『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰/三輪舎)のこと

『バウルを探して〈完全版〉』 川内有緒・文 中川彰・写真 三輪舎 刊 (2020年)


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*写真はすべて三輪舎HPより

『バウルを探して〈完全版〉』この本を読んだのはもう3週間ほど前になるが、いまも本を読み終わったときに心に沸き上がった熱情がそのまま胸に残ったままだ。


 この本を最初にお勧めしたいのは、旅が好きな人たち。旅が好きな人は「偶然」を愛する人たちだ。その瞬間に生起した現実に、笑い、怒り、戸惑い、絶句する旅人たち。この本を読む人たちは皆、右も左も分からない旅人たちと共にバウルを探す同行者になる。(私はいま、ほんとうに、すっかり、彼らといっしょにバングラデシュを旅した気になっている。)


著者は決して感情を読む人に押しつけない。(こんなに押し付けがましい文章を書かない人も珍しい。これだけ感情を出さないということは、もしかして著者は、思いっきりのいい性格と裏腹にとてもシャイな人なのかもしれない。)でもそれなのに、出会う人の細やかな描写を通して、著者の熱い思いが垣間見える。いまこれを読みながら涙を溜めている私といっしょに、これを書いた著者も涙を浮かべているに違いないと信じることができる。


ベンガル地方で「バウル」と呼ばれるのは、数百年にわたって口承され、無形文化遺産にも登録されるような芸能の担い手でありながら、その居場所さえわからないという謎の多い人たち。そして、彼らを探し求める著者(川内さん)と同行者である写真家(中川さん)、通訳(アラムさん)の3人の旅人たちの姿は、決して崇高な巡礼者でも求道者ではない。「おもしろそう」という動機で身軽にあちこちを動いてみるその姿は、むしろ野次馬の観光客のなものさえ感じさせる。

哲学者の東浩紀は著書『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017)において、「観光」(もしくは「観光客」)という言葉を新たな哲学的概念として立ち上げた。「他者」という使い古された左翼的で政治的、かつ文学的ロマンティズムを携えた言葉の代わりに、東は「観光」という即物的で世俗的な軽さを持つ言葉を敢えて使うことを提唱した。そこに描かれていたのは、人間や社会を改良するというような必然性に基づいて「他者」と出会う「まじめ」な旅ではなく、むしろ無意味な不必要性(=偶然性)が図らずも照射するものに感応して、結果的に「現実の二次創作」を生み出してしまう「まじめ」でも「ふまじめ」でもない「観光客」の姿であった。私は、この「観光客」という概念を、「旅(トラベル)は本物に触れるからいいが、観光(ツーリズム)は本物に触れないからだめだ」という既存の固定観念をひっくり返すものとして受け止めたが、『バウルを探して』の同行者3人は、どちらかと言うと「観光客」を地で行くような旅人たちなのだ。著者はもちろんこんな小難しいことを考えて、新しい「観光」の姿をここに書こうとしたわけではない。でもそれなのに、著者は観光客らしい素直な現実の受け取り方を透徹することで、目の前の現実をそのままに受け取るという新しい倫理を軽やかに示してくれた。これは誰にでもできることではないし(どうしても旅の「意味」について切々と語ってしまいがちだ)、このひとりの作家の天性的な勘の良さを示していると思う。そして、この著者の他の作品を読んだことがある人ならとっくに分かっていることだと思うが、彼女は「人の話を聞く」ことに関して特別な才能を持つ人であり、私はもっとその秘密を知りたいから、これからも彼女が書く本を読むことになると思う。



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本の後半に出てくる或る演奏家がこう語る。「無形文化遺産に指定されてからというもの、急に政府や国連はバウルの歌を楽譜にして残そうとか、後継者を学校でトレーニングしようとか言い出しているけど、僕から見たらバカバカしい。だって、バウルは自由なものだから、そういうやり方では守れない」

真剣にそう語る彼の言葉は2010年のものだが、それから10年が経ち、バウルの歌はYouTubeで検索すればいつでもたくさん見聞きできるようになった。だからと言ってこの10年でバウルの歌が息を吹き返し、本来の生命を取り戻したかといえばきっとそうではなく、むしろ演奏家の彼が危惧した通りに、文化の形骸化がますます進行していると思われる。(今年、国立民族博物館ができた日本のアイヌの現状を考えると、これは私たちにとって他人事ではない。)

その意味では、この本「バウルを探して」は、一つの口承芸能が、近代化の波の中で翻弄されながらも生命力あふれるものとして受け継がれていく姿が活写された、或る時代の「記録」としても歴史的価値のあるものである。しかも図らずもそれが独断に陥らない正直な目を持った「観光客」的な著者によって書かれたことが、この本と記録の幸運だと思う。



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最後に〈完全版〉と名付けられたこの本に添えられた深い愛について触れたい。この本は、2013年に『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』として、そして2015年に『バウルの歌を探しに バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ彷徨の記録』として(どちらも幻冬舎刊)既に二度も世に出た本が、今回〈完全版〉として三度(みたび)日の目を浴びることになったものである。この〈完全版〉がこれまでと異なるのは、ベンガルへの旅に同行した写真家・中川彰さんの写真がふんだんに用いられていることである。いや、「ふんだんに」というレベルではない。この本の前半が丸ごと「バウルを探して 写真編」となり、中川さんの沢山の写真が本全体の半分のスペース(約100ページ!)を占めるに至っているのである。初めてこの本を読む人は少し面食らうかもしれない。何せ予備知識もなしに本の冒頭から異国の風景をたっぷりと見せられてしまうのだが、本の内容とそれがどう繋がるのかが全くの謎だからだ。しかし、この本の最後「中川さんへの手紙」を読み終わった後に、もう一度冒頭の写真編に戻ったとき、読者はこの写真たちと新たに出会い直すことになる。きっと彼らは一枚一枚の写真を食い入るように見つめざるを得なくなるし、命あるものの輝きが眩しすぎて、視界がじわじわと滲み始めるのを感じるはずだ。こうして読者は、図らずも「バウル」に出会ってしまう。すごい本だと思う。この中川さんの生命溢れる写真を見せるために「コデックス装」を選んだ版元(中岡さん)の心意気と、その心意気に乗った装丁の矢萩さん、そんな愛のある本を世に送り出してしまった川内さんに喝采を送りたい。



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by terakoyanet | 2020-11-28 04:39 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)