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寺尾紗穂『光のたましい』のこと

ここのところ、寺尾紗穂さんの『光のたましい』をずっと聴いている。




今年の6月に配信リリースされた『光のたましい』は、彼女が年末恒例のライブを行っている東京・上野のゆくい堂工房で出会った古いピアノを使って演奏・録音されたもの。


この曲について、寺尾さんはリリースに合わせて綴られたブログ(ブログタイトル「光のたましい、老ピアノとのダンス」)の中で次のように綴っている。


これはいわば、私とおばあさんピアノとのこの日限りのダンスであり、対話である。人が老いるように、楽器も老いるということ。私たちだれもが不完全なように、楽器にもまた不完全な音があるということ。美しい整った音で演じる、という原則を外れたところに、何か不思議な化学反応がうまれるということ。そんなことを思いながら、このMVを作っていた。


この曲を初めて聞いたとき、それがピアノ1台で演奏されていることに気づかなかった。むしろ、もっと複雑な音が鳴っているような気がしていた。でもよくよく聞いてみたらやっぱりピアノだけで演奏されていて、弦が揺れるたびに軋む金属音や、ピッチがあっていない幾つかの鍵盤が、独特の淀んだ音響を作り出してして、それがある種の複雑な深みを醸し出していることに意外な驚きを感じた。


この曲が今年生まれた必然について考える。


日ごろからギリギリのところで踏ん張っている人たちが、今年に限って、こんなに厳しい時勢だから、こんなに厳しい環境だから、ギリギリのラインを越えてしまって命を落とした人もいるのではないかと思うのだ。今年はほんとうにおかしな年だと思う。


「光のたましい」では、「どこにでも答えはあるの」「どこにでも自由はあるの」の声と音の響きの中に逆説的にギリギリが織り込まれているように感じました。


私が「光のたましい」の歌詞について寺尾さんに投げかけた言葉。これに対して寺尾さんは


そうですね、あの二つの問いは疑問符がつく感じです。


と応えてくださった。アルペジオの美しい流れを裂くようにフォルテッシモで発せられる「どこにでも答えはあるの」「どこにでも自由はあるの」という問いかけは、私たちが生まれながらにもっているはずの答えや自由をすっかり見失ってしまい、ただただ立ちすくむ人たちの声を連想させる。


わたしたち みんな
孤独な魂
心凍らす ことはできずに

わたしたち みんな
光の魂
見えない 右手
抱いて 眠る


私たちはみな、孤独な魂であり、光の魂である。
そう歌うこの曲が、不完全な音を鳴らすおばあさんピアノとの対話を通して生まれたのは、
なんだかとても必然のことのように思われて、胸をうたれます。



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by terakoyanet | 2020-10-02 02:55 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)