戦争と平和

先日授業で、終戦の詔が出された1945年8月15日の玉音放送のことを解説しました。
戦争と平和_d0116009_11291388.jpg戦争と平和_d0116009_11293197.jpg
 天皇の終戦(敗戦)の詔が流れるラジオの前で、土下座したり泣いたりする人たちの写真を見て、生徒たち数名が「こんなんすごいね」「ありえん」「洗脳されてる」との弁。この率直な反応に肯くも、いや待てよ、と思い、以下のことを話しました。
 
 確かに日本中すべての人が土下座したり泣いたりしてたわけじゃないと思うよ。でも、いま「ありえん」「すごいね」って言った人も、いっしょに土下座してるかもしれんよ。戦争ってのはそういうもんなんだよ。みんないっつも人に流されるやろ、友達に流されるやろ、テレビに流されるやろ、いつだっていますぐだっておんなじ状況にすぐなるんよ。いますでにおんなじ状況になってるのに気づいてないだけかもしれんよ。と。

 戦争と平和に関する最大の誤解は、現在のイラクのように人命が脅かされる状態であれば「戦争状態」であり、日本のようにふつうにしてれば命が脅かされる状態でなければ「平和」だと明確な区切りを入れてしまうことです。
 確かに日常的に命が脅かされているかどうかというのは、人間の生活にとって、決定的な意味を持つものです。でも、私たちがここで忘れてはならないのは、いつも私たちのすぐ隣に、私たち自身に戦争の萌芽があるということです。学校にもクラスにも、もしかしたら家庭にも戦争の芽があるかもしれません。いじめ、嫌がらせなどのわかりやすい事例だけでなく、例えば、人を愛する心といった、私たちがかけがえのないものと考えているもののなかにさえ、戦争の芽があるかもしれません。かけがえのないもののなかに戦争の芽があるからこそ、世界から戦争がなくならないのかもしれません。だから、子どもは、戦争を人ごと、ありえない狂気じみたことと考えるのではなく、自分のこととして考えていく力を養う必要があると思います。
by terakoyanet | 2007-04-30 11:59 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)