9月のつぶやき
2020年 09月 28日
北方民族博物館が凄すぎた。#網走 pic.twitter.com/7J5uxjgsFZ
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 1, 2020
斜里町立知床博物館の剥製たちが凄すぎて学べる!とかを遥かに凌駕してカオスだった。 pic.twitter.com/pIxmgpT6lL
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 4, 2020
末井さん、ありがとうございます😭
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 8, 2020
いちどこの目でこの棚見てみたいなー。#青山ブックセンター本店 https://t.co/UXwvj3VwQP
3刷出来!ナナロク社の熱意のおかげもあり、沢山の方に届いて嬉しいです。でもまだ序章だと思っています。楽天ブックスで本総合ランキングで瞬間1位取ったし、意外にも類書がないので2年後にまずは2万部いってたらいいなぁと思います。今日は妙に現実的なことをつぶやいてみました。 https://t.co/p5tFwchwhE
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 9, 2020
網走も釧路も帯広も苫小牧も、想像よりずっと小さな町だった。北海道はきっと札幌以外全て想像より小さい町なのだ。北海道の過疎化はなんだかダイナミックで、深刻さや進行の度合いも桁違い。日本のこれからの衰退を憂うなら、いまの北海道に学ぶことがたくさんあると思う。 pic.twitter.com/3nlacGwwrO
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 9, 2020
計算ができないから算数が嫌い、跳び箱が飛べないから体育が嫌い。子どもの「嫌い」は相対評価の結果なので、相対評価を絶対評価にした一連の流れは否定されるべきではない。問題は絶対評価の価値を現場が理解できず、同時にそのような評価をする懐が学校や教師、受験の制度側に整っていなかったこと。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 10, 2020
子どもの「嫌い」は大人が子どもどうしを比べるという相対評価ばかりをするせいで、子どもがその評価を内面化するために起きる自己防御なので、大人は子どもの「嫌い」を既成の価値観に対するカウンターと捉えて、その内面化に抗えることを伝え、その評価と共にたたかうべき。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 11, 2020
中3生の女の子が作文の中で「なぜ体育ではやる気を声の大きさではかろうとするのか?」という疑問について書いている。ほんとなんでだろうね。バカみたいだよね。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 15, 2020
親が子どものことを心配して過剰に守ろうとするときの問題点は、そのときの親の心の動きが、私は子どものことが「わかっている」という思いが前提となっているところだ。親が子どもを「わかっている」という思いは子どもの心と体を囲い込み、身動きを取れなくする。結果、子どもの自立が阻まれる。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 15, 2020
先月行われた磯野真穂さんの授業(中学生対象)の感想をまとめました。各々の子どもたちが「当たり前」を疑うことに対する驚きや面白さ、個人的な感想を懸命に綴っていて読み応えがあります。磯野さんは教えるというより子どもと一緒に思考するような授業を展開してくれました。https://t.co/uehhXv6bnM
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 15, 2020
いま質問に答えながら思ったけど、親の個別性よりも、夫婦間の関係性が「親」の在り方に影響を与えているという見方は、母親や父親が「私の問題」にしすぎないためにも大切だと思う。 https://t.co/3xBr9886i3
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 16, 2020
一般化は避けたいところだが、いまの多くの子どもたちに共通する弱点をひとつ挙げるなら「共感力が高すぎる」ことだと思う。共感力が高いから、やさしい子が多いし、あからさまな差別をする子も減った。でも、共感力が高いというのはつまり空気を読むことで易きに流されやすいということなので、自分
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 16, 2020
おやときどきこどもの書評、その後も全国各紙に次々に取り上げられているみたいです!感謝。 https://t.co/hrbHbVn1hx pic.twitter.com/IvHcbwi4BR
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 16, 2020
『おやときどきこどもこども』3刷、福岡にも到着しました。本に関わってくださる皆さんに感謝です。ありがとうございます。 https://t.co/uiDEyjmYyF pic.twitter.com/wytroxnsvH
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 18, 2020
子どもは大人以上に日々変化している。それなのに親はすぐにうちの子は○○ができない、あなたは○○ができないと言う。それは呪いです。今日はできるかもしれないのに。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 22, 2020
親は子どもができない自分(できないことで守られる自分)を積極的に保持しようとすることが見えていない。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 22, 2020
私は陰キャラで面白いことなんてしゃべれないと思っている、そういう子たちが楽しいと思える教室をつくりたいとずっと前から思っている。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 23, 2020
今年の中3は読書家がとても多い。休憩時間におもむろに文庫本を取り出して読み始める子供たちを見ていると、紙の本がなくなる将来なんて想像がつかないし、実際大人より子供のほうが紙の本を必要としていると感じる。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 24, 2020
親が子供に一番最初に望むことは何事もなく無事に生きていてほしいということ。でも無事に生きるところには人生の面白みはない。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 24, 2020
いまの子供たちってわざわざ説明しなくても「男」「女」とか「健常」「障害」とか、そういうのがボーダーレスでグラデーションだというのを感覚的に知ってる感じがする。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 24, 2020
これってつまり、自律性、自己決定を謳いながら、肝心の自らの生存の条件について子ども自身が考える機会を奪ってしまっているのではないかという疑義でもあるんですよね。 https://t.co/ysmzBBDrpl
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 24, 2020
子供にやりたいことだけをやらせることの問題は、それをやりすぎるとかえってその子の欲求が偏狭になりかねないこと。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 24, 2020
一方で、外部から巻き込まれる形でいつのまにかがむしゃらに勉強してしまう経験をした子供はそれを通して世界の広さを知る。若い時にこの経験をしないのはもったいないと思う。
私自身やりたくないことはやらなくていいと思っている方なんですが、ただ、やりたくないことをやらなすぎると、初対面では好きじゃなかった人が何度か会ううちに好きに転じるようなそういうときめきが人生から無くなっちゃうんですよね。つまり出会いが予め封じられる。それってさびしくないですか?
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 25, 2020
大人ってなんで子どもの目標がないこと、志望校がないことを嘆くのだろうか。単に味がわからない料理を並べられても選べないのと同じことなのに。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 26, 2020
私がこう育てたから子どもがこう育ったと考えるのは一部はそうだけど大部分はそうじゃない。これは同じように育てたはずの兄弟姉妹が全然違うように育つ不思議を目の当たりにした人が皆知っていることのはず。子育てはいつも偶然性にさらされていて、子は勝手に育つというのはそういう意味。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 26, 2020
毒親とかインナーチャイルドとかそういう便利な言葉は還元主義的欲望に巻き込まれやすい。病の原因を親のみに規定することは諸々の偶然性を踏まえると不可能。偶然性を無視してしまう還元主義は思い込みや恨みを生みやすい。
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 27, 2020
食えないとダメだという大人(主に親)から子供への外圧は凄まじい。学校選びもそれが主軸になっているといっても過言ではなくて、そのときに見失われているのは自分が社会で何をやるか、どう生きるかというシンプルな問い。食うことを目的にするのは、実ははじめから自分を低く見積もっている証拠。 https://t.co/AqIWkJ5w7f
— 鳥羽和久 (@tobatoppers) September 28, 2020