ブックレビュー 2018年7月-10月

子どもを産まない選択を「勝手なこと」と言った政治家がいるらしい。彼は、みんなが子どもをたくさん産めば国が富む、子どもを産まない勝手な人がいるから国が富まないと考えているらしいが、日々のささやかな思いを大切に生きている「国民一人一人」のことを想像さえしようとしない、こういった政治家が頭に思い浮かべる「国」の正体とはいったい何なのか?

彼らは「国民」という言葉を、「国民一人一人」という使い方ではなく、「なんとなく全体がそう思っている感じ」くらいに設定してくる。(武田砂鉄『日本の気配』)

武田砂鉄さんの新刊『日本の気配』は、現代の政治がとても不穏で危険なものであることを明らかにするとともに、それが私たち自身が持つ危うさでもあることを告発します。現代を知るためのルポであると同時に、この社会は生きにくいと感じている人にとっては、その生きにくさの正体を明らかにしてくれる格好の解説書でもあります。
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新潮8月号を入荷しました。四方田犬彦さんの初の本格小説『鳥を放つ』が掲載されている8月号ですが、寺尾紗穂さんの手記「二つの彗星ー父・寺尾次郎の死に寄せて」を読むことができます。

「うちはみんなバラバラ」と思って生きてきた寺尾紗穂さんが、「最愛の」と呼ぶことができなかった父のことを語る文章。父に「さすって」と言われたときの彼女の心の震えの痛さが、ずっと心に残っています。

やたら涙もろいとか
果てなくさまよい続けるとか
君と僕とは似ているよ
「ねえ、彗星」寺尾紗穂 アルバム『御身』より


物心つく前は、誰しもが私という彗星の軌道の上を、私を中心に、親も家族も、いっしょに回っているんだ、きっとそんなイメージを持っているかもしれない。

でも、あるときに気づくのです。私と親、私と家族はそれぞれが別々に孤独な軌道を回っていて、私の周りには無限の孤独が広がっているということを。

手を差し伸べても届くことのない、もう一つの彗星。決して交わることのないように思われる、「最愛の」彗星。

でも、私が遠くに見ているあの彗星も、無限の孤独に耐えながら、君と僕とは似ているよ、私の方を見ながら、そんなことをぼんやりと考えているかもしれない。

そう思うと、あなたの彗星のしっぽの先に乗って、同じ宇宙の空を切って飛んでいる私を想像することができる。私の孤独は、孤独そのものとして、あなたの孤独と交わることができる、その可能性に気づかされ、涙が出る。

寺尾さんの文章を読んで、そんなことを考えた朝でした。


寺尾紗穂さんの手記「二つの彗星ー父・寺尾次郎の死に寄せて」は、10月発売の寺尾紗穂さんの新刊『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)に収録されています。
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伊藤比呂美『切腹考』(文藝春秋)
いかにも著者らしいタイトルと鮮血を想起させる赤い文字に、装丁を見たとたんに目眩がした。

やや隠喩的になるが、伊藤比呂美という詩人は、目の前の人が腹を切り、鮮血を出すそのさまを、酷薄に、そして克明に、記す仕事をしてきたのだろう。その彼女が鷗外に惹かれる必然が、ここには確かに描かれていて、その必然は人生に或る暗さと妖しさと艶めかしさ、そして屹立した真面目な美しさを与える類のものだ。

伊藤比呂美はこれほどに生と死の狭間にあるエロスを描きながら、「生きる死ぬるの、実体など、ほんとはどこにもなかった」そう言い切る。そこに彼女の鋭い知性を感じる。私が彼女を信じられると思える理由もそこにある。

「阿部一族」に描かれる死生観から、夫との死別、熊本地震まで、話題は多岐に渡る。生きる死ぬるについての話は、彼女のような人とこそ語り合いたい。そう思った一冊。

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シンガーであり作家でもある寺尾紗穂さんが、音楽をやっている知人たちに声をかけて、音楽ではない何かについての文章が一冊に集まってできた「音楽のまわり」。

