震災から10年

震災から10年が経ち、いまや教室に座っている大部分の子どもたちが震災をリアルタイムでは覚えていません。

少しずつ時間が経ち、「教訓を語り継ぐことが大切」と盛んに語られていますが、語り(かたり)は騙り(かたり)になることは避けられず、物語りはじめたとたんにあのとき無数にうごめいていた個別的なとげとげしい苦しみや悲しみが、まるでなかったことのようにツルンとした「震災の悲しみ」という共同性の名に収斂してしまう。

その意味では、「黙祷」という祈りは、物語に回収しえない、個別の、私だけの悲しみの中に身を置く大切な時間なのだと思います。

以下は東日本大震災に関する当ブログ内の記事です。よかったら時間のあるときにご覧ください。



〇福島第一原発事故について


〇震災で考えた「泣く」という悲しみの発露について 柳田国男の「涕涙史談」をふまえて


〇被災地訪問(航空高校唐人町の修学旅行にて)




震災から10年_d0116009_01141888.jpg
被災地の閖上を訪れた際に、ガイドをしてくださった菊地さん
ご自身の家があった場所に案内してくださいました。
地盤の沈降によって露出した下水管と、ご自宅の瓦のかけら


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by terakoyanet | 2021-03-11 01:19 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)