ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂

ローマの三大バジリカ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。国東出身のペトロカスイ岐部は、3年もの年月をかけてローマに辿り着き、この荘厳な聖堂で司祭に叙階された。
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その後、彼が凄絶な殉教を遂げるまでの話は遠藤周作が幾度か描いた通りである。すでに「転んで」いたフェレイラ(沢野忠庵)に棄教を迫られても揺るがず、穴吊りになっても他の信徒を励まし続けたために、とうとう穴から出されてしまうなど、殉教者たちの中でも特に強靭な精神の持ち主だったことが知られる。
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「沈黙」から13年も経過した後に「銃と十字架」でペトロ岐部の生涯を描いた遠藤の内面について考える。「沈黙」に比べるとドラマ性に欠ける「銃と十字架」。でも一方でペトロ岐部の苦しみの生涯に、ただひたすらに寄り添おうとする筆致には迫力がある。
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ローマでの体験が、ペトロ岐部の強靭な生の支えになったことは疑う余地がない。彼の心の中の神は決して沈黙しておらず、最期の瞬間まで生き続けた。きっと彼は神を見たし、神を知っていたのではないかと思う。
そのことは私にとって、驚異であり、大いなる謎である。遠藤もこの謎を自らの掌に手繰り寄せたかったのではないか。そんなことを想像する。
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ローマのバジリカの中に座っていると次々に私と対話しようと近づいてくる人たちが現れては消えていった。そして、ペトロ岐部もそのうちの一人だった。

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by terakoyanet | 2017-06-14 09:28 | 好きな場所 | Trackback | Comments(0)