瑞々しい木漏れ日のような、折坂悠太くん、マヒトゥザピーポーの文章、縁側で座って聞いたらふふふと笑いながら聞けて楽しそうな伊賀航さんやユザーン、寺尾さんの話。どれもこれも良いのですが、少々理屈っぽいわたしは、エマーソン北村さんの「寝る前に読む進化論」がツボでした。科学も歴史も弁証法も、ほんとうは愛に満ちているんじゃないかな、そんなことを信じさせてくれる、美しい短編です。

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美しい小さな詩集が刊行されます。
『バウムクーヘン』詩 谷川俊太郎・挿画 ディック ブルーナ

すべての詩が かなで書かれたこの詩集。
谷川さんはこの詩集のことを「私の中に今もひそんでいる子どもの言葉をかりて、老人の私が書いた大人の詩集です」と話しています。

かなの言葉の連なりが 私たちに小さな声で語りかけるの
人生の楽しみ 不可思議 驚き 慄き そして 愛の言葉

みえるのははるかに
どこまでもおわらないみちだけ
しらないあいだにぼくのからだに
だれもしらないうたがうまれて
こころがだまってうたっている
*2章「みち」より

きらいのなかに
すきがまざってることがある
そのすきはうそじゃない
*3章「すききらい」より


自分の心を掘ったあのときに
きっと確かに浮かんだ言葉が 
この小さな詩集の中に散りばめられていて
うれしいような 少しくやしいような
そんな いつまでも大切にしたい 詩集です


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本を手に持ったとたんにびんびんと伝わってきた。この本は、本を心底愛している人たちによって作られている本だということが。

何て、本らしい本。凛と角ばっていて、ページをめくりやすくって、言葉のひとつひとつがしっかり目に飛び込んでくる。

私はいまこの本を読み始めてわずか45分。本のはじめから120ページ、編集者の島田潤一郎さん、装丁家の矢萩多聞さん、校正者の牟田都子さんの3人の文章を読んですぐにパソコンの前に座って文章を書き始めたところだ。(つまりまだ全体の半分も読み終わっていない。だから、まだ読み終わっていない人が書いているという留保つきで、この文章を読んでください。いっしょに「読み始め」の感覚を味わってもらえたら。)

本というのは読んでいると途中で弛緩することがあるのだけど、この本はちょっと違う。本を愛している人たちが意図せぬうちに絶妙なチームワークを生み出し、言葉のリレーを繰り広げる。まるで、運動会のリレーのように、走者たちがバトンを渡すたびに見る者の高揚感は高まる。この本は、まさにそんな感じだ。(その高揚感をそのままに、4人目にバトンを渡そうとする所作だけ最後に確認して、もう文章を書き始めてしまった。)

島田さんがこの本の冒頭に言葉を綴ったのは、きっとこの本にとっての幸運だ。島田さんの言葉の中に、ひとつの「全体」の話があった。これは、私が思うに本が持つ最も根源的な力だ。こんな話から始まるこの本はすごいと思った。そしてこの本もそのままで、ひとつの「全体」を体現するものになっているんじゃないか、そんなことを考えた。
島田さんの言葉でもうひとつ印象に残ったのは、「具体的な読者のために仕事をしたい」という話。私自身、何か文を書いているときに、一般とか大衆とかいう言葉がピンとこない。具体的な読者しか、逆に想定できない。だから島田さんの言葉に勇気をもらった。具体的な読者、目の前のあなたに向けて書いていることが、どこかで見知らぬ誰かとも、少しだけ交わることを信じたいと思う。

