日本の世界遺産紀行①
2007年 06月 18日
先日も授業のなかで世界文化遺産を取り上げましたが、生徒に話をするときには、実際に行ったことがあるところというのはやはり臨場感を持って話をすることができるし、実のある話になるます。

この年は阪神・淡路大震災が起こった年で、姫路城も若干の被害を受けていました。このときは神戸にも寄り、被害の状況をまのあたりにすることになりました。
いまの中学生は阪神・淡路大震災を経験した最後の世代。過去に何人も震災を経験した子がいましたが、いまの中3生で震災を経験したY君はもはや自分が経験したということを親からの伝聞で知っている世代になります。(彼は震災のとき2・3歳ですから。)

京都はやはりすごいですね。清水寺はもちろんですが、東寺や二条城ははじめて行ったときにはほんとたまげました。


2002年に西本願寺に行ったときには、平成の大修繕が行われており、瓦の葺き替えの現場を見る好運に恵まれました。[西本願寺 Feb.2002]

もののけ姫のイメージそのまんまの深濃の緑、鬱蒼と茂る森、鳥獣の鳴き声。
虫がとっても多く、蚊にさされまくり、福岡に帰ってきた後、皮膚科に行くはめになったのですが、島にいるときはいくら何十箇所刺されてもあまり気になりませんでした。
左は大川の滝というところで、屋久島の絶景のひとつだと思います。すごい迫力!
天気がとっても変わりやすく、晴れたと思ったらいきなり豪雨ということが多々ありました。
でもここは雨が降ったからといって楽しめないような島ではありません。むしろ雨が降っているときのほうが屋久島らしいかんじがします。

屋久島で印象に残っていることのひとつは野生の猿。開発が進む島の東部の猿たちは、人に近寄るとエサがもらえることがあることを知っており、積極的に車にハイジャンプして飛び乗るなどエサくれくれとせがんでくるのですが、人をよく知らない西部の猿たちは人や車を見ると一目散に逃げていきます。レジャーに来た人間にとっては東部のエサくれくれ猿のほうが面白いのでしょうが、でも、くれくれ猿ばかりになってしまったら屋久島の魅力はそれだけ失われたということになるだろうと思います。
私は左の彼(猿)と真剣に闘いました。にらめっこをしはじめたら、お互い目が離せなくなってしまったのです。あのときの自分が人間か猿かわからなくなるような、境界がなくなるような、不思議な感覚を未だ覚えています。[屋久島 Aug.1997]

そして変わりぶりをみんなから突っ込まれます。
それはさておき猿と対峙したときの鳥羽先生はまさに猿そのものでした。
>それはさておき猿と対峙したときの鳥羽先生はまさに猿そのものでした。
・・・自分でも人間かどうかわからなくなった瞬間でしたから。