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夏目漱石との出会い

私にとって、夏目漱石は特別な作家です。彼の著作との出会いは、私の人生を変えました。私の人生のターニングポイントに、彼の著作があります。

人生にはタイミングがあります。彼の著作を読み始めたのは高校の頃。
でも、彼の描く話が私の脳天を直撃したのは大学院時代の23歳頃でした。

私はそのころとても精神的にも身体的にも不安定な時期でした。対人関係や自分の人間性について大いに考え悩んでいた時期でした。その時期だからこそ、彼の話(その話というのは『虞美人草』なのですが)が私のなかにすーっと入ってきたのだと思います。こんなことがあるのかと思いました。目からうろこなのです。私には登場人物たちの痛みと悲しみがわかりました。必ずしも、その登場人物が抱く悲しみと私自身の問題が符合していたわけではないのです。そうではなく、私は、その登場人物(『虞美人草』の場合、甲野さんになるのですが)に自分から寄り添っていくことができました。私とは全く違う次元で立ち止まり、思い悩んでいる甲野という1人の人間を前にして、私は、そうか!お前はそんなところで足踏みをしていたのかと、戦慄を覚えたのです。私がいかに自分の思考と自我(エゴ)のみにとらわれていたかというのを思い知った瞬間であり、私には知りえないことがあるということに、恐怖に近い衝撃を覚えた瞬間でもありました。

そのあとも私は夏目漱石を読み漁りました。そして彼の哲学が一貫していることを知り、その哲学が私の心の支えとなりました。
私は、この作家のこの作品はいいけど、この作品はだめだ、とかいう類いの批評を信じません。
こういう批評が生まれるとき、そこには、批評家か作家のどちらかに落ち度があるのです。すばらしい作家というのは、作品に流れるテーマ・主題が一貫しているものです。もちろんいろいろなアレンジや展開の違い、物事に対する認識の深まりというのは作品によって違います。しかし、作家というのは、テーマが一貫していてなんぼなのです。私は漱石の著作を読んで、それを強く感じました。だから、作家内の作品の良し悪しというのは、私からすると本質的な議論になりえません。どうせそんなこと言う批評家は、作品をちゃんと読めてないんだろうと思うのです。

私は漱石を通して、物事の見方というものを知りました。いままで見えなかった世の中の歪みと闇が朧気ながら見えてくる気がしました。語弊を恐れずに言うと、物事を一つ極めれば、多くのものが見えるというのは正しいです。映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で、ビョーク演じるセルマは「I've seen it all」と歌いましたが、これはそういうことです。彼女は劇中、視力がどんどん低下していきます。でも、彼女は見なくても見えるのです。世の闇(精神分析ラカンの用語を援用すると彼女には「象徴的」なものではなく「現実的」なものが見えているということになります)が彼女にははっきりと見えているのです。

人は一般に、自分のものの見方というものを確立した場合に、傲慢になってしまいます。これは経験を積んで高齢になるほど顕著です。自分の人生経験に自信があるほど、相手を自分の経験に照らし合わせ、自分の経験による見識のみによって判断と評価をします。そしてその自分の判断や評価に疑問符をつけられるようなことがあれば、生命を賭す勢いで反駁します。

しかし漱石が教えてくれたのは、まさにそういう自我に凝り固まった見方に対する疑念であり、さらに言えば経験を積んだ私という自我そのものに対する疑念です。漱石は一貫した見方で己を見つめます。その結果、自分自身は傷ついたり不安定になったり死を志向したりします。そこには傲慢さはありません。自分自身を見るその眼差しは一貫して真剣そのもので、傲慢なものが入り込む余地がないのです。だから周囲に自分の見識を押し付けるような所為をはたらくことにはなりません。彼には周りの人や物事が詳らかに見えています。でも、その眼差しがいかに本質を突いた鋭いものであっても、自分自身に対して根本的な疑念をいつもかかえている人間が、他人に見識を押し付けることはできないのです。

私が彼に学んだのはその点です。わたしは先ほど、物事の見方を知った、と言いましたが、だからこそ、私は傲慢にならず、謙虚に、慎重に、人とものとを見ていこうと思います。最近、政治界はごたごたしていて、私なりにいろいろ考えるところがあるのですが、私が政治について書かないのは、慎重に物事について考えていきたいからです。安倍さん、確かにみなさんが言うように無責任かもしれない。でも、やっぱり安倍さんのことだって、政治のことだって、よくわかんないよなと思うのです。もし、私が安倍さんにとても近い立場の人間だったら、きっと世論とは違った見方で安倍さんのことを見ると思います。私は、立場によって変わってしまう可能性があるようなことについて発言するときには、仮に自分の意見があっても、慎重であるべきだと思うのです。

[中高生のために文中の言葉のふりがな]
虞美人草(ぐびじんそう)    戦慄(せんりつ)    読み漁る(よみあさる)
類い(たぐい)    歪み(ひずみ)    朧気(おぼろげ)    語弊(ごへい)
傲慢(ごうまん)    顕著(けんちょ)    賭す(とす)    反駁(はんばく)
凝り固まる(こりかたまる)    眼差し(まなざし)    詳らか(つまびらか)

夏目漱石との出会い_d0116009_1116859.jpg
太宰府 光明禅寺
November 2005
光明禅寺の紅葉は本当に美しいです。今年も行けたらいいのですが。

Commented by とよ爺 at 2007-09-25 10:02 x
こんにちわ、とよ爺です。
文章も内容もterakoyaさんらしく、興味を持って読まさせていただきました。
漱石は何度も挫折をしています。
私はへそ曲がりなので、その挫折が文学に深みを与えていると思うのです。
漱石の良さは彼はそのときに前向きな思考ができたことです。
私が漱石が好きな理由はまさにそこです。
terakoyaさんの一貫にした見方と私のそれとは一緒かも知れませんけど…。
Commented by toba at 2007-09-25 13:19 x
私もとよ爺さんの漱石や鷗外の記事を興味深く読ませていただいています。鷗外の「青年」をもう一度読み返してみようと思っているところです。
by terakoyanet | 2007-09-24 10:49 | 塾長おすすめの書籍・CD | Trackback | Comments(2)