矢萩多聞さんの中1で学校をやめてインドから日本の友だちに何百通も手紙を送ったという「ビョーキな趣味」の話を読んでいると、子どものころに私も何かを人に伝えたいという強いビョーキの衝動を持っていた時代があったことに気づかされた。小学校時代は毎日新聞を書いて、初めは壁新聞として貼りだしていたけど、それでは物足りなくなって、新聞を毎日学校の印刷室で刷ってクラスのみんなに配るようになった。(よく先生が認めてくれたものだと思う。)中学では毎週寝不足になりながら原稿を書いて、給食時間に図書館アワーという全校放送を1年間続けた。1年間続けた最後の日、給食の終わりかけの時間に教室に戻ってきた私に対し、担任の村石先生が、一年間、こんなに内容のある素晴らしい放送を続けられるものではない、みんな拍手を!とクラスのみんなに拍手を求めてくれたことは忘れない。どこかで自分の趣味でやっているだけ、という引け目のような気持ちが巣くっていたから、先生が認めてくれたことで、どれだけ救われたか。そんな少年時代のことを思い出した。
矢萩さんの言葉で印象に残ったのは、この章のタイトルにもなっている「女神はあなたを見ている」。この言葉は、きっとこの本がこの世に生まれた意味そのものを示しているので、ここで説明してしまっては余りにもったいない。物事を大切にいとおしむことを知っている矢萩さんの文を通して、この本を読む人に、この言葉を味わってほしいと思います。

そして3人目のバトンは校正者の牟田都子さん。「ものを知っている」というよりも「調べ方を(人よりも多少)知っている」という校正の仕事の本質の話、しかしその校正という行為自体は「読む」というよりも「耳をすます」ことであるという話。私も昨年初めて本をつくって、校正の方と、そして自分が書いた得体の知れぬ言葉と、格闘し、会話をした。そうか、校正というのは、こんなにあったかくて、真剣な仕事なんだと、そこには確かに血の通った会話があったと、牟田さんの言葉を読んで、改めて深く噛みしめた。私は本を書きたいとか、本を出したいとかそんなことではなくて、究極にはこういう会話がしたいだけなんだ、そのことが、次の本のことについて考えているこのタイミングで確認できてよかったと思う。

普段、感傷的すぎることは恥かしいと思い、自分のことについては極力書かないようにしているのですが、この本は、あまりに自分に寄せて読むことができる本なので、前半を読んだだけですが、つい長文を書いてしまいました。


『本を贈る』三輪舎
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植本一子『フェルメール』(ナナロク社 Blue Sheep )

写真家・植本一子がフェルメールの全作品を巡る旅をそのまま収録した本。

美術書なのに完全取り下ろしの写真集でもあり、植本一子の心のふるえに感応する文学でもあるこの本は、美しい装丁と印刷に思わず見惚れます。

・・・

LINEで一子さんから「鳥羽さん、フェルメールどうだった?!」とメッセージ来たから、彼女にはマジメに次のメッセージを送りました。


フェルメールを読んでいて、なぜ草刈さんと村井さんが植本さんにお願いしたのか
少しわかった気がしました

ふつうの美術書だと、絵と絵にまつわる物語が固着していて動きがない

でも植本さんのフェルメールはまさにその瞬間の動き(目の動き、心の動き、つまり私と絵の間)が封じ込められていて、それは写真家だからできた仕事だと思います

絵を見る目線がそのまま撮られた写真が印象的でした 絵を見るという行為について考えさせられました

デジタルかフィルムかという葛藤が そのまま 偶発性のようなものを恐れながらもでもそれが全てなんだという
うえもとさんのもがきと覚悟をあらわしていて おもしろかった です

フェルメールの絵自体を掘り下げて フェルメールの深層・真相 を掴みたい人には期待はずれの本だと思います
でも絵自体の真実なんてないでしょう 自分が変化したら絵も変化するんだから と思っている人間には 興味深い本でした

というのがまじめな感想です

文で感想を伝えると、便秘のようにかたくなってしまうので、また会ったときに!

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あなたは私をそれでも肯定できますか? 瞬間瞬間で変わってゆく私を。そう問いかけられる、試されている、そんな映画だった。

そして映画に時間を使ったせいで、いま徹夜で仕事をしている。映画の最後のシーンの残像が見える。きたないはきれい。

『ユリイカ』9月号は濱口竜介監督特集。

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『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』
平成という時代が終わるこの時期に、見て見ないふりをされてきた歴史をしっかりと見つめてみたいのです。
昨年発売された『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』と共に、刮目に値する書。
沖縄の問題、女性の問題は、いつだって己の問題です。
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『異なり記念日』(医学書院)
ろう者であり写真家である齋藤陽道さんの新刊。これは人の「異なり」という「多様性を認める」本というより、「異なり」をめぐる軋轢や奇妙さを、ときに甘くてすてきな、ときににがくて苦しい思い出のままに、大切にいとおしむ本だ。

