『酵母パン宗像堂』を読む
2018年 05月 22日
沖縄の宗像堂さんの本、『酵母パン宗像堂』。当店(とらきつね)では先月のベストセラー2位にランクインしています。
3月の宗像誉支夫さん、宗像みかさんとのトークイベントでも話しましたが、この本は、ただのパン屋の本ではありません。私たちの生き方、考え方についてのヒントが詰まっているんです。
宗像堂さんの本の中に出てくる「発酵」についての文章をここでご紹介します。
【発酵】ありのままを受け入れる
「微生物を研究しようと対象を一つの菌に決めてしまうと、それは既に集団で機能している微生物の生態とは違うものになってしまう。微生物、つまり酵母は複雑な集団として存在している。その集団ありのままの生態を受け入れることが、酵母と付き合うということなんです。だから、彼らをコントロールできているっていう感覚もないんですよ。好ましいときだけ一緒に仕事をしてくれるパートナーのような存在。だから、人間側は謙虚にならざるを得ないというか、できるのは、酵母の環境をなるべく整えることだけですから。そして、目に見えない酵母を知覚するためには、自分の感覚を鋭くしていくしかないわけです。 < 中略 > そうやって酵母と付き合っているうちに、不思議と自分自身と酵母が、相似の関係になっていくんです」
この文章は、人間(=人と人の間の存在)である私たちが、関係性について考える上で大きな示唆を与えてくれるものです。
宗像さんは、別の【成形】について語る場面で、パンを「どのタイミングで窯に入れるかは、指先の記憶を積み重ねるしかない。身体性こそが、パンに宿るんです」と話していますが、人との関わりだって、「指先の記憶」のような脆弱な手触りの記憶をたよりに、少しずつ紡いでいくことだけが信頼の輪郭を作っていくものなのに、私たちはつい、この人はこういう傾向のある人だと、自分の既知の範疇でラベリングし、その人についての判断を安易に確定しがちです。しかし、それでは何も見たことにはならないでしょう。なぜなら、私たちは人間であり、つまり、人と人との間の関係自体が私たちだからです。
宗像さんは「その集団ありのままの生態を受け入れることが、酵母と付き合うということなんです。だから、彼らをコントロールできているっていう感覚もないんですよ。」と言います。
この本には驚くべき表現が散りばめられているのですが、引用した文章の最後の一文「不思議と自分自身と酵母が、相似の関係になっていく」という言葉にはひときわ凄味があります。
『酵母パン 宗像堂』を読むと、こんなことを考えてパンを作っている人がいるという事実に驚愕するし、そのパンを実際に味わうことができるというのは何とも喜ばしいことではないかと深く強く感じます。
村岡俊也さんの文章も愛があって素晴らしいですし、伊藤徹也さんの写真は美しく発光していて見惚れます。パンの紹介やレシピも最高に魅力的です。
こちらの本、とらきつねに常設&販売しています。
そして、宗像堂さんのパンは今週末、26日(土)の販売です。