ノーカントリー -No Country For Old Men-
2008年 03月 21日
原題の"No Country For Old Men"は、町山智浩さんの解説によると、アイルランド詩人のイェイツの詩からの引用とのこと。この映画の原作は「血と暴力の国」という小説であり、そういった映画周辺の詩や小説に触れることで、より楽しみが増える映画と言えると思います。
(以下ネタバレあり)
この映画には3人の主役がいます。古き良き時代のアメリカの良心を体現する保安官のベル、良くも悪くもどこにでもいる俗な男のモス、そして全く理解不能な自身の倫理により無差別殺人を繰り返すシガー。
シガーは恐ろしい殺人鬼。その行動規範は全く理解不能です。理解不能なのに、何らかの自分のなかの規範に従って動くシガーは、他の人間にとって恐怖以外の何者でもありません。自分の基準では捕らえられない他者が現れる恐怖がそのまま描かれているという意味で、シガーというキャラクターはこの映画で特別な役割を果たしています。
そしてモス夫妻はその恐怖のカオスに巻き込まれてしまいます。ただの善良な一市民が、全く無根拠でわけのわからない暴力に呑み込まれることの怖ろしさ。
一方で保安官のベルは、モス夫妻を助けようと尽力する間に、自分の無力さを痛感します。テキサスからメキシコに越境しただけで自分の保安官用の無線が使えなくなり、「地元の警察に通報するんだ」と住民に呼びかけるベルの表情は悲哀に満ちています。もう自分ではどうしようもないことが起こっている、そう実感した彼の祖父と父から受け継いだ保安官としての誇りは、もはや朧気な残像を残すのみです。
しかし理解不能な新しい暴力に対し、ベルが立ち向かうつもりがなかったかというと、そうではありません。ベルは敢えて危険を冒して殺人鬼がいまだ潜んでいるかもしれない殺戮現場に単身で乗り込みます。
でもいるはずの殺人鬼(シガー)はそこにはいません。この物語が特別なのは、主要登場人物である、ベルとシガーが直接顔を合わせることは一度もないということです。シガーからまるで無視でもされているようなベルの立ち位置にこそ、この映画の悲哀の骨頂があるのです。
映画の最後でベルが語るのは、父と雪道を歩く話です。そこでベルは、雪道を先に歩いて行ってしまった父にいつか追いつくことを夢想しています。父が先に歩いていった場所とは、死という特別な場所を意味しているのかもしれません。
この映画はいろいろな見方ができます。シガーは恐ろしい殺人鬼ですが、ただ彼を一方的に悪役と言ってしまうのはもったいないと言わざるを得ない奥行きがこの映画にはあります。
シガーは現代の犯罪の意味のわからなさ、謎を象徴しているとも読めますし、全く違う見方をすると、私たち一人ひとりに潜む不可思議さそのものとも取ることができます。
多くの人は、この映画でモスかベルに感情移入して展開を見守ることになるでしょう。そのときに、シガーという存在が、それぞれの人にとって変幻自在なキャラクターとして映ることが、この映画の魅力と言えるかもしれません。

出演者と監督のインタビュー