教師と生徒
2007年 05月 30日
教師と生徒とが友達関係になっていて昔のように教師の威厳がなく、教師が子どもの機嫌取りばっかりしているという批判が多いようです。
これらは確かに問題で、確かに、生徒といっしょになって他の先生や生徒の悪口を言ってしまうような馴れ合い教師はどうしようもないなと思います。
しかし、昔の教師は威厳があった云々の話になると、私個人としてはちょっと待てよと思います。
熱血教師や元ヤン教師などが話題になってずいぶんになりますが、だいたい私はGTOは嫌いだったし、元ヤン教師についてはそこを売りにするなよ!と思うし、ドラゴン桜は自分には関係ないなと思うし、金八先生だってあんまり好きじゃありません。その当時に自分が中高生だったら、ふつうにあんな先生たちについていこうとは思わないよなと思います。(うーん私がかなりのひねくれ者だったせいでしょうか。)
私はこれらの教師たちの傲慢さが嫌いです。自分の考えを押し通すのに精一杯の熱血教師にいったい生徒の何がわかるのでしょうか。教師の想像の及ばないところで考え悩んでいる生徒が目の前にいるかもしれないのです。
生徒たちは教師の「虚勢」を見逃しません。自分が抱える不安を傲慢な虚勢や威圧で解消しようとしても、生徒たちに信頼されることはありません。
私は教師に威厳が必要かと尋ねられたら、それ自体は否定はしないけれども、少なくとも決して必須条件ではないと答えると思います。
一方で、教師と生徒が友達関係になること自体は決して問題ではありません。「友達」という言葉の定義が難しいのですが、私は「馴れ合い」の関係なんてもともと「友達」だなんて言えないだろうと思うのです。お互いの考えがあり、お互いゆずれないところがあり、それでもお互い相手を大切な人として認知できていればそれが友達です。ですから、生徒とそういう関係がつくれたら、それこそ、最強の指導ができると私は考えています。生徒はいっしょうけんめい教師の話を聞こうとします。教師も生徒の話をいっしょうけんめい聞こうとします。相手の言っていることで自分にはわからないことがあるけれども、それでも相手のことをわかろうといっしょうけんめい考えます。これが大切なのです。だからわたしはそのような関係を目指していきたいと思っています。
ただしこのような関係は一歩間違えたらすぐに「馴れ合い」に転落してしまう危険性を孕んでいます。ですから、ときには相手を全否定するくらいの勢いで衝突することが必要になることもあるかもしれません。それはとてもお互い苦しいことです。しかしそういうリスクも含めて人間関係をつくっていけるとすれば、それらは自分と相手にとって貴重な経験になると思います。