「異なり」を喜ぶのは決してきれい事じゃない。
生きている私たちが、死という究極の「異なり」を見据えながら、「異なり」の思考を逞しくしていくこの営みの中に、深い喜びがあるんだ、そのことを教えてくれる優しくて力強い本。
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水俣市の中心部から車で15分程離れた丘の上にある、水俣病センター相思社の永野三智さん著『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』特装版 を入荷しました。
特装版の表紙カバーは、水俣の創作ユニットHUNKAによって限定制作された、手刷りシルクスクリーンによるもの。表紙を見ただけで一目惚れ。あ、これは大切な思いで作られた一冊だとわかります。

相思社さんは、水俣病の最初の発生地といわれる集落のすぐそばで、「悶え加勢すればよかとです」という石牟礼道子さんの言葉を胸に、今日も認定、非認定にかかわらず、水俣病患者の方たちと向き合っています。
永野さんは1980年代生まれの若い世代。水俣出身の人間がいまの時代に水俣病と関わること、患者たちと向き合うこと、それは到底きれいごとでは済まない人間臭い現実があり、水俣病というのは彼岸にある過去の他人事ではなく、たったいまの私たちのことだった、そのことに気づかされる本。永野さんはこの本には何の解決も希望もないです、と語っていました。
それを聞いたとき私は、でも、だからこそ、そこから始まっているからこそ、この本に描かれる「ありのまま」が、相思社に関わる人たち、この本を読む人たちの心の灯火となる、それを信じる力に繋がるのだと思いました
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タラブックスのコアなファンたちから特に人気のある"I Saw a Peacock With a Fiery Tail"は『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)でもその魅力が紹介されています。青いハードカバーのデザインのすばらしさに心を射抜かれる方もいるでしょう。

17世紀のイングランドのおとぎ話に基づいたトリック・ポエムの構造が、この絵本の特別な仕掛けによって明らかになるのは鳥肌ものです。(最初の言葉は無意味であるかのようにたたずんでいるのですが、各行の途中で中断を与え、その断片的な文節の意味を辿っていくと、自ずとその意味が解明し始めるのです。)

作画は"The Night Life of Trees"(夜の木)のRamsingh Urveti。トライバルアートの新たな魅力に出会える1冊。タラブックスはシルクスクリーン絵本だけじゃない、その大胆なアレンジ性とデザインにこそ魅力がある、それを感じることができる1冊です。

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シルクスクリーンで鮮やかに刷られた絵巻物。今年の9月に日本語版が出たばかりのタラブックスの「つなみ」。 2004 年に発生したあのインド洋大津波のことを描いたものですから、題材は深刻で悲しい現実でありながら、しかし、この絵とうたには胸が張り裂けそうになるくらい、めいいっぱいの愛と喜びと希望が溢れている。

目に焼き付いて離れない鮮やかなシルクスクリーンのインクの色が、やさしく力強く、魂のうたを私たちに届けてくれるのです。そうやって、苦しくて悲しい現実も、喜びや希望も、私たちに確かに繋がっている、この蛇腹式の本を1枚 1 枚にめくりながら、その感触を確かめながら、そのことをひしひしと感じるのです。

一家に一冊この本があれば、大切なお守りになってくれるんじゃないかな、思わずそんなことを考えてしまうくらい、パワーを感じる特別な一冊です。

日本語版のレイアウトは矢萩多聞さん。
タラブックスを日本に紹介した立役者のひとりである矢萩多聞さんの ambooks のHP( tamon.in/s001/ )には「ポトゥア、東野健一さんのこと」という文章が載っていて、矢萩さんがどんな思いでこの本の日本語デザインを担当したかが熱く深く書かれていて圧倒されます。ぜひ読んで、そしてこの本を手にしていただきたいと思うのです。
くどいですが、本当に見事に素晴らしい本、絵巻物です。

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by terakoyanet | 2018-11-03 03:51 | とらきつね | Trackback | Comments(0)