生命と生活を奪った、そういう苦渋の歴史を踏まえ、国民が国家を抑制して暴走するのを止められるようにしよう、と考えられたのが憲法です。自民党案ではその憲法の大前提がひっくり返されているのです。

私自身、憲法は時代に合わせて変わっていくべきものと考えていて、何が何でも憲法は一字一句変えてはいけないと考えている人はきっと少数派でしょう。しかしながら、この自民党の改正案は、私たちの基本的人権そのものが国家によって脅かされるものであるという危惧を拭うことができません。


一方で、改憲派の側に問題はないのでしょうか。

今回、共産党の議席が飛躍することが予想されています。一人区における共産×民進の協力について、左派の多くの人たちが共産党の働きかけをたたえ、民進党の出足の鈍さを叩きました。しかし、今回の民共協力において、共産党のリスクは、民進党に比べれば小さいものです。(一人区での勝利がもともと期待できない共産党にとって、一人区の候補者を取り下げたところで議席減の可能性はほとんどありませんし、民進党との連携は、本懐を果たすための手段として、元の支持者たちに多くは肯定的に受け止められています。一方で、民進党は共産党と連携したことで一定の支持者たちが離れました。安倍首相をはじめ自民党陣営から共産アレルギー[年配の人たちの中には共産党と聞いただけで顔をしかめる人たちがたくさんいるのです]を刺激する戦略を取られ、ダメージを受けています。その意味で民進党の出足が鈍かったのは致し方ない部分があります。) このことは、今回の民共協力を考える際に踏まえておきたいことです。

また、今回、共産党に投票した人たちが、どれだけ共産党に政権担当能力があるかどうかをシビアに考えているのかということを想像すると、受け皿にしかすぎない共産党に何ができるのか、と言われたときに、その人たちがどれだけの反論が可能なのか、それなら自民党に自らが入り込んで、自民党内を改革する、そういった可能性を持っている候補者がいればそちらを応援する、自民党が嫌いなのではなく、その政策に誤りがあるだけなのだから、そういう判断と選択をする人もいるのではないかと考えるのです。

さらに、護憲派の人たちにも、問題がないとは言えません。
「前文」「憲法9条」の「正しさ」を声高く叫ぶその心情に、私自身は共鳴しています。
しかし、「前文」「憲法9条」、そしていまの「日本国憲法」の「正しさ」を喧伝することは、それらの人たちが嫌っているはずの、ナショナリズムの新たな形態になりかねません。その「正しさ」を信じ切っており、それを半ば人に押し付けようとしているのですから。でも、人はそれぞれの「正しさ」を胸に抱きながら生きているものです。だから、その「正しさ」どうしが衝突して争いになっている。だから自らの「正しさ」を信じ切ることはとても危険です。そのことは覚えていてください。


これまで私は、現在の自民党に対し、やや批判的な立場から話をしましたが、読む人によっては「悪しき相対主義だ」とか「結局何が言いたいかわからない」いう批判を受けかねない話をしていると自覚しています。人は多かれ少なかれ、白黒をつけたがるものだし、どこかで白黒をつけないと選択できない、前に進めない、だからよくわからないものに対して人はいらいらしてしまうものです。

でも世の中というのは、実は白黒をつけたい人たちがつけてるだけであって、グレーのグラデーションが漂っているにすぎない空間です。だからそのグレーに目を凝らしながら、自分なりに、完璧ではないにせよ最善の結論を導いていってほしい。(私自身、すべての候補者と政党がグレーに見えるなかで、結論を出し、期日前投票をしてきました。) それが18歳のみんなに伝えたいことです。

いま地下鉄の放送で、高校生たちが、選挙に行こうって呼び掛けているでしょう。
でも、その放送の中に含まれている、選挙に行く=良いこと とかいう道徳的な刷り込みはとても安直です。

一人ひとり、そもそも政治に参加することとは、選挙とは、ということについて、よく考え、学んだ上での18歳選挙であってほしいと思います。以上が、忙しいみんなのためのヒントになればと思って書いた文章です。(みんな忙しいのに長くてごめんね。)





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by terakoyanet | 2016-07-02 14:24 | 連載(読み物) | Trackback | Comments(0)