「非意味的切断」について

千葉雅也さんの話題の書、『現代思想入門』(講談社現代新書)を読み始めた。

第2章のp74に「非意味的切断」の話が出てくる。

ドゥルーズ(+ガタリ)の「リゾーム」といえば、「多方向に広がっていく中心のない関係性」のイメージが先行するが、ここではその「あちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることもある」性質(このことを「非意味的切断」という)の方がクローズアップされている。千葉さんは「非意味的切断」のことを、端的に「すべてがつながり合うと同時に、すべてが無関係でもありうる」と説明している。

千葉さんのいう「非意味的切断」は私にとっても重要なテーマで、たとえば『おやときどきこども』(ナナロク社)の中の「弱いつながり」(東浩紀さんの書名からとったもの、東さんのこのフレーズの射程にも当然ながら「非意味的切断」がある)の章の中では、親と子の間に偶然的な闖入者として無責任にノイズを起こす「ウンコのおじさん」を登場させた。

また、数年前に映画監督の神保慶政さんが『親子の手帖』(鳥影社)を評して「ひとつひとつの子供たちとの話の終わりがプツリと途切れていて、まるで映画みたいだ」(大意)と話してくださったが、私は子どもとの関わりにおいて、そのプツリと途切れる無関係性こそが彼らとの関わりの肝だと信じているところがある。

千葉さんは、「関わりばかりを言いすぎると、それによって監視や支配に転化してしまうという危険性があって、それに対するバランスとして、関わりすぎないということを言う必要もある」という考えをドゥルーズから導き出していて、さらに「より温かい社会を目指すからこそ、「すぎない」ことが必要とされるのだ」と言っている。まさに正鵠を射たりと叫びたくなる箇所で、その感動を残しておくために今日ブログを書いた。

それにしても千葉さんのこの本は、非常に明晰である一方で、決して頭だけで練られたものではなくて、具体的な実践の中で身体から溢れ出した言葉からできていて、だから散文を読んでいるときと同じ喜びを感じさせる。人気の秘密はそこにあるのだろうと思う。

なぜ千葉さんがこれほどに実践的なのか、言葉が漲っているのかということにとても関心がある。


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by terakoyanet | 2022-03-27 09:24 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)