「大人になる」ということ。
2020年 06月 11日
この意味で、植本一子さんが以前拙著に書いてくれた帯文
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) June 5, 2020
私たちは子どもたちのために
もう一度「大人」になる必要がある
というのは卓見だなと思う。 https://t.co/SMCOzKPktL
もう一度「大人」になる必要がある
しかし、いま書いてて思ったけど、これ単に「みんな大人になれ」的な話のような気がするな・・・。若いころは世界のすべてに関心がある。それは悪いことじゃない。でもそれだけでは、結局なにもできないまま終わる。いろいろなことへの興味を自らたちきり、資源を集中させないとダメなんだよね。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) June 5, 2020
いまはネットのリベラルは、大人になりきれない大人や、子どものふりをするのが正義だとカンチガイしている大人ばかりなんだけど、本当に若いひとには彼らに騙されないでいてほしいと思う。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) June 5, 2020
最悪なのは、生涯おれは大人にならない、若者の味方だとかいいながら、実際には大人の特権を行使しているひとびとなのですよ。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) June 10, 2020
哲学者の東浩紀さん(今月発売の『おやときどきこども』に帯文をいただきました)の最近の「大人」に関するツイートには、「大人」になりきれない大人への批判が綴られています。大人になりきれない大人、子どものふりをする大人というのは、「私」という主語への回帰をすることで世界に対して目を閉ざしていて、しかもそれを自分の中で正当化してしまっています。そんな大人ばかりだから世界は一層悪くなっていく。そのことに対して東さんは警鐘を鳴らしていると感じます。
もう一度「大人」になる必要がある