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辻山良雄さん『ことばの生まれる景色』お話し会 補遺

3月19日に天神の本のあるところajiroさんにて辻山良雄さんの『ことばの生まれる景色』の出版イベントが開催され、私も聞き手として参加しました。

後で知ったのですが、保護者さまにもご参加いただいていたり、(あるお父さまは駆けつけようとしたけれど間に合わなかったなど)気にかけてくださった方がいたことに感謝しています。


イベントの次の日に、Twitterで

昨日、ajiroで辻山さんが隣で話してくださったことを思い出すと、胸の深いところがじんとする。うまく言えないけれども、人の実存が、これほど心を揺さぶるということに戸惑っている。ことばに替え難いささやかな感覚そのものが人柄であり、つまりは人である、このことを知るたよりなさと確かさ。

とつぶやいていますが、この感覚は、5日経ったいまも変わらず、むしろ深まっています。


当日時間がなくて話せなかったけど、辻山さんともう少しだけ深めてみたかったことを、忘れないうちに書き出しておこうと思います。


<人間と自然について>
石牟礼道子の作品を読むと、うたや詩が、自然と人間との交わりの中にあった時代が、ついこの前まであったことがわかる。
そして、柳田国男や深沢七郎らの作品を読むと、いかに現代は「闇の力をとどめておく物語が決定的に不足」しているかということを痛感させられる。
私たちは、宮沢賢治が描いた、自然と人間の環から切り離された商品経済に毒された人間であり、『モモ』に描かれた、時間を節約しようとして人間らしさを失った「灰色の男たち」なのだろうか。人間が土地から切り離されて失ったものについて、そして私たちがいまもうたや詩を通して感じることができる自然との交わりについて、辻山さんと話してみたかった。


<弱さと明るさについて>
「庄野潤三は自らの世界にある小さなものたちを、その弱さごと愛した」(p208)
『ことばの生まれる景色』の中では、さまざまな人間の弱さが描かれた作品とことばが紹介されている。しかし、それだけではなく、弱さや不器用さから、意図せずこぼれる明るさのようなものを辻山さんは掬い取ろうとしているように思える。(太宰治『津軽』に表出しているのは、まさにそういった類いの明るさではないか。Titleの写真を撮った斎藤陽通さんの写真にも、暗がりが開けたときの明るさのようなものがある。)『ホテル・ニューハンプシャー』の中には「人生をあまり深刻ではなく生きるということは、骨の折れる仕事だし、偉大な芸術なのだよ。」という台詞もあり、辻山さんが選んだ本には、そういう明暗の強度が感じられるものが多い。このことについて、辻山さんのことばを聞きたかった。


<ユーモアについて>
「泣きながら笑う」しかない事態(まさに『へろへろ』[鹿子裕文] 的世界)
=「二つの感情を同時に生きることで私たちは正気を保っている」
こういったユーモアについて、辻山さんといっしょに話を深めてみたかった。
(*この点に関連する内容をajiroの藤枝さんが最後に感想を言われた。)


<迷いについて>
『ことばの生まれる景色』の中で最も印象に残った言葉は、「すぐ近くにありながら距離のある人生に対して、どのようにふるまうべきなのか、いつも迷いながら生きている」(p213) この「迷い」について話を深めてみたかった。


<笑う・笑われるについて>
山之口獏の詩から「人を笑うくらいなら、自分が人から笑われたほうがいい」を読み取った辻山さん。(この本では他にも深沢七郎や尾崎放哉など、思わずヒヤッとするような批評性の鋭い作家が登場する。)「人を笑う」のも「人から笑われる」のも危ういこと。このことについて話を深めてみたかった。

・・・

『ことばの生まれる景色』(辻山良雄さん/ナナロク社)は、生涯の本に出会うために、ぜひ手元に1冊置いておきたい本です。

本のあるところajiroで開催中の『ことばの生まれる景色』nakaban原画展は本日まで。


辻山良雄さん『ことばの生まれる景色』お話し会 補遺_d0116009_09100000.jpg
(画像は@aoihon76からお借りしました)


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by terakoyanet | 2019-03-24 09:07 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)