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連載更新! あなたが生き延びるための資本論 前編

連載更新! 連載も残り2回となりました。大学院生と起業家の卒業生ふたりとの対話を通して、資本やお金について、働くこと稼ぐことについて考えました。





今回は、いかに公開された文章がスリム化されたかをご紹介するために、第1稿の最初部分を以下に掲載します。最初の部分、半分以上(3分の2くらい?)削って今回の読み易い記事になったのですが、もとはこんなに読みにくかったんです。

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第16回 あなたが生き延びるための資本論 前編


*直さんの修論


「おひさしぶりですー」と頭を下げながら、ちょっとおどおどとした様子で教室に入ってきたのは直(なお)さん。東京にある大学院(経済学部)に通う修士課程2年生で、会うのは2年半ぶりです。

「一郎くんといっしょに来るんじゃなかったっけ?」

「いっちゃん、あと30分くらい遅れるらしくて先に来ちゃいました。」

直さんはストレートの髪が腰まで伸びていて、随分と印象が変わっていました。時間が経つのはほんとうにあっという間だな。直さんの変化を見ながらその実感を深めます。

「大学では何を専門に学んでるんだっけ?」

「いま修論書いてるんですけど、テーマは、資本主義における生命の包摂(ほうせつ)です。」

「へえー。ビオスとゾーエー(注1)の話とかかな。」

「さすが話が早いですね。私は日本の問屋制家内制工業から明治期の産業革命に至るまでの労働体系の変遷(へんせん)について調べていて、そして、封建制(ほうけんせい)解体による労働者の誕生と労働力の資本への包摂、さらに、現代の「あらゆる商品にしてしまう」資本主義への批判と絡(から)めて、生命科学や医学による人体の商品化について書いています。」

「人体の商品化って、物象化(注2)の話が前提になってる? その前の文脈とのつながりがわからないんだけど。」

「いやー、うーん、ちょっと説明難しいですね。いかにあらゆるものが商品化されようとも、生命は商品化し尽(つ)くすことはできない、という話なんですけど。」


*人間が包摂される


直さんは顎(あご)に左手を添えたまま、さらに明晰(めいせき)な言葉を求めて思考をさまよわせます。私はそんな彼女の頭の奥をますます見極めたくなります。

「アダム・スミスの労働価値説って、重商主義者へのカウンターとしてあったよね。遠隔地(えんかくち)と本国の価値体系の差異と不等価交換に支えられた商業資本主義への批判。富の創造者は労働者なのだと宣言することで、経済の主体を「人間」に取り戻そうとする試み。(注3)」

「はい、それと関係がありますか?」

「「生命は商品化し尽くすことはできない」という直さんの物言いが、スミスの主体を「人間」に取り戻そうとする試みにもしかしたら似てるのかなと思ったよ。でもそれって包摂と紙一重という感じがする。労働価値説って人間に価値があると言うことで、逆に資本主義に人間を取り込むことを肯定する論理にも使えるじゃない。資本主義による包摂に対して人間で抗(あらが)おうとすると、抗う人間がまるごと包摂されてしまうというのが現代的な問題という気がする。労働に人間的な活動を求めると、逆に人間的な活動が労働になっちゃうみたいな。」

「私の場合、最近のジェンダーレス、ダイバーシティ(注4)の流れの中で、性や身体の多様性さえも商品化されていることをフーコー(注5)を援用して批判した上で、でも、最終的には個々の身体の可塑性(かそせい)が商品化を拒(こば)むという話をしてるんです。先生が言ってることと違いますかね。」

「いや、違うかわからないけど、可塑性か……。フーコーの生政治はたぶん身体そのものが問題になってるからね。面白そう。今度もしよかったらメールで送ってもらっていい? その多様性の要素をいまの歴史観とか金融とか、あらゆる現象との連動として捉えたら面白いと思うんだけど……。」


→成長バカの一郎くん に続く


注1:ビオスは「政治的な生」、ゾーエーは「剥(む)き出しの生」の意味。哲学者のアレントやアガンベンの思想より。


注2:一般的には、人間と人間の関係が物と物の関係としてあらわれること。この作用により、もともと無根拠であるはずの交換関係が合理的な根拠を持つような錯覚を生み出す。何でも商品にして人に売りつけることが得意な人は、物象化の秘密を深いところで理解している人ではないか。(ただし、私がここで「人体の商品化」という言葉から物象化を連想したのは、人は自身の身体を物象化し「商品化」する誘惑に常日頃(つねひごろ)苛(さいな)まれているのではないかという直観から。これについては、2000年のデンマーク映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー監督)でビョーク演じるセルマが機械音のリズムをきっかけに忘我(ぼうが)の境地で歌い出し、他の労働者たちを巻き込んで踊り出す場面(Cvalda)などが参考になる。)


注3:経済学者の父と呼ばれるアダム・スミスは、重商主義(主に外国貿易を通じて貴金属や貨幣などを蓄積することで国家の富を増やすことを目指す考え)に対するカウンターとして、国民の労働こそが、その国民が年々消費する生活に必要なものの全てを供給する源であるとして、一国の富の創造者を労働者、つまり価値を創出するのは「人間」であることを宣言した。(『国富論Ⅰ』大河内一男監訳中公文庫 の冒頭部を参照)のちにマルクスに受け継がれる労働価値説(あらゆる商品の交換価値はその生産に必要な労働量によって規定される)もその延長にある。


注4:ジェンダーレスは、男女の社会的・文化的な区別がないこと、または区別をなくそうとする考え方のこと。ダイバーシティは「多様性」のこと。


注5:ミシェル・フーコー、フランスの哲学者。


by terakoyanet | 2022-03-06 08:24 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)