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「場」から生まれるもの

うちの教室では、夏期講習、冬期講習など、特別講習のみに参加する「季節講習生」は教室を開いた当初から一切募集していない。

ひとつめの理由は、短期の講習だけでは「場」の力による学力の醸成が難しいこと。(本人の生活習慣と志向が「場」になじんではじめて生まれる学力の「育ち方」があるのだ。)
ふたつめの理由は、なんといってもひとりの子供を短期だけ見るより長期的に見たほうがずっと面白いからだ。

教室では、ひとりの子どもと3年から7年付き合うことになる。
その間に子どもたちは本当に大きな変貌を遂げるのがどうしようもなく面白いし、一人ひとりがそのうち地を出してくるので、そこに「社会の実像」らしきものを見ることもできるのも興味深い。

昨日のある学年の社会の授業で、中国をディスる生徒がいた。こういうのはクラスに30人も座っていて、しかもその心がほぐれていれば、そういう偏見としか言いようのない発言をする子だって当然いる。複数の地の人間と付き合うと否が応でも清濁併せ吞むことになるわけで、そういう局面で生じる綱引きが結果的に「場」にいる人間を攪乱し、変容させる。

こういう「場」の大切さを子を預けてくださっている親と(こんなに明確にではなくとも)どこかで共有していることは子供たちといっしょに学びを進めていく上で決定的に重要で、ただ近視眼的に子どもの結果(成績)だけを見て一喜一憂しすぎたり、結果が出ないなら塾をやめなさいと言ったりする親のもとでは、子どもはいつまでも「場」から生まれる力を受け取ることができない。その結果、そういう親がいちばん欲しがっている実利をも取り逃がしてしまうことになるのです。こうやって、うまくいかない親というのは「場」を信頼できない親だということが多々あります。



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by terakoyanet | 2021-07-05 04:58 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)