光州事件と『少年が来る』

今日は5.18、光州事件から40年が経ちました。

光州事件と『少年が来る』_d0116009_10384225.jpg


光州事件と『少年が来る』_d0116009_10393823.jpg


光州事件と『少年が来る』_d0116009_10400470.jpg


光州事件と『少年が来る』_d0116009_10405934.jpg


光州事件と『少年が来る』_d0116009_10421287.jpg




光州事件について、あまりご存知ない方は例えばこちらの記事などを読んでいただければよいかなと思います。
大ヒット映画『タクシー運転手』をご覧になった方は、ああ、あの映画で描かれていた事件か、と思い出されるかもしれません。

昨年の夏、光州(クァンジュ)に行きました。光州事件に関するいくつかの場所を周りました。世界記憶遺産(世界記録遺産)に登録されている5.18民主化運動記録館にも行きました。現地の方からは、この事件が全羅道に対する差別意識を利用したものだったという話や、光州事件こそが80年代以降の民主化運動の原動力になったことなどの話を伺いました。

光州を訪れて、韓国の多くの人たちにとって、この事件は決して古傷ではなくて、生傷なんだと実感させられました。光州事件についてのさまざまな展示も、できるだけ精密にかつ公正に事実を詳らかにしようという熱量が感じられましたし(いまの日本でこんなことが可能でしょうか)美術作品も、事件をわかりやすくするために寄与しているというよりは、むしろ容易な解釈に抗うような、物語化を拒むような、でもその場に巻き込まれてしまって身動きがとれなくなるような、そんな仕掛けになっていて、これは凄まじいなと思いました。光州事件のときに利用された地方や「アカ」に対する差別意識自体は、いまも国内にあるわけで、光州事件と向き合うこと自体が、いまだに怒りの現場であり葛藤の現場なんです。日本に果たしてそんな場はあるだろうか、あまりにもなあなあに済ましている事柄が多すぎるんじゃないか、例えば原爆だって水俣病だって、単に物語として消化してしまってるんじゃないかと考えさせられます。



光州事件と『少年が来る』_d0116009_11362830.jpg



ハン・ガン(2016年にブッガー国際賞を受賞)の『少年が来る』。印象的な「きみ」という二人称で語られるこのフィクションは、読む人が、私も「きみ」であり「僕」でありえたことを痛切に感じながら読み進めざるをえないような語りになっていて、沢山の殺された人たちの肉体、虐待の描写によって、いかにこのとき魂が疎かに扱われたかということが痛烈に生々しく描かれています。殺された魂が語るこのフィクションによって私たちは殺された魂といっときにでも手を結ぶことができます。凄まじい作品なのでぜひ読んでみてください。私は韓国文学が充実している天神の本のあるところajiroさんで買いましたが、いまはとらきつねでも取り扱っています。





とらきつね on Facebook 随時更新中です。


by terakoyanet | 2020-05-18 11:38 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)