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丸刈りの強制問題について

今週日曜日、12月2日に次のようなニュースが全国で流れました。

丸刈りなど強制でうつ状態、済々黌高退学の元生徒が熊本県を「1円」提訴

中学校に上がる前、初めて坊主になったとき、お風呂に入ったときに自分の頭と間抜けな顔が鏡に映って見えて、思わず目が離せなくなって泣いたことを思い出します。

私は、自分が中学生だった当時から、丸刈りに強い違和感を感じていたので(いま坊主みたいな頭ですが、それとこれとは話が別です)このことについて、自分の問題として強く反応せざるをえないところがあります。

いまから4年半ほど前に、先輩から強要されて坊主になって泣いていた子がいた日の憤りを記した文章があります。
その文章が、一昨日からTwitter上で多くの人たちに共有され(社会学者の岸政彦さん、マンガ家の瀧波ユカリさん、翻訳者の村井理子さんらが拡散したことが大きい)1日で1か月分くらいのアクセスをいただいています。

問題は、こういった経験が子どもたちに理不尽さを許容する心根を作ってしまうことです。
こうして理不尽さが連鎖する社会が作られるとすれば、それに甘んじることなく闘うべきではないかと思います。
その意味で、今回の裁判には意義があると私は感じています。

以下にそのときの記事を転載いたします。

・・・・・

いつになったら悪習が終わるのか。 2015年7月8日

今日書くことは、意見が異なる方もいらっしゃるかもしれないと思いながらも敢えて書きますが、
中学の男子たちを見ていると、ある部活動の生徒たちが皆坊主になることがあり、驚かされることがあります。

坊主の定番の野球部だけでなく、坊主とは無縁と思えるサッカー部の生徒まで坊主になることも。

部員全員が坊主になるときというのは、顧問やコーチ、先輩のうちのいずれかの力が働いています。
「気合を示せ」「反省しているところを見せろ」・・・
理由は何であれ、坊主になることを強制するのです。

それの受け取り方は子どもたちによって異なります。
本当に気合を示したいと、ちょっと照れながらも何の抵抗もなく坊主にする子もいれば
傷つかないために「あくまで自分の意思で坊主にするんだ。」と自分に言い聞かせながら坊主にする子もいれば、到底受け入れることができないのに泣く泣く坊主にする子もいます。

私は幼いころから同調圧力に敏感で、それをとても怖がってきた人間です。
だから、皆で坊主になれ、という有無を言わせない宣告は、昔も今もとても恐ろしく感じます。

もし先輩に坊主になれと言われて坊主になった子(後輩)がいるときには、それを言った先輩に対し、「お前は自分が何を言ったかわかっているのか」と厳しく問いただす人間が必要だと私は思います。
しかし、多くの部活動の現場ではそうではない。むしろ大人が同じことをしてきたから、それを真似した子どもたちが先輩となったときに、そのような強要を行う、そしてそのことがわかっているから大人たちはそれを黙認する、それどころか奨励さえする。そういう場面が多いと感じます。

しかし私は、坊主になりたくない子、坊主になろうとは思っていない子に対し、坊主を強要することに強く反対します。そんなつまらない悪習はすぐにでも葬り去られるべきだと思います。(※坊主自体を悪習と呼んでいるのではありません。)

このような同調を強要することがどれだけ暴力的で危険なことであるかということを、私たちは歴史で学んでいるはずです。いやいやそんなに大きな話ではない、たかがスポーツの話だ、いやむしろスポーツってそんなものだなんていう声も聞こえてきそうですが、私はそういった同調を強要するようなスポーツなんていうクソつまらないものは、すぐにやめてしまえ、という気持ちを抑えることができません。そんなものに頼らなくても、もっとうまくやる方法があるはずです。

日本には、大人だったら決して許されないのに、子ども相手なら許されてしまうことが多すぎます。
子どものことをバカにしすぎています。


お花畑の小学校と違って、中学・高校は、世間の厳しさや理不尽さを反面教師的に学ぶ場となっています。
しかし、世間の厳しさや理不尽さなんていうものは、教育の場で大人がわざわざ拵えてあげなくても、子どもたちは近い将来、それにぶつかって藻掻くはずです。それに対する耐性だけ身につけさせて、将来それらにぶつかったときに、藻掻くこともせずにただ順応する人間を育むことこそが教育の本当の目的だとすれば、それは皮肉にもある程度成功していると言えましょう。

子どもたちには、自分が感じた違和感を大切にしてほしいと思います。
無理に周りにあわせる必要なんてないし、周りに合わせられない自分に対して自信を失う必要もないんです。

苦しみをひとりで噛み締めている子も、苦しみを紛らわしてやりすごしている子も
皆が考えることを諦めずに、前に進む意思を持ち続けることができるよう、願っています。





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by terakoyanet | 2019-12-06 02:28 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)