「自己への配慮」と「脱葛藤化」について

千葉雅也さんの『現代思想入門』、第三章ではフーコーが取り扱われている。

この章の前半では権力論を通してフーコーの思想の概略が示され、その中の「権力の三つのありかた」のうちのひとつとして、規律訓練を通して自分で自分のことを監視する(「個人」の心がけ/アイデンティティ)が発生することが説明されている。

潜伏キリシタンの村(大刀洗町今村)で生まれた私は、幼少時代に強烈なキリスト教的内面教育を受けた。保育園で私たちを毎日指導していたシスター(名前を一生忘れることはない、糸永ゆりこ先生。厳格な天使のような人だった)は、内面に宿る嘘や嫌悪は罪だと教えたし、西洋の地獄絵図を見せながら、その罪はあなたを地獄に落とすと警告した。地獄に落ちないためにはその罪の数を数えて、告解で赦しを求めなさいと教えられた。私は四六時中、自分が罪を犯してしまうという反省性に冒されていたし、そのことがその後の人生の選択をこじらせる原因のひとつになっていたことに気づいたのはごく最近のことだ。

千葉さんは「アイデンティティなるものが成立するそのときに、良いアイデンティティと悪いアイデンティティという二項対立が同時に成立した」(p103)とまとめているが、私はまさにこの二項対立に苦しめられ、いかに自分が悪いアイデンティティから抜け出すかということに捉われてきた人生だった。私の中では「悪いアイデンティティ」と罪とは繋がっていて、「自分は異常「者」なのではないかというアイデンティティの不安」(p103)が常に人生につきまとっていた。私がこの本に限らず千葉さんのこれまでの著作(やツイート)から学んだのは、このような二項対立から抜け出してもっと明るく生きていいんだという脱構築であり、真剣な意味でそれは私にとっての福音だった。

(ちなみに、キリスト教の内心の問題と規律訓練の成立のつながりについては『性の歴史Ⅳ肉の告白』に叙述されているとのことで、速攻で注文を入れた。それにしても千葉さんのこの本、取り上げられている本が売れるという二次的な波及効果も凄まじいものがあるだろう。私はデリダ、ドゥルーズ、フーコーの主著はだいたい持っているのに、すでに追加で5冊本を買った。まさに読者に「勉強」を促す本である。)


この章の白眉は「ここからは上級編の話」と宣告された後に始まる最後部(「新たなる古代人」になること)だ。千葉さんは、フーコーの『性の歴史』の第2・3巻について「つねに反省し続けなければならない主体」よりも前の段階に戻る」という狙いを導き出していて、私にはその意図がよくわかる。(千葉さんは昨日ツイートの中で自身の小説の要素を「脱葛藤化する」ことにすべてがあると言っていて、このふたつは表現は異なるけれど、おそらくは同じことだ。)

それにしても、世の中は反省や葛藤に覆われている。私の最初に書いた本『親子の手帖』(鳥影社)を読むと、書いている私自身が世の中の「反省」モードに巻き込まれていて、そこから逸脱しようとしながらもどうしようもなく巻き込まれていることが自分でわかる。この本は、どうしても「内面」にこだわりすぎる著者と読者による反省と葛藤の記録である。

千葉さんは極めて慎重な筆致で、そのような捉われに対する「逃走線」へのヒントとして、後期フーコーが見ていた古代的あり方、古代人の「自己への配慮」を紹介する。古代の世界は「もっと有限的」「自己との終わりなき闘いをするというよりは、その都度注意をし、適宜自分の人生をコントロールしていく」ものであり、古代の「自己への配慮」とは、「あくまで自己本位で罪責性には至らないような自己管理をする」ことであったと。これはまさに「脱葛藤化」の話だ。

そこから千葉さんはさらに「千葉流」のフーコー読解として(※フーコーの著作に書かれているものと「千葉流」を明確に区別する手業に千葉さんの倫理が見える/これは倫理「観」だけではなくちゃんと勉強しないとできない)「「新たなる古代人」になるやり方として、内面にあまりこだわりすぎず自分自身に対してマテリアルに関わりながら、しかしそれを大規模な生政治への抵抗としてそうする、というやり方がありうる」(p106)と言っている。「マテリアルに関わりながら」という独特の表現が見事だが、これはつまり規範性と世俗的自由の間で揺れ動きながら、(いや、揺れ動くなんて言うとまた「内面」が出てくる……)十分に気を遣うけど反省しない、これが自分の人生なんだとじっと手をみる、そういった行為と符合する(いやアホか、じっと手をみるなんて言うとまた「内面」が出てくるじゃないか……)

とにかく、こうやって「内面」に捉われがちなくせに、いつも規範から逸脱したい私にとっては、この章で紹介された「脱葛藤化」を促す「自己への配慮」とともに、過度に構わないことや自分に固執しすぎないことが、それだけで生政治への抵抗になりうるという千葉さんの視点は明るい光のようで、それでいて実践的で有効なものです。この本は読み進めるたびに、多方向に逃走線を描きながら変化していく自分を感じられるような気がして、それがこれ以上ない歓びなのです。

(2022年3月29日/『現代思想入門』を第3章まで読み終える)




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by terakoyanet | 2022-03-29 12:27 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)