2020年もよろしくお願いいたします

2020年、明けましておめでとうございます
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写真は今日の午後、葛城山山頂(静岡県伊豆の国市)で撮影した富士山。
私事ですが、今年に入って八丈富士(東京都八丈町)とこちらの2つの山に登ってきました。
いまは福岡に戻り、仕事を始めました。



年末年始に、塾について考えるいくつかのきっかけをもらいました。

ひとつは、日ごろなかなか見る機会がないテレビで、離島の無料塾リフォームの番組があっていたのを見たことです。無料の何もないところに、エアコンやらパソコンやらボルタリングやらなんやら付けてしまって、その後の維持費はどうするのか?とか、そもそも運営する先生たちが主体的に設計しなくてどうする?とか腑に落ちないところが多々ありましたが、事情がわからないのでとりあえずそれは脇に置いておくとして、そもそも、この番組はリフォームすることやパソコンなどを揃えることが塾の価値を上げることに繋がるというバカげた価値観を塾に関わる人たち(子どもや親、運営側も)に与えるというその一点だけ見ても害悪でしかないと思いました。

パソコン一台より、心を許せる大人がそこにいて、その人から勉強を習うことが面白い!わかる!ということの方が大切で、そのためには極端に言えば公民館の長机と椅子だけでも十分だと思うのです。そういう当たり前のことを無視して、ハコのきらびやかさで子どもと親を喜ばせたところで、人という実質が伴わなければすぐに事業は頓挫します。(実際、ハコだけきれいで子どもを伸ばせない教育機関は、塾に限らず私立学校も含めたくさんあるのではないでしょうか。)ちゃんと他にいいところがあったのに、モノのきらびやかさに惹かれた親や子がさらなるモノをねだるようになると、運営側が懸命にモノで応えようとする→当初の良さが疎かになる、というようなクソみたいな循環が生まれるので、結局大切なことが失われていくことになりかねません。モノはあくまで自ずから生まれた要請に従った必要最小限のものでよいのですから、あの無料塾は、せっかく作ってもらったからとか言ってないで、いらないものはどんどん潰していかないと、立ちゆかなくなってしまうでしょう。資金面ももちろん大切ですが、それ以前に運営側が面白くないと教室は続きません。続かないことが子どもたちにとっては一番不幸です。子どもが好きで子どもを助けたいという志がある人たちが、あの番組を見て、意識高いだけの居心地の悪い教室を作らないことを祈っています。


もう一つ気になったのはこちらの記事。
小6の子どもたちが大晦日から正月返上でハチマキ締めて勉強しているなんて私は悲劇だと思います。
こうして鉢巻き締めて勉強するという一辺倒の価値観はおかしいということにとっくに多くの人たちが気づいている今の時世にこのようなことを企画する塾は、時代の趨勢を読めないという意味で、そういう人たちが子どもに影響を与える立場にいること自体が子どもに害悪でしかないと思うし、こんな家族生活をぶっ壊すようなスケジュールの合宿に「もうすぐ受験だから頑張るのよ」なんて子どもを宥めすかしながら参加させる親も、小学6年生の子どもにとって、家族にとって何がほんとうに大切かを見失っているという意味で、そういう親たちが日ごろから子どもに何を犠牲にさせているのだろうと想像するだけでぞっとします。

合宿はわざわざ正月にやらなければならない必然性はありません。その苦しさを乗り越えて、という価値観が虚偽であることくらいわかっていなければ、逆に今からまっとうに生きていけません。

本校も中3の受験生たちには正月休みにたくさんの課題を出していますが、それでも、どんなときも子どもたちには生活というものを失ってほしくないと思います。好きなことに没頭した結果、生活を失ってしまうのは仕方がありません。でも小6の子どもたちが中学受験のせいで家族との正月を奪われることは、あまりにいびつだと思います。「自分の意志で行っているんだから」という親もいるでしょうが、私はその意志はヤバいと思います。子どもが自分で意志を示したことで全て免罪になるなんてとんでもない話で、少なくとも、中学生くらいまでの子どもの意志の半分近くくらいは、親に責任があることくらいわかっておくべきだと思います。



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by terakoyanet | 2020-01-02 23:40 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)